リンデン公爵夫人の謝罪
夕暮れ時にその人は現れた。
執事の報せを受けて急いで応接間に赴くと、婚約者の母、リンデン公爵夫人がおり、彼女はクロエを見るなり急いで椅子から立ち上がる。
「クロエ様……突然押しかけるような真似をいたしまして、誠に申し訳ございません!」
深く腰を折り、悲痛な声で公爵夫人は謝罪の言葉を述べた。
「この度は息子の無礼により、貴女様に多大なるご迷惑とご不快をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。このような恥を貴女様におかけしてしまい、お詫びのしようもございません……」
「いえ、どうぞ顔をあげてください、リンデン公爵夫人」
クロエの言葉は一見すると夫人を気遣うものだったが、その声は空気を切り裂くような冷たさを帯びていた。
それに気づいた夫人は顔を上げることを躊躇うも、クロエは構わず話し始める。
「夫人はご子息が何をなさったかを、ご存じでいらっしゃいますか?」
「…………はい、ここに来る前、愚息の口から直接聞いて参りました。愚かな息子は……貴女様に、とんでもない品を贈ったと……」
震える声で夫人はそう答えた。それが格上の身分の者にとんでもない恥をかかせたという恐れから来るものか、息子が露店の品などという物を婚約者に贈ったことへの恥から来るものか。おそらくは両方なのだろう。仮にクロエが彼女の立場なら、恥ずかしくてたまらなくなる。
「そうですか……。やはり、そうだったのですね……」
目を伏せ、実に哀しそうな顔で呟くクロエの声は今にも消えてしまいそうだった。
クロエは静かに振り返ると背後に控える侍女に命じた。件の贈り物を持ってくるように、と。
しばらくして、侍女が粗末な箱を持ってきた。彼女は静かにその箱を開け、夫人の目の前に差し出す。
「こちらが、ご子息から贈られた品です」
「…………ッ⁉」
例の髪飾りを見た夫人は驚愕のあまり、口元を両手で覆い、息を呑む。
それは想像以上にみすぼらしく、一目で貴族の令嬢が身に着けるに値しないものだと分かる。
ましてや、高貴な血筋のクロエにはなおさらだ。
「こ……こんな物を、息子が……貴女様に……」
驚きのあまり夫人の声は震え、言葉が途切れ途切れとなる。
こんな古びてくすんだ安物を、カレンデュラ家の令嬢に贈ったという信じがたい事実に夫人の顔は強張っていた。
「わたくし、嬉しかったのですよ。レオナルド様がはじめて贈ってくださった装飾品ですもの。嬉しさのあまりお茶会に着けていったのですが……皆様の反応を見て、分かってしまいましたの。レオナルド様の真意に……」
あくまで『怒り』ではなく、『悲しみ』を装う姿勢を崩さない。
内心では「こんなゴミを寄越しやがって!」と思っていようと、表向きは「あんなに喜んでいたのに……まさか、わたくしを嘲るための贈り物だったなんて」と悲しんでいる令嬢を装う。
その方が、レオナルドの屑さをより強調することが出来るから。
クロエが不当に虐げられる被害者であると見せた方が、レオナルドの悪辣さが際立つ。
本当は怒りたいけれど、今はその気持ちを必死に心の奥底へ押し込み『悲劇の令嬢』を演出する。
「このような物を贈ってまでお気持ちを示されるとは、レオナルド様はわたくしとの婚約に何か思うことでもあるのでしょうか……?」
ほろり、と蒼玉の瞳から涙を零すクロエに公爵夫人は息を呑む。
それは罪悪感を強く刺激しつつも、目を奪われるほど美しい姿であった。
「いいえ! 滅相もございません。貴家とご縁を結べることを当家一同大変光栄に思っております。すべてわたくしの不徳の致すところにございます。教育を間違えたとしか言いようがございません。息子には厳しく申し伝え、二度とこのような真似はさせません! クロエ様をこれほどまでにお悲しませしてしまい、誠に申し訳ございません……」
公爵夫人は痛みを噛みしめるように唇を結び、再び深く頭を下げた。
(母親はまともな常識をお持ちの御方なのに、その息子はどうして非常識に育ったのかしら……?)
婚約当初は比較的まともだったはず。いったい、いつから彼はあんな非常識で傲慢な男になってしまったのか。
それとも……あれこそが彼の本性で、ただ時間とともにメッキが剥がれ落ちていっただけなのだろうか。
おそらくは後者なのだろう。だが、恋人であるシェリーの影響も大きいような気がしてならない。
協力者からの報告書を読む限り、シェリーという女は頭を抱えたくなるような発言が多いそうだ。
クロエとしてはそれがこの世界の平民の価値観なのかと思ったのだが、同じ身分の協力者までがおかしいと言っているので、どうやらそうではないらしい。
「いえ、夫人が謝ることはございませんわ。きっとレオナルド様はわたくしのことをよく思っていらっしゃらないのでしょう……。人の気持ちは言葉ではなく、態度に表われると言います。……この髪飾りの価値が、彼にとってのわたくしの価値なのでしょう」
綿密に作り上げた哀しみの表情を夫人に向けて見せつける。本当はこれっぽっちも悲しくなどない。あんなゴミにゴミを贈られたところで同類を贈られたとしか思えないのだから。
「クロエ様……! そのようなことなど決してございません! 貴女様の価値がこの程度などということがあるものですか! 息子は……レオナルドは……目も頭もおかしくなってしまったのです……!」
公爵夫人は俯いたままその手をぎゅっと握りしめ、抑えきれない思いを吐き出すように言い放つ。
その姿にクロエはわずかに胸の奥が痛んだ。
彼女が女主人として家を守りたい一心で、ここに来ていることは分かっている。それでも、あそこまでこちらを馬鹿にしてくれたレオナルドに対して軽々しく許しを与えるわけにはいかない。
それはそれとして、「目も頭もおかしくなってしまった」という意見には強く賛同する。
まず、貴族の令嬢相手にあのような古く汚い品を選ぶ目も、それを良しとする頭もおかしい。
これで「クロエに嫌がらせしてやろう」という明確な悪意があったなら、あの品を選んだことも納得できる。だが、レオナルドの態度からはそういったものが見当たらなかった。
「では……何故、このような品をわたくしに贈ったのでしょうか。他の皆様がおっしゃるには、これは市場の露店に並ぶようなものだと……」
他の皆様、という言葉を聞いた公爵夫人がびくりと大きく肩を震わせた。
彼女がクロエのもとに謝りに来たのは社交界の噂を聞いたからだろう。誇り高い彼女にとって、このような粗悪品が息子の贈り物で、しかもそれを他の貴族の目にもが触れたという事実が耐えがたいに違いない。
そこまで辱めてしまったことは申し訳ない。だが、あれを身に着けて公の場に出た自分の方がよほど恥ずかしかったのだ。
「………………はい。実は、息子は粗悪な商人に騙されてそのような品を購入してしまったのです。かつてどこぞの国の王族が身に着けていた由緒正しき品だという見え透いた嘘を、愚かにも信じてしまって……」
「え? え……? だ、騙された……?」
いきなり夫人が突拍子もないことを言ったので、クロエは驚いて声を上ずらせた。
これは彼の恋人であるシェリーの口車に乗って市場の露店で購入したものであるはずなのに、どこから『商人』だの、『どこぞの王族』だのという話が出てきたのだろう。
首を傾げたクロエに夫人は俯いたまま語り始める。
「クロエ様の贈り物を選ぶためにと呼びつけた商人がとんでもなく悪辣な者でして、物の良し悪しが分からぬ未熟なレオナルドはその口車にまんまと乗ってしまい、このような粗悪な品を、大金をはたいてまで購入してしまったのです……」
「ま、まあ……それは、大変でしたのね……」
呆気に取られながら夫人の話を聞いていたクロエは「そういうことか」とハッと気づいた。
(なるほど……夫人はレオナルドが誰かに騙されて粗悪品をつかまされた、ということにしたいのね……)
夫人はレオナルドが「自分の意志で粗悪品を購入した」よりも、「誰かに騙されて粗悪品をつかまされた」ということにしたいのだろう。確かに前者なら目も頭もおかしいと判断されるが、後者であればただ騙された、ということになる。それはそれで貴族として致命的な気もするが、それでもあんな品を選ぶしか能のない男と思われるよりマシなのかもしれない。
それでも大分無理がある、とクロエは夫人の前に置かれている件の髪飾りに目を遣った。
これを身につけて茶会に参加したが、参加者の中で価値のある骨董品だと判断した者は誰もいなかった。皆一様に「庶民が着けるような安物だ」と見なしたのだ。なのに、レオナルドがこれを『王族由来の高価な品』だと思ったのなら、彼の目はこの装飾部分のガラスのように曇っている。
「騙された挙句にこのような品を貴女様に身につけさせてしまった愚かな息子には必ずや、然るべき形でお詫びに伺わせます。大変申し訳ございません。このようなお目汚しの品は回収させていただければと存じます。代わりに、こちらをお納めいただけますでしょうか」
そう言って夫人がクロエに差し出したのは繊細な銀細工の髪飾り。
ところどころに真珠があしらわれ、それがシャンデリアの光を受けてきらきらと輝いている。
(綺麗……)
思わずうっとりと魅入ってしまうほどの逸品。
その傍らに並ぶレオナルドからの贈り物など、比べ物にならないほどの美しさだった。
「夫人、こちらは……」
「こちらは王都の専門店で購入したものです。クロエ様の銀糸の髪によく映えるかと」
確かにこれはクロエに似合うと、一目で分かる。
クロエ自身も思わず身につけたいと思われるほどの美しさだ。
「……なんて綺麗なの。お心遣いありがとうございます。せっかくですので、ありがたく頂戴いたします」
「いえ、お気に召していただけたなら幸いです」
クロエが詫びの品を受け取ると、夫人はほっとしたように安堵の色を見せた。
母親にここまで尻拭いをさせるなんて情けない。そう思うほどにクロエの中でレオナルドへの嫌悪は深まっていった。謝罪するにせよ、文句を言うにせよ、本人が来て直接すべきだろう。
「レオナルドにも必ず謝罪させに参ります。多少、お見苦しい姿になっておりますが……お目汚しのほど、何とぞご容赦くださいませ」
え? 見苦しい姿?
夫人の言葉の意を測りかねてクロエは思わず目を瞬かせるのだった。




