これは、誰にも言ったことのない話
「……今から話す内容は、わたくしは誰にも言ったことが無いの。もしかしなくとも、あなたはわたくしの頭がおかしくなったと思うかもしれないわ。それでも聞く?」
「お話の内容がどうであれ、私が御主人様を蔑むような感情を抱くことなど有り得ません。どうか、お聞かせください」
試すような眼差しを向けるとエーリヒの表情が引き締まり、真剣な声で答えが返ってきた。
「そう……。なら、話しましょう。率直に言うと、わたくしはこの世界以外で生きた記憶を有しているの」
「え……? それは、どういうことでございますか?」
「そうね……分かりやすく言うと前の人生の記憶よ。理由は分からない。だけど、確かにここではない何処かであった人生の記憶を覚えているの。朧気だけどね」
あまりにも突拍子もない話にエーリヒは唖然とした。
しかし、彼は疑う素振りすら見せず、真面目な顔でクロエに問いかける。
「そう……なのですか。では、コーヒーの味を知ったのも、その”前の人生”で、ということで?」
「ええ、そうよ。不思議と人生は違えども、味の記憶もあるのよね。前の人生では毎日のようにコーヒーを飲んでいたし、自分でも淹れていたの。だから味の良し悪しが、何となく分かるのよね」
クロエの話を聞いたエーリヒはしばし考え込むように腕を組み、やがて口元に手を当てて俯いた。
「では……婚約者様を調査するように命じたことも、前の人生の影響でございますか?」
「……そうね、そうなるわ。上手くは言えないけれど……怪しかったのよ、レオナルド様は」
「さようでございますか……。前の人生でのあなた様も、なかなかの慧眼だったのでございますね」
感心したかのような反応を見せるエーリヒにクロエは少しだけ罪悪感を覚えた。
クロエはこの世界が前世の記憶にある乙女ゲームに酷似しており、その知識があるからこそレオナルドの動向が読めたとは口にしなかった。というのも、説明が難しいというのもあるが、そのゲームの中でクロエがレオナルドに長年毒を盛られたうえに殺される、などと言えばエーリヒは元凶を始末する可能性が高い。忠義に篤い彼ならば、主人に仇成すレオナルドを排除することを躊躇しないだろう。
(別にレオナルドが始末されようとも何とも思わないけど、あの屑への報復がそれではつまらないわ。できれば、生きて苦しんでもらいたいもの……)
殺して終わり、という結末など冗談ではない。何の非もないクロエを貶め、カレンデュラ家を乗っ取ろうとする愚か者にはもっと相応しい末路を歩んでほしい。今より惨めで、明日を生きるにも苦労するような、そんな人生を。
クロエは思わず歪みそうになる表情をこらえ、エーリヒに向かって問いかけた。
「かなり荒唐無稽な話だったけど、あなたは信じられる? わたくしの頭がおかしくなったと思っても不思議ではないと思うわ」
「いえ、他ならぬご主人様のお言葉。信じるに決まっております」
真っ直ぐなエーリヒの視線。少しの淀みもないその眼差しを見つめながら、クロエの胸に静かな愛しさが満ちていく。嘘だらけの淀んだレオナルドの瞳からは感じられない美しさにしばし見惚れた。
「ふふ……ありがとう。では、お話はこれくらいにして、コーヒーとパイを温かいうちにいただきましょうか。せっかくの出来たてが冷めてしまうわ」
「もう少し、前の人生についてお聞かせいただけないでしょうか……?」
「あら、興味があるの?」
「ええ、ございます。あなた様が前の人生でどのように過ごされたのか、そこがどのような世界だったのか……とても興味があります」
「そうね……でも、長くなるから今日はこれでお終いにしましょう。また今度話してあげるわ」
そう言って、まるで話の幕を下ろすようにクロエは再びカップを取り、優雅に口をつけた。
話していると折角の美味しいコーヒーとパイの味が損なわれてしまうから、というのもそうだが、もう一つの理由がある。それはこのまま話し込むうちにうっかり”乙女ゲーム”について喋ってしまいそうだからだ。
「それより、エーリヒの故郷ではコーヒーはどのように召し上がるの? やはり、こうしてミルクも砂糖も入れずに?」
どこか不服そうな顔をするエーリヒを見ぬふりをして、クロエはそっと話を逸らした。
それでも主人に忠実な彼は文句ひとつ言わずに質問に答える。
「いえ、私の故郷ではミルクも砂糖もたっぷり入れて飲むのが一般的ですね。こうした茶請けの菓子は少ないので、飲み物自体を甘くするのですよ」
「まあ、それもいいわね。なら二杯目はそうやって頂きましょう」
再びクロエはパイにフォークを刺した。
心の中で「ごめんね」とそっと呟きながら……。




