母と兄の叱責
扉が重々しく閉まる音が広間に鈍く響いた。
ランプの光が揺らめき、緋色の絨毯の上で、その家の令息――レオナルドは立ち尽くしていた。
母――リンデン公爵夫人は背筋を伸ばして椅子に座り、扇を膝の上に置いたまま、冷ややかな目で息子を見つめている。その隣の椅子には彼の兄が座り、足を組んでいる。
「……どういうつもりなの、レオナルド」
母の声は低く、しかし刃のように冷たい。
彼女の指先が扇を軽く叩くたびに室内の空気が震えた。
「これはお前がクロエ様に贈った髪飾りらしいわね? ……こんな物を婚約者に贈るなんて、お前の神経はどうなっているの!」
激高した母は手元にあった物をレオナルドに向かって投げつけた。
それは彼が婚約者に贈った髪飾りで、床に「カシャン」と乾いた音を立てて落ち、破片が周囲へと散らばる。
「え、あ……そ、その、これは……」
それを見た瞬間、レオナルドの脳裏に「まずい」の一言がよぎり、冷や汗が頬をつたう。
(どういうことだ……。 何故、母上がクロエに渡した髪飾りを?)
目の前の状況が信じられず、レオナルドは床に落ちた自分の贈り物を見ながら茫然とした。
確かにそれは自分がクロエに贈ったもので間違いない。心など一欠けらも込めていない、安いからと適当に選んだ品。青いガラスの部分がクロエの瞳に合わせて選んだと思わせられるだろうな、という浅はかな気持ちで贈った品だ。
「御覧なさい、これは落としただけでこんな簡単に壊れてしまうようなガラクタよ。こんなものをよくもまあ、恥ずかしげもなくクロエ様の眼前に晒せたものね……」
こんなにも簡単に壊れてしまうほど脆い造り。ガラクタとも言えるような粗悪品をクロエの前に晒したことが、母の怒りをさらに掻き立てていった。
「い、いや……母上、これは……」
「これは……なに? どういうつもりで名門カレンデュラ家のご令嬢に、ガラクタを贈ったというの?」
怒りに満ちた母の形相を前にレオナルドは言葉を失った。
まずい――。本能がそう告げ、冷たい恐怖が背筋を走る。
そして愚かにも誤魔化そうとかえって悪手を打ってしまう。
「違います! そんなものをクロエに贈った覚えはありません!」
「は? なんですって……?」
彼が咄嗟に思いついたのは、事実を否定するということだった。
「この僕がそんな粗悪品を婚約者に贈るなど――断じてありえません! 知りませんよ、そんなガラクタは」
どういった経緯で母に手元にその品があるのかは不明だが、それをレオナルドがクロエに贈った品だと肯定してしまえば烈火の如く怒られるのは目に見えている。それなら否認してしまえばいい……と、彼は浅はかにも思った。
「クロエ様は、これはお前が贈った品だとおっしゃっていたけれど…?」
「それは嘘です。実は…クロエは以前から僕の関心を引こうとして、小さな嘘を重ねていたのです。これも、きっと私の気を引こうとしてのことなのでしょう。まさか……わざわざこんな物まで用意するなんて、恐ろしい……」
あたかも婚約者に悪者に仕立てられている哀れな男、といった風に悲し気な顔で俯くレオナルド。
夫人はそんな息子を疑わしげに見つめていると、横からそれまで黙っていた兄が口を挟んだ。
「お前こそ嘘をつくな。先程、お前はその髪飾りを見た瞬間『まずい』と言わんばかりに焦っていたじゃないか? あの態度を見る限り、そのガラクタをお前が知らないというのは無理がある。クロエ様を悪者に仕立てるような卑怯な真似までして誤魔化そうと企むか? 我が弟はそこまで恥知らずに成り下がったか……」
レオナルドの嘘を見抜き、みっともない真似をするなと叱る兄に彼は反論の言葉も出ず、悔しさで唇を噛みしめた。
「お前はいったい何がしたいんだ? あんなガラクタを贈ったり、婚約者を悪者に仕立てたり……お前の真意が、まったくわからん。何のつもりでこんな真似をする? 冗談ではすませられないと理解しているか?」
「い、いや……その……」
兄の鋭く責める言葉にレオナルドは声を詰まらせた。
理由を聞かれても、それに返す上手い言葉が見つからない。
ガラクタ──くすんだみすぼらしい露店の髪飾りを贈ったのは、単に金が無いから。
クロエを悪者に仕立て上げたのは、母親に怒られたくないから。
しかしそれを馬鹿正直に言えば、母どころか兄にまで怒髪天を衝く勢いで叱られてしまうことは確実である。
(どうしよう……。なんでこんなことに……。やはりあの時、あんなみすぼらしい品を選ぶべきじゃなかった……!)
レオナルドは今さらながら過去の行いを深く後悔した。
シェリーに言われるまま露店へ行き、あの髪飾りを選んでしまった、あの時のことを。
その瞬間、彼の頭の中にあの日の記憶が蘇る。
あの日。いつものレストランで食事を終えた後、シェリーに導かれるまま市場の露店へと向かった。
そこで彼は人生で初めて庶民の装飾品を目にしたのだが、あまりのみすぼらしさに目を見張った。
──汚い品ばかりだ……。庶民はこんなものを身に着けるのか?
地面の上に布が敷かれ、そこに無造作に置かれている品々はすべてどこか汚れていてくすんだものばかり。
公爵家で生まれ育ったレオナルドにとって、それはおよそ身に着けたいと思わせるような品ではなかった。
流石にこんなガラクタも同然の物を貴族の令嬢に贈るのは、まずいのではないか……。そう思って躊躇したレオナルドに、シェリーは「ねえ、これとか可愛いんじゃない?」としきりに勧めてくる。
──可愛い? これが……?
声には出さなかったが、シェリーが手に取った首飾りを見た瞬間、レオナルドの頬がひきつった。
装飾部分がところどころ欠けていて、変な染みがつき、錆ついたそれはとてもじゃないが人に渡せる品ではない。
何よりレオナルドが触ることすら嫌がったので、「いや、出来れば青色が入っている物の方が……」と断った。
「青色? なんで?」
「えっと……婚約者の瞳の色なんだ」
「そうなんだ。ふーん……じゃあ、この辺は?」
そう言ってシェリーは青色のガラスが嵌め込まれた品々を指差す。先程の首飾りと比べると比較的綺麗に見えたので、レオナルドも内心で「これならいいか」と思ってしまったのである。そして選んだ品があの髪飾りというわけだ。
「レオ、いいのが買えてよかったね!」
「あ、ああ……そうだね」
買い物を終え、シェリーが上機嫌で腕に絡んでくるのをレオナルドは素直に喜べなかった。
心のどこかで「これを贈って本当によいのだろうか……」と悩む気持ちがある。
今まで上質の宝石をあしらった装飾品ばかりを目にしてきた彼にとって、この髪飾りは贈り物に値するものではない、と頭では理解していた。
──いや、待てよ……これほどみすぼらしい品なら、むしろ身に着けないのでは?
ふと、そんな考えが浮かんだ。
高貴な身分のクロエがこんなガラクタを身に着けるとは思えない。それに、もしかすると受け取らずに返してくるかもしれない。
受け取るにせよ、受け取らないにせよ、『贈った』という名分は果たせる。
クロエが身に着けさえしなければ、レオナルドがガラクタを贈ったという事実は外には漏れない。
ならば、いいのではないか。そう考えたレオナルドは、迷いなくクロエにあの髪飾りを贈った。
まさか、彼女がそれを茶会で身に着け、たくさんの貴婦人の目に触れることなど微塵も予想せず――。




