73.森の中は…
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森の中は、妙に静かだった。
鳥の鳴き声が少ない。
虫の音も弱い。
湿った土の匂いに混じって、どこか甘ったるい香りが漂っている。
その正体は、すぐに分かった。
「……すごい数ですね」
ミハイルが思わず呟く。
茸だった。
青白い斑点を持つ茸が、森の至るところに生えている。
木の根元、倒木、岩の隙間、腐葉土の上。
まるで森そのものへ侵食しているようだった。
村長の家に吊るされていたものと同じ種類。
だが量が違う。
異常な繁殖密度だった。
俺は足元の茸を見下ろしながら言う。
「触るな」
ミハイルが慌てて手を引っ込めた。
「さ、触りませんよ」
その直後。
ヴェルナが真顔で続ける。
「舐めるな」
「舐めませんって!?」
「ソロモンならやりかねん」
「やらん」
俺は短く答える。
一拍。
「今は」
「今はって何だよ」
ヴェルナが露骨に嫌そうな顔をした。
俺はしゃがみ込み、茸を観察する。
胞子。
傘の状態。
周囲へ漂う微細な粉末。
そして、周囲の魔力波がわずかに乱れている。
「……なるほど」
「何かわかったんですか?」
ミハイルが少し離れた位置から聞く。
「胞子が空気中へ広がっている」
「吸い込み続ければ神経へ作用するな」
ミハイルの顔が引きつった。
「やっぱり危ないじゃないですか……!」
「危険ではある」
「ただ即死する類ではない」
「基準が怖いんですよ先生は」
ヴェルナが鼻を鳴らす。
「だから立ち入り禁止なんだろ」
三人は慎重に森を進んでいく。
地面は湿っていた。
時折、青白い胞子が風で舞う。
ミハイルはなるべく口を閉じて歩いていた。
その時。
ガサッ、と茂みが揺れる。
ミハイルが反射的に杖を構えた。
「っ!」
飛び出してきたのは、大型の狼型魔物だった。
灰色の毛。
痩せた身体。
赤く濁った目。
「フォレストウルフか」
ヴェルナが前へ出る。
だが。
狼は妙に興奮していた。
涎を垂らし、低く唸る。
視線もどこか焦点が合っていない。
俺は小さく呟く。
「胞子の影響か」
「幻覚でも見てるんでしょうか?」
「恐らくな」
次の瞬間。
狼が飛びかかる。
ヴェルナが一歩前へ出た。
剣閃。
一撃。
狼はそのまま地面へ転がった。
静寂。
「……弱いな」
ヴェルナが剣を払う。
「まともに判断できてねぇ」
俺は狼の目を見る。
瞳孔が異常に開いていた。
「神経系へかなり作用しているな」
「先生、そんなの分かるんですか?」
「見れば分かる」
「雑だな説明が」
三人はさらに奥へ進む。
森は徐々に暗くなっていった。
木々が密集し、光が届きにくい。
茸の数も増えている。
時折、妙な笑い声のような音まで聞こえた。
ミハイルが顔を青くする。
「……今の、聞こえました?」
「動物の鳴き声、だろうな」
ヴェルナが答える。
だが、その声にも少し警戒が混じっていた。
その時だった。
高い枝の上で、何かが動く。
カサッ。
軽い音。
ミハイルが見上げる。
「猿……?」
そこにいたのは、小柄な猿型魔物だった。
黒い毛。
長い尾。
異様に赤い目。
だが、次の瞬間。
その口元が赤く光った。
「――っ?」
ボッ!!
炎が吐き出された。
火球。
一直線に飛来。
ヴェルナが目を見開く。
「はぁ!?」
咄嗟に横へ飛ぶ。
炎が木へ直撃した。
爆ぜる。
火の粉が舞う。
ミハイルも完全に固まっていた。
「ま、魔法!?」
猿は枝から枝へ飛び移る。
そして再び口元へ赤い光を集め始めた。
ヴェルナが叫ぶ。
「おいおいおい待て!!」
「なんで猿が魔法使ってんだ!?」
火球が放たれる。
今度はミハイルが盾で受け止めた。
熱風が吹き抜ける。
「せ、先生!!」
だが。
俺だけは冷静だった。
「興味深いな」
「興味深いじゃねぇよ!?」
ヴェルナが叫ぶ。
猿は威嚇するように牙を剥く。
口元に再び炎。
だが俺は静かにそれを観察していた。
「肺の構造が特殊なのか」
「あるいは魔力器官を持っているのか」
「あるいは…」
「分析してる場合か!?」
ミハイルも半分叫んでいた。
俺は火球を避けながら答える。
「何を驚く必要がある」
「いや驚くでしょう普通!?」
「魔法ですよ!?」
俺は少しだけ考える。
「人間に使えるなら、他の生物が使えても不思議はない」
沈黙。
ヴェルナとミハイルが固まった。
「……いや」
ヴェルナが引きつった顔で言う。
「普通はそこまで自然に受け入れねぇんだよ」
「魔物が魔法を使うなんて聞いたことないぞ!?」
「前例が少ないだけだろう」
俺は猿を見る。
「生物が環境へ適応するのは当然だ」
「この森は魔力の濃度が高いのだろう」
「なら変異種がいても不自然ではない」
猿が再び火球を放つ。
だがその前に、俺は魔法を発動していた。
光を屈折させて、いる場所を誤認させる。
炎は木の横を逸れて消えた。
猿が驚いたように動きを止める。
俺は静かに呟く。
「……面白い」
その目だけが、完全に研究者のものだった。
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