レオナルドの従者
「お呼びでしょうか、奥様……」
執事から「奥様がお呼びだ」と伝えられ、レオナルドの従者トマスは指定の部屋へ向かった。
中に入ると、険しい顔の夫人と嫡男が冷たい空気を纏い椅子に座っていた。
二人の視線が、鋭くトマスを射抜く。肌を刺すような張りつめた空気の中で彼の指先が微かに震えた。
「――トマス、お前に聞きたいことがあります」
低く響く夫人の声に、トマスの喉がごくりと鳴る。
胸の奥で嫌な予感が鈍く疼く。それでも雇い主の言葉に逆らうなどという不敬は許されない。彼は努めて平静を装い、答えた。
「はい……。わたくしが答えられることでしたら、何なりと」
「そう。では、レオナルドは最近、誰か特定の人物と懇意にしているようね……。お前はいつも息子の傍にいるのでしょう? ならば、知っているはずよね」
それは何の根拠もない発言に過ぎなかった。だが、トマスの顔が強張り、わずかに目を逸らしたことで、二人は確信する――レオナルドに悪影響を与えた人物が存在する、と。
「そ、そうでございますね……。レオナルド様が親しくしていらっしゃる方といいますと……最近では、さる伯爵家のご令息や、子爵家のご令息でしょうか……」
目を泳がせながら、やたらと早口で話し出すトマスを見て夫人は内心でそれが嘘だと見抜く。
なんともわかりやすい動揺ぶりだ。
「そうなの。他には?」
「へ? ほ、他と言いますと……」
「……お前も知っていると思うけど、近ごろのレオナルドの言動は誰かの影響を受けているとしか思えないほど酷いものよ。まるで、側妃に傾倒していた頃の旦那様の変貌ぶりを見ているかのよう。あの子に悪影響を与えているのは……いったいどこの誰なのかしら? お前なら分かるわよね?」
その質問に、トマスは息を詰めて目を伏せた。きつく口を結び、どう答えようかと思案している様を見て夫人はため息をついた。
「正直にお言い。……それとも、あなたの忠誠はレオナルドにしか向けられていないとでも?」
トマスの喉が、ごくりと鳴った。だが言葉は出ない。
「お前は勘違いをしているようね? トマス……」
夫人の声が一段と鋭くなり、トマスは恐怖に肩を小さく震わせた。
「お前の主人は――あの子ではなく、このわたくしです。使用人の人事権がその家の女主人にあるということを忘れたのかしら? お前はわたくしの命令であの子に仕えていることを自覚なさい」
その言葉は静かだが、確かな威圧を帯びていた。トマスは思わず床に膝をつき、床に視線を落とす。
「聞こえなかったの?」
もう一度、彼女は問う。
だが、返事はない。
部屋の空気が、次第に重く沈む。
暖炉の火がぱちりと弾ける音だけが、無情に響いた。
「お、お許しを……」
消え入りそうな声でそれだけを呟くトマスに、夫人の横にいる嫡男は深く溜息をついた。
「主人の命令が聞けぬとは、困った使用人だ。こちらも穏便に話したかったが、そこまで頑なな態度をとられてしまっては仕方あるまい」
その言葉にトマスは表情を明るくし、顔を上げた。すると、嫡男の氷のように冷たい瞳と視線が交わる。
「…………ッ‼」
残酷さを感じさせるその瞳を見た瞬間、トマスは直感でまずいと悟った。だが、時すでに遅し。嫡男の口角がにやりと上がる。
「少々手荒な方法を取らせてもらおうか。母上、ここからは私にお任せを。ご婦人には刺激が強うございますから」
そう言って嫡男は手をパンと鳴らす。すると扉の向こうから従僕が数名静かに現れた。
「お呼びでしょうか、若様」
「ああ。お前たち、トマスの全身を縛ったうえで地下の部屋に転がしておけ。逃げられぬよう外から鍵もかけろ」
嫡男の命令に従僕たちは恭しく「畏まりました」と頭を下げる。そして唖然とするトマスを数人がかりで担ぎ、そのまま部屋の外へと足を向けた。
「……やっ、やめろ! 離せ! 若様! 若様、どうかお許しください!」
「煩い、静かにしろ。では、奥様、若様、御前失礼いたします」
トマスを担いだまま会釈した従僕たちは速やかに部屋を出た。廊下にはトマスの悲鳴が響き渡るが、夫人も嫡男も眉一つ動かさなかった。
*
トマスは幼い頃からレオナルドに仕え、彼に深い忠誠を誓っていた。
ただ、それだけなら忠義に篤い従者で済んだのだが、問題は彼がレオナルドの行いに盲目的であることだ。
レオナルドが心を許す存在である彼は、主人が愛のない結婚を受け入れたくないと知っていた。だからこそ、主人には心から愛し合える相手と結ばれてほしいと願わずにはいられなかった。
だからこそ、レオナルドがシェリーという最愛を見つけた時は嬉しかったし、クロエという愛のない政略の相手と結ばれることを悲観していたのだ。それゆえ、シェリーとの密会も、クロエを蔑ろにすることも、トマスは咎めようとはしなかった。むしろそれが当然の行いであるかのように信じきっていた。
もちろんそれはレオナルドがカレンデュラ家に婿入り後、クロエを毒殺し、最愛のシェリーを後添えに迎えることもだ。その為に今から毒を準備するほどに彼は主人の幸福だけを願っている。
トマスは愛し合う者が結ばれることを正義とし、政略の結婚を悪と断じていた。
だからこそ、クロエを排除することに何の疑問も抱いていない。
敬愛するレオナルドが幸せになることこそ、何より尊ぶべきことだと信じて疑わなかった──この時までは。
「暴れるな、トマス。暴れるとそれだけ体に縄が食い込んで痛くなるだけだ。大人しくしていろ」
リンデン家にある地下の部屋、そこは窓ひとつない閉鎖的な空間。
代々罪人の尋問や拷問に使われる部屋であった。
トマスはここで従僕たちにより全身を縄で縛られている最中だ。
「……やめろ! やめてくれ! 俺をどうする気だ!?」
「さあ? それは若様に聞いてくれ。俺達は若様のご命令に従ったまでだ」
身を捩って抵抗するトマスを物ともせず、従僕たちは淡々と彼の全身を縄で縛っていく。
「おかしいだろう……こんなこと! なんで何もしていない俺がこんな目に遭わなきゃならない!?」
「だからそれは若様に聞いてくれ。……よし、縛り終わったな。じゃあ行こう」
従僕たちはトマスの叫びに耳を貸さず、仕事が終わったとばかりにさっさと立ち去ろうとする。
「おい! 待てって! こんな場所に置いていくつもりか!?」
「……あ、一応猿轡を噛ませていた方がいいか。自死でもされたら困るしな」
一人がトマスの口元に猿轡を持っていく。装着を終えると、彼は「よし」と立ち上がった。
「さーて、今度こそ行くか」
全身を縄で縛られたまま床に転がされるトマスを放置し、彼等はぞろぞろと扉の外へと向かう。
トマスに何を言われても反応すらせず、最後の一人が出ると扉が閉められ、ガチャリと鍵の閉まる音が響く。
「んん……んんんん……(そんな……嘘だろう?)」
猿轡のせいで独り言を呟くこともできないトマスは茫然としたまま扉の方を見つめた。
蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い空間で、彼は自分が取り返しのつかない過ちを犯していたのではないかと思い始める。
(なんで……こんなことに。俺は今から何をされるんだ……!?)
仕える家の若君は「多少手荒な真似をする」と言っていた。
それがこうして縛って放置することだけを指すとは思えない。
これから自分の身に起こるであろうことを想像し、トマスの背筋にぞくりと悪寒が走った。




