突然現れた少女
建国記念の日を迎えた王都では、盛大な祭りが催されていた。
朝から街は人々の声と音楽に包まれ、美味しそうな食べ物や酒を売る屋台が軒を連ねていた。
その喧騒を抜け、カレンデュラ家の門前に一台の馬車が停まる。
帝国皇家の紋章を掲げた馬車が通りを過ぎる際、喧騒が一瞬静まった。
深い黒に塗られた車体は磨き上げられ、陽光を受けて絹のような艶を放っている。扉には金細工で縁取られた皇家の紋章が浮かび上がり、車輪の金具には精緻な彫刻が施されていた。
馬車を牽くのは白銀の鬣を持つ美しい二頭の馬。揃いの装具には宝石のように磨かれた金具があしらわれ、御者は正装に身を包み、背筋を正して手綱を握っている。
馬車の扉が静かに開かれると、その奥から一人の高貴で美しい姫君が姿を現した。豪奢な馬車にふさわしい凛とした佇まいで彼女は優雅に石畳に足を下ろす。その所作は洗練されていた。
門前に進み出た姫は屋敷の主であるクロエに向かって優雅に一礼する。
「ご機嫌麗しゅうございます、カレンデュラ女公爵閣下。本日は建国を祝う佳き日にお招きいただき、心より感謝申し上げます」
澄んだ声が石造りの壁にやわらかく響く。若さの中に確かな敬意を宿したその挨拶にクロエは一歩前に進み、深々と頭を下げて彼女の礼に応えた。
「ようこそお越しくださいました、メリーアン皇女殿下。建国祭という慶びの日に、こうしてお目にかかれますこと、とても嬉しく思います」
目の前の高貴な姫は帝国皇太子の娘、メリーアン皇女。クロエの次男アイルの婚約者である。
金色に輝く艶やかな髪、神秘的な紫の瞳の美しい姫だ。知性と凛とした気高さが宿り、皇族としての品格と覚悟を感じさせる。それに、彼女の顔立ちはクロエによく似ていた。二人並ぶとまるで親子と見紛うほどに。
皇女はクロエにとって従姪にあたる。似ているのも不思議ではないが、これほど似ているとまるで娘と間違えられそうだ。
「この街も今日は一段と賑やかでございましょう。どうぞ中へ。長旅でお疲れでございましょうから、ゆっくりとお休みいただければ幸いです。アイル、部屋まで案内して差し上げて」
「はい、母上」
頷いたアイルは小走りで皇女のもとへ近づき、親しみのある笑顔を向けた。
「久しぶり、メリーアン。会わない間にますます綺麗になったね。道中は大丈夫だった? 祭りの日は人も多くて――」
アイルが皇女に声をかけた途端、クロエは控えめに咳払いをする。
鋭すぎない、しかし場の空気を正すには十分な一音だった。
「こら、そのように気安く振る舞うものではありませんよ」
クロエは鋭い目で息子を見据えた。
「ここはまだ公の場、皇女殿下に対する礼節を忘れてはなりません」
母からの叱責にアイルははっとしたように背筋を伸ばし、「申し訳ありません、母上」と頭を下げた。
だが、その様子を見ていた皇女はくすりと小さく微笑む
「女公爵様、どうかご心配なさらないでくださいませ。アイル様のお言葉は無礼ではなく、わたくしにとっては親しみの証です。……婚約者ですもの」
穏やかな声が張り詰めかけた空気を和らげる。
その一言に、アイルは驚いたように皇女を見つめ、すぐに照れたように視線を逸らした。
クロエは一瞬だけ目を細め、そして小さく微笑む。
「まあ……皇女様がそうおっしゃるのであれば」
そう言って、息子に向かって控えめに告げる。
「とはいえ、節度は忘れないことですよ」
「はい、母上」
祝祭の喧騒から切り離されたその場には暖かな空気が満ちていく。
だが、その柔らかな雰囲気を切り裂くように突如として場違いの声が響いた。
「ああっ……! 見つけたわよ、悪役令嬢!」
幼さを感じる女の高い声がクロエ達へと投げかけられる。
祝祭の音楽や人々のざわめきとは明らかに異質な響きに場の空気が一瞬で引き締まり、緊張が走った。
アイルは反射的に皇女を守るように背に庇い、クロエも声のした方へ視線を向けた。蒼玉の瞳からは先ほどまでの柔らかさが消え、警戒の光が宿る。
屋敷へ続く並木道の向こうには、豪奢なドレスに身を包んだ一人の少女が立っていた。
勝ち誇った笑みを浮かべ、片手を腰に当てたまま、もう一方の手で人差し指を真っ直ぐメリーアン皇女へと突きつけている。
不審者の出現にクロエは即座に騎士へ命じかけたが、その少女の顔を見て動きを止めてしまった。
(え……? レオナルド様…………?)
驚くべきことにその少女の容姿はかつての婚約者、レオナルドに瓜二つであった。
よく見れば後ろには男の取り巻きを何人も連れている。その男たちの顔を見た瞬間、クロエは思わず息をのんだ。
(あれは……第一王子殿下? それに、側近の子息たちまで……)
なんとその少女の背後には、この国の王太子の長男である第一王子とその側近たちが彼女を守るように控えていた。その姿はまるで少女の騎士のようである。彼等に気づいたアイルや公爵家の騎士達は皆ハッとし、クロエ同様に息を呑んだ。
張りつめた沈黙が、数瞬のあいだ流れる。
祝祭の音は遠くで鳴り続けているのに、屋敷の前だけが切り取られたかのように静まり返っていた。




