47.ジュディ先生
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職員棟の廊下。
私――ジュディは資料を抱えたまま、角の向こうをじっと見ていた。
数メートル先。
窓際に、一人の男が立っている。
ソロモン先生。
今、この学院で最も話題になっている臨時講師。
そして──
(変わってない……)
私は小さく息を呑む。
無表情。
感情の薄い目。
どこを見ているのか分からないような視線。
昔と同じだった。
違うのは、周囲の空気だけだ。
学生時代は“変人”として距離を取られていた。
今は、“得体の知れない実力者”として恐れられている。
だが。
私には昔から分かっていた。
この男は、昔からずっとこうなのだ。
(……声をかけるだけ)
たったそれだけ。
なのに、一週間できていない。
学院へ戻ってきたと聞いた時から、ずっと落ち着かなかった。
授業の噂を聞くたびに思い出す。
昔のことを。
まだ学生だった頃。
夕方の旧研究棟。
人の少ない廊下。
『や、やめてください……』
当時の私は、今よりずっと気弱だった。
断るのも苦手だった。
だから目を付けられた。
上級生の男子数人。
最初は軽い嫌がらせだった。
進路を塞ぐ。
身体を触る。
制服を隠す。
笑いながら。
遊び半分で。
『別に減るもんじゃないだろ?』
『ちょっと付き合えって』
怖かった。
声も出なかった。
誰も助けてくれないと思っていた。
その時。
『何をしている?』
後ろから声がした。
男子生徒たちが振り返る。
そこにいたのが、当時同級生だったソロモンだった。
『……は?』
『別に遊んでるだけだけど』
『そうか』
ソロモンはそれだけ言った。
怒りもない。
正義感らしきものも見えない。
ただ。
次の瞬間。
『うおっ!?』
男子生徒の一人が壁へ激突した。
『な、なんだ!?』
『前が……!?』
視界が歪む。
床の感覚が狂う。
距離感が消える。
ソロモンは淡々と光を操作していた。
『人の視覚は案外脆い』
『屈折率を少し弄るだけで、平衡感覚は簡単に崩れる』
当時の私には何を言っているのか分からなかった。
ただ。
男子生徒たちが恐怖で顔を青ざめさせていたのだけは覚えている。
『二度と近付くな』
その声だけは、少し冷たかった。
男子生徒たちは逃げるように去っていった。
静寂。
私は震えたまま立ち尽くしていた。
ソロモンはそんな私を見て、小さく首を傾げた。
『……?』
『もう終わったぞ』
それだけ。
助けたという意識すら薄かった。
だが。
私にとっては、それで十分だった。
ずっと忘れられなかった。
その後も、何度か遠くから見ていた。
教師と揉める姿。
意味不明な実験をして怒られている姿。
研究棟を半壊させた騒ぎ。
全部見ていた。
なのに。
一度も話しかけられなかった。
卒業後、そのまま離れた。
もう会うことはないと思っていた。
それなのに。
(……今日こそは)
私は小さく拳を握る。
そして意を決して歩き出した。
「……あ、あの」
声が裏返りそうになる。
ソロモン先生が振り返った。
「ん?」
相変わらず無表情だった。
私は必死に笑顔を作る。
「お、お久しぶりです…覚えてますか?元同級生のジュディです」
一瞬。
沈黙。
ソロモン先生は私を見たまま止まる。
数秒。
かなり真剣に考えていた。
(あっ)
私の心が嫌な音を立てる。
「……すまん」
ソロモン先生が言った。
「名前だけだと分からん」
私の笑顔が少し固まる。
「え、えっと……旧研究棟で、その、助けてもらったことが……」
「旧研究棟?」
ソロモン先生はさらに考える。
「……ああ」
思い出したらしい。
私の顔が少し明るくなる。
だが。
「生徒を使って視界操作の実験をした時か」
「…………」
違う。
思い出してほしいのはそこじゃない。
私は数秒黙った。
ソロモン先生は普通に続ける。
「あの術式は悪くなかった」
「少し危険なため自分以外の協力者が中々見つからなくてな」
完全に実験の思い出として記憶されていた。
私は小さく視線を落とす。
(……やっぱり覚えてない)
いや、正確には。
“助けたこと”として認識していない。
ソロモン先生にとっては、ただの日常だったのだ。
それが分かってしまった。
なのに。
「……ふふ」
思わず小さく笑ってしまう。
「?」
ソロモン先生が不思議そうに見る。
私は少しだけ肩の力を抜いた。
「いえ、ソロモン先生さんらしいなって」
ソロモン先生は意味が分からない顔をしていた。
その顔を見て。
私は改めて思う。
(本当に変わってないんだなぁ……)
だからきっと。
自分はずっと忘れられなかったのだろう、と。
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