騒然となるお茶会
大理石のテラスに秋の光がやわらかく降り注ぐ。黄金色の陽に照らされた貴婦人たちはそれぞれ薄絹のドレスをまとい、胸元や髪に宝石をあしらっていた。白磁のティーセットの縁には繊細な蔓草模様が浮かび、琥珀色の紅茶が湯気を立てている。
本日は、ある侯爵夫人が催す茶会の日。
社交界に名を馳せるその夫人のもとには名門の貴婦人たちがこぞって集まる。
その午後の優雅な静けさを、ひとつの足音が破った。
控えの侍女たちがさっと動いたのを見て、広間の入り口に視線が集中する。
軽やかな絹擦れとともに姿を現したのはカレンデュラ家の嫡女、クロエであった。
彼女が身に纏うレモンイエローのドレスは光を受けて煌めき、見る者の目を奪うにふさわしい艶やかさだった。上質な絹に淡いレースがふんだんに施され、細部まで贅を尽くした装い。しかし――その完璧さを、一点の違和感が揺るがせる。
彼女の髪だ。
クロエの銀糸の髪は、見る者を惹きつけるほど美しかった。
だが、その美しい髪を飾っていたのはあまりにも質素な髪飾り――場違いとすら思えるほど。
お世辞にも名家の令嬢が身に着けるには不釣り合いな、まるで庶民の品のよう。
「……あれは、まさか……」
「骨董趣味……かしら?」
「いえ、あれはまるで……市場の露店に出ている品のような……」
誰も声を大にして問うことはできない。ただ、疑念と驚きによるざわめきが、さざ波のように静かに広がる。
クロエはそれらを気にすることなく、穏やかに椅子に腰を下ろす。目元に笑みを湛えたその表情は凛として気高い。
やがて、主催の侯爵夫人が遠慮がちに声をかける。
「ようこそおいでくださいました、クロエ様。わたくしのお茶会にお越しいただき、誠に光栄でございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。侯爵夫人」
「……ところで、クロエ様。本日は……その、随分と珍しい髪飾りをしていらっしゃいますのね」
問いかけとも賛辞ともつかぬ、言葉選び。しかしクロエはまるでそれを待っていたかのように、悲し気な顔を作る。
「ああ……やはり、これは普通ではございませんのね」
静かに放たれたその一言に、場の空気が変わる。
誰もが言葉を失い、思わず周囲と目を見合わせた。さきほどまで耳に心地よかったティーカップの触れ合う音すら聞こえないほど、場は騒然となる。
皆、問い質したいと思いながらもクロエ相手にそれは無作法にあたると考え、言葉を飲み込んでいた。
やがて、空気を読んだ侯爵夫人が慎重な声で問いかける。
「その……失礼を承知で伺いますが、そのお飾り……もしや、ご婚約者から?」
その言葉に、クロエの指先が一瞬止まる。
答えが返るまでのわずかな間に貴婦人たちの間で見えない緊張が走った。
現在、社交界では婚約者のレオナルドがクロエを蔑ろにしているという噂が広まっている。
もし、あの貴族令嬢が身につけた場違いなほどくたびれた安物の髪飾りが婚約者から贈られたものだとしたら――あの噂は真実ということになる。
そんな空気の中、クロエはほんの少しだけ哀しそうな顔で告げた。
「ええ……。彼からの贈り物です」
それだけで、全てが伝わった。
この贈り物は彼女の婚約者が彼女を蔑ろにしているという証。
リンデン家の令息は、カレンデュラ家の嫡女を軽んじているという、あからさまな意図をもった品。
その意味に気づいた瞬間、貴婦人たちの間に緊張が走る。
「まあ……なんと……」
誰かが絞るように声を漏らす。
しかしクロエはその反応すら予想していたかのように視線を遠くに向けていた。
「婚約者がはじめて贈ってくれた装飾品ですもの……身につけないわけにはいきませんわ」
「え? はじめての贈り物……?」
その言葉にまたもや場が騒然としだす。
「はじめてって……婚約してもう何年も経っておりますわよね?」
「その間に装飾品ひとつ贈らないなんて……貴族として有り得ませんわ」
「もしかして、夜会でドレスを贈らないという噂も本当ですの……?」
困惑のせいか、貴婦人たちの囁き声は思いのほか大きかった。クロエの耳にまで届くほどに。
クロエは彼女たちの言葉にうっすらと微笑みを浮かべた。
その茶会での出来事は瞬く間に社交界へと広がった。
華やかな貴婦人たちを前にして、婚約者からの贈り物だというみすぼらしい品を堂々と身に着けたクロエの姿は気高くもどこか寂し気な雰囲気を纏っており、それだけに同情を誘うものであった。
髪飾りひとつでクロエは『レオナルドが非礼を働いた』という印象を彼女達に確実に植え付けること。
それが彼女の狙いだった。
(貴族なんて噂が命取りなのだから、常識から外れた行いは慎むのは当然なのよ。本当に馬鹿ね……)
ドレスの噂の件で懲りて改心してくれれば、クロエもここまでのことはしなかった。
だが、レオナルドは改心するどころか更に増長し、あろうことか露店の髪飾りなどという庶民が身に着ける品を贈りつけてきたのだ。恥ずかしげもなく、何の躊躇いもなく、平気でそんなことが出来る神経が最早理解できない。
予め協力者からそれについて知らされていたから対策を打てたが、知らずに受け取っていたらあまりの非常識さに激高して罵っていたかもしれない。そうなれば彼は他所で「クロエに贈り物を渡したら気に入らなかったらしく喚き散らされた」などと話し、クロエを我儘な女と仕立てる可能性がある。あんな物を贈られるという侮辱を受けた挙句に悪い噂を流されるなどごめんだ。
別に、物の値段が安かったとか、庶民の使う品だったとか、そんなことで怒っているわけではない。
レオナルドがクロエの為にと心を込めて選んでくれた物ならば、安物であろうと庶民の物であろうと喜んだだろう。だが、あの贈り物に彼の”心”など一欠けらも込められてない。込められているとすればクロエをどうでもいい存在だと軽んじている気持ちだけ。
レオナルドは愛する”シェリー”相手にはそんな安物は贈らない。調査書によると、彼がシェリーに贈るのはいずれも貴族御用達の店で購入した高価な品ばかり。庶民向けの店で彼女への贈り物を選んだ形跡はひとつもない。
彼にとってクロエはくたびれた安物を贈っても構わない程度の存在なのだと、痛いほど理解した。
そしてそこまでの侮辱を受けて黙ってもいられなかった。黙っていることで彼は図に乗り、余計にクロエを見下すだろうから。
あんな男に見下される謂れなど一つもない。そして、自分がした行いが社交界でどう思われるのかを彼はしっかり知るべきだ。クロエを馬鹿にすることが、如何に愚かな行為か思い知るといい。
地に落ちてしまった自分の評価を知った彼はどう出るだろうか……と思っていた矢先、レオナルドではなく彼の母親が謝罪に訪れた。
「クロエ様……この度は息子が申し訳ございませんでした」
哀れなほどやつれきったレオナルドの母、リンデン公爵夫人がクロエの前で深々と頭を下げた。




