レオナルドの謝罪と、クロエの怒り
その日、カレンデュラ公爵家の客間には普段よりも少し重い空気が漂っていた。
今日は先日の髪飾りの件で、レオナルドが詫びを申しに訪れる日である。
会いたくもない相手の訪問にクロエの心は憂鬱に沈み、表情にも陰りが差していた。
どこか迫力のあるクロエの様子に、使用人の間に緊張が走る。
そんな中、執事に導かれてレオナルドが応接間へとやってきた。
「……クロエ、久しぶりだね」
「ええ、ごきげんよう、レオナルド様」
素っ気ない態度のクロエにやや狼狽えながらも、レオナルドが丁寧に一礼して彼女の正面の椅子に腰を下ろす。
すると、傍らに控えていた侍女が手際よくお茶の支度を始めた。
ティーポットが傾けられ、カップに琥珀色の液体が細く流れ出る。
湯気が立ちのぼり、芳醇な香りが応接間を包み込んだ。
侍女が二人の前にカップを置くと、丁寧に一礼し、壁際へと控える。
沈黙が続く中、クロエは紅茶のカップに手を伸ばし、優美な仕草で口をつけた。
その仕草にはわずかな焦りすらない。レオナルドはその姿を目にし、胸中に言いようのない焦燥が渦巻いていた。
クロエの態度にはレオナルドへの情など微塵もないように思えたから。
やがて、彼が深く息を吐く。
「……クロエ、先日はすまなかった」
低く、掠れる声で絞り出した声に対してクロエは小首を傾げた。
「あら、何がです?」
平然と尋ねるクロエにレオナルドは苛立ちを募らせた。大人しく謝罪を受け入れてくれればいいものを、その理由をわざわざ言わせるなど悪趣味だと。
「…………あのようなガラクタを贈ってしまったことだ。母上や兄上にも叱られた」
「はあ、さようでございますか」
興味なさげに呟き、再び紅茶に口をつけるクロエの姿にレオナルドは怒りを覚えた。
自分にここまで言わせておいてその態度は何だ、とばかりに鋭い目を向ける。
「君がっ……あんなモノを外に身に着けていくから、こんなことになったんじゃないか! どうしてあんなガラクタを人の目に晒した? 恥ずかしくないのか!」
その『あんなモノ』を贈ったのは自分だというのに、レオナルドは己の行動を棚に上げてクロエを責めだした。
あれはクロエ以外の誰の目にも触れないであろう前提で選んだ物であり、まさか身に着けて社交場に出るなどとは思いもしなかったのだ。クロエ以外の目に触れなければ、あんな粗末なガラクタでも、母の命令は果たしたことになる──そういう前提のもとに贈った品だ。
空気を読んで身に着けないまま屋敷の何処かにしまってくれたらそれでよかったのに、よりにもよって沢山の貴婦人の目に触れる茶会につけていったと聞かされた時は流石のレオナルドも卒倒しそうになった。レオナルドがあのガラクタをクロエに贈ったことが参加者全員に知れ渡り、社交界における彼の評価は地に落ちた。
全て自分の身から出た錆だというのに、他責志向のレオナルドはそのすべてを「クロエのせい」と怒り出す。
しかし、そんなレオナルドにクロエは少しも動じず、むしろキョトンとした顔で問い返した。
「……レオナルド様は、なにを怒っていらっしゃるの?」
「……は?」
「婚約者からの贈り物を身に着けることは当たり前の行為ではありませんか。なのに、何故そんなに怒っていらっしゃるの?」
平然としたクロエの態度に面食らい、怒りが一瞬で吹き飛んだレオナルドは「え?」と呆気に取られた声を漏らした。
「いや……だって、あんな粗末な品を……」
「頂いた品を身に着けるのは、相手への最低限の礼儀だと思っておりますの。それの何処が悪いのです?」
「え、いや……それは……」
少しも怯むことなく冷静に追及するクロエにレオナルドはたじろいだ。
まるで自分が怒っているのがおかしいかのように思え、言葉の調子がだんだん弱まっていった。
「そもそも、あなたは本日何をしにいらしたのですか?」
「は? 何をって……」
「わたくしは事前にリンデン家の使者よりレオナルド様が”謝罪”をしにいらっしゃる、とお聞きしました。ですが謝罪というより、わたくしを意味不明な理由で罵る始末。これでは何をしにきたのか分かりませんわ」
お前謝りに来たんじゃないのかよ、ということを遠回しに指摘されていることに気づいたレオナルドはハッと息を呑む。そして、恥ずかしそうに頬を染めて俯き、小声で「いや」だの「でも」と呟く。
「わたくしが責められる理由などひとつもございません。婚約者からの贈り物を身に着けただけで文句を言われるなんて、どう考えてもお門違いでしょう?」
「で、でも……そのせいで僕の社交界での評判は地に落ちたんだぞ?」
「あら、何故です? それだけで、どうしてあなたの評判が地に落ちたのですか?」
「どうしてって……それは……」
クロエは詰め寄るような口調で、レオナルドに自分のしたことを口にさせようとする。
そうしないと、この男は自分が如何に恥ずべき真似をしたかを理解しないだろうから。
口ごもるレオナルドにクロエは刺すような視線を向ける。これまでクロエにそんな目を向けられたことのない彼は、一瞬、怯えたように顔を引きつらせ、震えながら口を開いた。
「あ……それは、君に……とんでもない粗悪品を贈ってしまったから……」
「そうですか……。では何故、粗悪品だと分かったうえでわたくしに贈ったのです?」
「そ、それは…………」
流石に「恋人に勧められたからです」とは言えないようで、レオナルドは上手い言い訳を探すように視線を彷徨わせる。彼が再び言葉を発するまでクロエはゆったりと紅茶を飲んで待っていた。
そして、カップの中身を全部飲み干す手前で、ようやく彼は口を開く。
「……それは、友人が……わざと粗悪品を贈って婚約者がどう反応するかを確かめてみろと、助言してきたから……」
──なるほど、そうきたか。
散々考えて絞り出した言い訳が「友人に唆された」という、架空の人物に罪を押し付けて責任逃れをしようというもの。あまりにも滑稽な手段にクロエは笑いが込み上げそうになるのを必死に堪えた。
「まあ……そうなのですか。それで? 満足する結果は得られましたか?」
「え? あ、ああ……うん、そうだな……」
「それはようございましたね。では、何も問題ないのでは?」
「あ……そう、だな」
クロエの話術に一瞬飲まれかけたレオナルドだが、すぐにハッと我に返って「いいわけあるか!」と騒ぎ始めた。
「そのせいで僕の評判は最悪なものとなったんだ! 問題大有りじゃないか!?」
「それは大変ですね。ご友人は評判が下がった場合の対処法を助言してはくださいませんの?」
「えっ……? いや、それは……」
「わたくしを試すよう助言なさったのはその『ご友人』なのですから、それが原因で起こったことについても助言いただくべきではなくて?」
そう言うとレオナルドは再び口ごもり、クロエから視線を逸らしてしまう。
自ら広げた嘘の辻褄がもはや合わなくなっているのが、その様子から見て取れた。
──なんか……この人って、ここまで阿呆だったかしら?
あまりにも頭が悪く子供じみたレオナルドの言動にクロエは内心で「この人はここまで阿呆だっただろうか」という疑問を抱いた。婚約当初はごく一般的な常識を持つ礼儀正しい子息という印象だったのに、今では社交界でも類を見ないほどの阿呆に成り下がっている。少なくとも顔合わせの際にこんな態度をとっていたなら間違いなく婚約はしなかったし、父も拒否したことだろう。それくらい、今のレオナルドは酷い。
これも”乙女ゲーム”の強制力的な見えざる力が働いているからなのか、それともシェリーの影響か。
もしくは元々の性格がこれで、今までは上手く隠していたのか。だが、夜会前にドレスを贈らないなどの非常識な行為を平然としていたから、ちょくちょくボロは出していたのだろう。クロエが気づかなかっただけで。
いずれにせよ、これでは先が思いやられるとクロエは深くため息をついた。
「……あら? そういえば……リンデン公爵夫人はレオナルド様が『悪い商人に騙されて粗悪品をつかまされてしまった』とおっしゃっていましたわ。ですが、あなたは騙されたのではなく、自らの意志でわたくしに粗悪品を贈ったと申しておりましたよね? ご友人の助言で、と。話が大分食い違っておりますけど……どちらが正しいのでしょう?」
母親がそんなことをクロエに言っていたとは知らなかったようで、レオナルドは驚いた顔で「え⁉」と言ってその場で固まってしまった。それを見てクロエは情報の共有もしていないのかと呆れるばかりであった。
「どうして今になってそんなことを言うんだ!? 母上にそう言われていたのなら、最初に教えてくれればよかったじゃないか?」
「あら、どうして?」
「どうしてって、そうすれば僕も……」
「リンデン公爵夫人の話に乗って嘘をつくおつもりだったと? 呆れた……。よくもそのような不誠実なことを堂々と言えますね……」
心底軽蔑した、と言わんばかりのクロエの蔑んだ表情を見たレオナルドの背筋に冷たいものが走る。
ここまであからさまに嫌悪感を隠さない彼女の表情を見るのは初めてだ。
「違う……そんな、嘘だなんて……」
「何が違うのです? 先程あなたはご友人の助言に沿い、わたくしに試し行動をする為にあの髪飾りを贈ったと言いました。話し振りからしてそれは嘘ではないと思われます。であれば、夫人のおっしゃった理由は嘘ということになりますよね?」
一切の温度を感じさせないクロエの冷めた声音にレオナルドは息を呑む。
何か言葉を返そうと思っても、喉が詰まったように声が出ない。自分に惚れこんでいると思い込んでいた婚約者の、一切の愛情を感じない態度にレオナルドはひどく困惑していた。
「……真摯に謝罪する気がないのなら、最初からお越しになるべきではありませんわ。時間の無駄です。お帰り下さい」
「待ってくれ、クロエ……!」
きっぱりと拒絶の言葉を放ち、席を立とうとするクロエにレオナルドは思わず手を伸ばした。
「触らないでください」
「…………ッ⁉」
伸ばされた手はクロエに冷たく払いのけられる。クロエからそんな拒絶を受けたのは初めてで、あまりの衝撃にレオナルドの心は凍りつき、その場に立ち尽くした。
「……レオナルド様は変わられましたわ。婚約当初は、このような不誠実な態度を取る方ではなかったと思われます。何があなたを変えたのやら……。それとも、元からそうだったのでしょうか」
シェリーのことをちらつかせてやれば、案の定、彼はあからさまに顔を強張らせた。
どうやら自覚はあるらしい。自分の言動が、知らぬ間にシェリーの影響を受けてきていることに。
「クロエ……」
「……お客様がお帰りよ。ご案内してさしあげて」
追いすがるレオナルドを無視し、クロエは部屋をさっさと出て行った。
取り残された彼は表情の変わらないカレンデュラ家の使用人に淡々と「お帰りはこちらです」と告げられ、退室を促されてしまう。
屋敷を追い立てられるように出て行くレオナルドは、不安を押さえきれないように何度もクロエの方を振り返った。それまでは心のどこかで「クロエは自分に惚れているから大丈夫」と信じ切っていたが、ここにきて初めてそれが間違いだったのではないかと思い始める。
──不味い、やり過ぎた……。
そう、頭が警鐘を鳴らす。全身から冷や汗が出て寒気さえ感じる。
何をしても大丈夫だと根拠のない自信のもと、近頃はクロエに非常識で不作法な態度ばかりをとっていたことはレオナルド自身も分かっていた。
それが原因で、一時は会うことも手紙のやり取りも避けられた。しかし、彼はそれさえも彼女が自分に構ってほしいための行動だと軽んじていた。下手に出るわけにはいかない。そう、シェリーの助言を胸に刻んでいたのだ。
今さらになって自分の対応のすべてが間違いだったのではないかという思いが、胸に重くのしかかり始めた。
この婚約がもし解消……いや、こちらが有責で破棄などされたら……。
その考えが胸をよぎった瞬間、レオナルドは焦燥にかられ、全身が震えだすのだった。




