再婚約の条件
「すまない……クロエ。私は本当にどうかしていた……。大切にすべきだったのは、あんな女でなく君なのに……。ひどい行いを繰り返し、君を深く傷つけ悲しませてしまった」
「……ええ、その通りです。信頼していたあなたに裏切られた心の傷は、いつまでもわたくしの中に残ることでしょう。本来ならばリンデン家に罰を与えたいところを婚約解消だけで済ませているのですよ? ありがたいと思ってくださらないと困りますわ」
「君の優しい心遣いは十分わかっている。……ただ、その優しさを私にも向けてほしいと思うのは罪だろうか? クロエ、私はもう一度君の優しさに触れたい。そして私も君に優しさを返していけたらと思っている」
上辺だけの甘い言葉で復縁を迫られ、クロエは思わず苛立ちを覚えた。
これだけのことをしておいて、図々しく復縁を望むなどどういう神経をしているのか。
あれほど愛したシェリーを簡単に手放し、見下していたクロエにまで媚びを売る。そこまでして貴族の地位にしがみつこうとしているあたり、彼は自分が一番可愛いだけの卑怯者に思えてならない。
大人しく反省し、粛々と自分の末路を受け入れるのであれば多少の温情をかけてやるつもりだったが、ここまで醜い姿を晒されてはその気も失せるというもの。未だに甘い考えでいる彼に引導を渡すべくクロエは静かに口を開いた。
「わたくしの優しさがあなたに向けられることは今後一生ありません。少しの希望も持たないでくださいまし。無駄でしかありませんから」
「そんな冷たいことを言わないでくれ! ……そうだ、たしか私達の婚約はリンデン家の権威を回復させるために必要なのだろう? このまま君と私との婚約が無くなってしまえばリンデン家は没落してしまう! そうなれば、母と兄が家を支えるために払ってきた長年の努力は無駄に終わってしまう。それはあまりにも忍びないと思わないか……?」
「無駄にしたのはあなたでは? 今思い出しました、とばかりに言われましてもね……。そんなことは最初から分かっていたことでしょう?」
「そ……それは、そうかもしれないが……これが原因でリンデン家が没落してしまうのは、君も後味が悪いだろう?」
「そうやってこちらにばかり罪悪感を押し付ける言い方は卑怯ですよ。それに、その心配は不要です。既にあなたの後釜としてリンデン家の一族のご子息を新たな婚約者として迎えるつもりですの。ですからあなたとの婚約が無くなっても、我が家とリンデン家の縁は繋がれますのでご心配なく」
「は……? な、なんだって!? そんなの聞いてないぞ!」
「別にあなたに言う必要性などどこにないでしょう? とにかく、これで没落の危機はまぬがれ、夫人と小公爵の努力も無駄にはなりませんね。憂いがなくなったところで、どうぞお帰りください。あなたのこれからの人生を陰ながら応援いたしますわ」
嫌味たっぷりに言ってやると、わなわなと震えていたレオナルドが急に騒ぎ出した。
「本家の私でなく、分家の息子と婚約だと!? 分家など下位貴族ばかりではないか! そんな下賤の者と婚約するなどカレンデュラ家の恥になる! 本家の私ともう一度婚約した方が絶対にいいに決まっているだろう!」
「わたくしに毒を盛ろうとした人ともう一度婚約しろとおっしゃるのですか? そんな常に命の危険に晒される婚約など、誰が好んでするというのです?」
寝言は寝て言え、とばかりに言ってやると、レオナルドは「う……」と口を噤む。
人に毒を盛ろうとしておいて、よくも再婚約などと言えたものだ。厚顔無恥が服を着て歩いているような男だと呆れてしまう。
「もう二度としないと誓う! もう絶対に君に危害を加えたりなどしないし、他の女に余所見もしない! だからお願いだ、クロエ。そんな分家の男を選ばず、私にしてくれ! 必ず君を幸せにするから……」
ここまで言われても尚食い下がってくる必死さに、怒りを通り越して笑いが込み上げてくる。
彼はよほど貴族の身分を手放したくないようだ。
「ふうん……そんなにもわたくしと婚約を結びたいのですか? 随分と必死ですね……」
ただ呆れて漏らした言葉を、彼はどうやらクロエが絆されたと受け取ったらしい。途端に顔を明るくし、勢いよく距離を詰めてきた。
「ああ、そうだ。私は君を諦めきれない。だからどうか……もう一度私との未来を考えてほしい」
うっとりと迫ってくる彼を一瞥し、クロエは少し考える素振りを見せた。
「そうですね……そんなにもわたくしとの婚約を望むなら、考えてあげてもよろしいですよ」
クロエの言葉に彼は瞳を輝かせて「本当か!」と歓喜する。それに対してクロエは「ええ、ただし……」と勿体ぶったように答えた。
「ひとつだけ条件がございます。それを呑むのであれば、再度婚約を結んで差し上げてもよろしくてよ?」
「もちろん! どんな条件でも呑んでみせよう! それで君と結ばれるのなら、私はどんな困難にも立ち向かってみせる!」
「まあ、頼もしいこと……」
くすりと妖艶に笑うクロエにレオナルドの顔がにやけた。彼の頭にはすでにクロエとの未来が思い描かれているのだろう。それを気持ち悪いと蔑みながらクロエは条件を説明し始めた。
「では、あなたには結婚後、毒を飲んでいただきます。わたくしに盛ろうとした毒と同じ物を入手しますので、それを摂取してください。これが再婚約の条件です」
「え…………? は? え? 毒を飲む……? クロエ、なにを言っているんだ?」
まる「“冗談だろう?」と訴えるように、レオナルドはへらりと顔を歪めた。
それに対し、クロエは満面の笑みで返す。
「わたくしに毒を盛ろうとしたのなら、あなたも同じ目に遭ってくださらねば不公平というもの。わたくしにやろうとしたことがどのようなことかを、あなたはその身をもって味わってください。それを承諾してくださるのなら、婚約して差し上げてもよくってよ?」
「馬鹿なことを言わないでくれ! そんなことをすれば死んでしまうじゃないか!?」
「ええ、そうです。毒とは死に至らしめるもの。そのような危険なものをわたくしに飲ませようとしたのだと、ご自分が飲まされる立場になってようやく自覚なさいましたか? 馬鹿なことを、とおっしゃいましたが……あなたはそんな馬鹿げたことをやろうとなさったのですよ」
笑みを浮かべているのに、目は笑っていない。柔らかな声なのに、その威圧感に背筋がぞくりとする。
そんなクロエの態度を前にして、レオナルドは初めて彼女の怒りの激しさを思い知った。
「クロエ……すまない。私が悪かった……。本当に、本当にすまない……」
己の所業がいかに愚かだったかを自覚し、レオナルドは涙を零しながらただ謝罪の言葉を紡いだ。
哀れな姿を前にしても、クロエの胸にはもはや何の感情も湧かない。
「謝罪はもう結構です。いくら謝られても、あなたがわたくしにしたこと、しようとしていたこと、それは無かったことにはできません。また、水に流す気もありません。もう一度わたくしと婚約を結びたいとおっしゃるなら、誠意を見せてください。口だけならなんとでも言えます。あなたのように平気で嘘をつく方の言葉ほど信用ならないものもない。どうぞ、行動で示してくださいまし」
婿になりたいのであれば毒を飲め。
クロエにしようとした行いを、今度は自らの身で味わうがいい。
そう再婚約の条件を突きつけてやると、涙をたたえた顔でレオナルドはまるで救いを求めるかのような目を向ける。そんなレオナルドをクロエは言葉を発することなく冷めた表情でじっと見つめていた。




