冷たい態度
その後、ようやく面会の許可が下りたレオナルドはクロエに会うためカレンデュラ家を訪れた。
門前にはあの騒ぎの際に対応した門番がおり、レオナルドは気まずさから思わず視線をそらす。
(あの時、なぜあんな行動をとってしまったのか……。思い返すと本当にあり得ない)
ろくに身支度を整えずに外へ出たこともそうだが、何よりクロエがシェリーを何処かにやったなどと決めつけて責め立てようとしたことも、今考えると本当に有り得ない。しかもそれをカレンデュラ公爵にまで伝えてしまったのだから、もう救いようがない。
あの頃……いや、シェリーと出会ってからは恐ろしいほど彼女のことしか考えられなくなった。
まるで熱病に浮かされたようにシェリー以外のことは目に入らず、ただ彼女と幸せになる未来だけを追い求めていた。それを叶えるためにクロエが犠牲になることを何とも思わず、常識で考えれば有り得ないほど非常識な態度ばかりをとっていたことを恥ずかしく思う。
そのことを説明し、反省していることを告げ、誠心誠意謝罪すればクロエは許してくれるだろうか──。そして再び婚約を結び直すことも出来るだろうか。レオナルドは案内された応接間にて、そんな甘いことを考えていた。
しばらく待つうちに、応接間の扉が開き、クロエがそっと姿を現した。
「……ご無沙汰しておりますね、リンデン公子」
久方ぶりに対面したクロエの眩しいほどの美貌にレオナルドは思わず息を呑んだ。
彼女の顔がひどく冷めていることも、名前を呼んでもらえていないことにも気づかず、ただ見惚れる。
(なんて美しいんだ……。あんな町娘など比べ物にならないじゃないか。私は馬鹿だ……こんなにも美しい婚約者を放って、あんなどこにでもいるような女に傾倒するなど……)
レオナルドにはもはや自分がいかにしてただの町娘を見初め、心を奪われていたのか理解できなくなっていた。
こんなにも美しく気品に溢れた婚約者がいながら、どこにでもいる町娘に夢中になっていたことが信じられない。あの時はクロエといるよりもシェリーといた方が気が楽だと言っていたことは覚えているが、たったそれだけの理由でこの美しい人を蔑ろにしていたなんて……と愕然とした。
「あ、ああ……久しぶりだな、クロエ。相変わらず美しいよ」
「……ありがとうございます。それより、もう婚約者ではないのですからわたくしのことは”カレンデュラ公爵令嬢”もしくは”カレンデュラ公女”とお呼びください」
「そんな、私達の仲じゃないか?」
「ええ、その”仲”が無くなりましたので、馴れ馴れしくされるのは不愉快ですの」
「…………ッ!!」
はっきりと迷惑だと拒絶されたことにレオナルドはひどくショックを受けた。
彼の知るクロエはいつも優しく微笑み、彼の言うことを全部受け止めてくれていた。その彼女にまさかこんな冷たい目で拒まれるとは。
「それで? 本日はどのようなご用件でしょうか」
前世の記憶を取り戻してからはクロエもレオナルドに言いたいことははっきりと告げていた。
ただ、シェリーに溺れていた彼にはここ最近のクロエの態度が頭から抜けているようだ。
だからこそ勘違いしている。いつまでもクロエが自分の言うことを素直に聞く存在だと──。
「ああ……その、今までの無礼な態度の数々、本当に申し訳なかった……」
そこからレオナルドはシェリーのことは伏せたまま、自分が如何に愚かであったかを大袈裟な態度で語った。クロエはそれを表情ひとつ変えることなく静かに耳を傾ける。そうして彼が話し終えた後、静かに口を開いた。
「……要するに、あなたは愛しのシェリーさんと幸せになることしか頭になかった、というわけですね」
「……ッ!? え……い、いや、それは違う! 今はあんな女のことなんて何とも思っていない!」
「あんな女……ですか。婚約者に使うべき資金をつぎ込んでまで大切にしていた最愛の人を”あんな女”呼ばわりとは、随分と冷たいのでは?」
「な、なぜ、それを知って……。いや、それよりも君はどうしてシェリーを知っているんだ⁉ カレンデュラ公爵閣下に聞いたのか?」
「? 何故そこでお父様の名が出てきますの? わたくしがシェリーさんのことを知っているのは、ご本人が直接会いに来てくださったからですよ」
「は……? シェリーが君に会いに? え? 会いにって、この屋敷にか?」
平民が貴族の屋敷を訪れるなんて……とレオナルドはひどく驚く。その反応を見て、クロエは「やはりあれは異常なことなのだな」と改めて思った。
「ええ、わざわざわたくしに会いに足を運んでくださりました。その時に彼女が身に着けていた服はきっとあなたが贈ったものなのでしょう。パン屋の給与では到底手に入らないほど上質な仕立てでしたもの」
暗に「婚約者にはドレスも贈らないのに、愛人には随分と貢いでんな?」と嫌味を言うと、レオナルドは青褪めた顔で目を逸らした。
「その……シェリーは何の用があってこの屋敷を訪ねてきたのだろうか……」
答えに詰まったレオナルドは気まずさから話を逸らした。
その反応にクロエはため息をつき、答えた。
「色々話してくださいましたよ。あなたが本当に愛しているのはご自分だとか、わたくしは所詮当て馬だとか……」
それを聞いたレオナルドの顔から血の気が引いた。よりにもよってクロエにそれを話すとか正気の沙汰ではない。
「違う! それはシェリーが勝手に言っているだけで、私が本当に愛しているのはクロエ、君だ!」
「まあ、寝言は寝てからおっしゃってくださいな。毒殺したいほどわたくしが邪魔なのでしょう? それなのに愛しているだなんて……笑ってしまいますわ」
「はあ……!? なんで、それを知って……あ……」
「その反応、お認めになったも同然ですよ。いやですわ……誤魔化すこともできないなんて、話術が下手になったのではなくて?」
以前から感じていたが、レオナルドは婚約当初と比べると明らかに貴族らしさが失われてきている。
感情を隠して会話するという貴族の基本さえできていない今の彼は、貴族というよりむしろ平民のよう。
「最愛のシェリーさんと結ばれたい。けど、貴族の身分も特権も捨てたくない。だったら邪魔なわたくしを排除して家も爵位も乗っ取ってしまおう。……と、こんなお粗末な計画を、結婚後に実行なさろうとしたのですよね? 事前に毒まで購入するなんて用意周到ですこと。婿入り道具が”毒”だなんて、斬新ですね」
「なっ……!? どうしてそんなことまで知ってる! ……あ、い、いや、違う……」
「……驚くほど正直なのですね。もう少し本音は隠された方がよろしいですよ?」
「違う! それはシェリーが私にそうさせるよう唆したせいだ! 私が君に毒を盛るなど、そんな悍ましい真似をするわけがないだろう!?」
「どの口がそんなことをおっしゃるのかしら? 唆されたとはいえ、実際に実行なさろうとしたのはあなた様ですわ。そうでなければ毒など購入しないでしょう? もしかして、既に何度かわたくしの飲食物に盛ったのではないですか?」
「し、していない! それはまだ……」
そこまで言って、自分の失言に気づいたレオナルドは慌てて口を押さえた。
「まだ、ということは実際に盛ろうと企んではいたということですか……」
「ち、ちがう! ちがうんだ!」
次々とボロを出し、取り繕うことすらできないレオナルドを前にクロエはもはや失望を隠しもしなかった。冷ややかな軽蔑を宿すクロエの眼差しに気づいた途端、レオナルドの表情はひどく傷ついたものへと変わる。
「……どうして、あなたが傷ついた顔をなさるの? 加害者という自覚がないのかしら」
「そんな、加害者なんて……。私はただ悪い女に騙されただけなのに……」
「あらあら……愛した女性に全責任を負わせ、自分は無関係を装うなど恥ずかしいですよ。騙されたとしても、わたくしを排除してシェリーさんと幸せな未来を築こうという選択をなさったのはあなたでしょう? なら、あなたもシェリーさんもわたくしにとっての加害者ですよ」
きっぱりと告げると、レオナルドは泣きそうに顔を歪める。なおも自分を哀れんでいる彼にクロエは嫌気が差し、冷めた表情で見据えた。
「謝罪に来たのか、言い訳に来たのか……いずれにせよ、用件がこれで終わりでしたらお帰り下さい。被害者面をなさっている人とこれ以上話したくありませんので」
「そんな……。クロエ、君は変わったよ。昔はそんな厳しく冷たい物言いをする人じゃなかったのに……」
「こちらの罪悪感を煽るような物言いはやめてくださる? 不愉快です。わたくしは自分に毒を盛ろうとした犯罪者に慈悲をかけるほど、お人好しではございませんの」
罪悪感を植えつけようとするその物言いに不愉快さを覚えたクロエは冷えた表情のまま、凍りつくような声で応じた。この男はどこまでこちらを失望させるつもりなのか。潔く認めてくれればいいものを、騙された被害者ぶって実に情けない。
「これ以上失望させないでくださいまし。誠心誠意謝罪するならまだしも言い訳ばかりで……不愉快です。わたくしに毒を盛ろうとしたことは特別に不問にして差し上げます。だから、もう二度とわたくしの前に姿を見せないでください」
「そんな……謝るから許してくれ、クロエ! 君に見放されたら私は生きていけないんだ……!」
「そうでしょうとも。わたくしとの婚約がなくなればあなたは貴族の身分を失い、平民として生きていかねばなりませんものね。優雅な暮らしを手放すのはさぞかし惜しいことでしょう。ですが、そうなれば気兼ねなくシェリーさんと添い遂げられるではありませんか? 今までのような生活は望めなくとも、愛する方と一生を共に出来れば幸せなはずですよ」
「シェリーのことなどどうでもいい! あんな頭のおかしい女なぞ、もう何とも思っていない! お願いだ、クロエ……これからは大切にすると誓うから、どうか私ともう一度婚約を結んでくれ! 今度こそ君を幸せにしてみせる!」
「まあまあ……そんなことを言ってはシェリーさんが可哀想ですよ? あなたが見初めたせいでシェリーさんは貴族になれると叶わない夢を見てしまったのですから。それは無理でも、責任をもって幸せにして差し上げねば。必ず迎えに行く、と約束したのでしょう?」
「なんでそれを……!? いや、違う……そんな約束などしていない!」
あくまで白を切るつもりらしいが、クロエにとってはどうでもいいことだ。
涼しい顔で侍女が運んできたお茶を飲んでいると、レオナルドが縋りつくような目で懇願してきた。
「シェリーのことは悪い夢だったんだ。悪夢から覚めた今、私の頭に浮かぶのは君との美しい思い出ばかりだ。思い出してくれ、クロエ……。君と私はあんなにも仲睦まじい婚約者だったではないか?」
「ええ、ええ……そうですとも。わたくしはあなたを信じておりましたよ。まさか不貞を犯した挙句、わたくしを殺そうと企んでいるなど、夢にも思いませんでした。……あなたこそ分かりますか? 信じていた人に裏切られ、陰で殺害計画を練られていた、わたくしの気持ちが……」
「…………ッ!?」
哀しそうに目を伏せるクロエの姿にレオナルドは思わず息を呑む。
その姿に未だかつてないほどの罪悪感が押し寄せ、不意に胸が締めつけられた。




