28.噂
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朝のギルドは、いつも通り騒がしかった。
酒の匂いと、昨日の残りの議論。
「結局ユムシってアリなのかナシなのか」
「ナシだろ普通に」
その中心を、俺は通り抜ける。
依頼書は持っていない。
ただ、誰かの話を聞いていただけだった。
「北のリア村に、“見た目が異様だが極めて美味な郷土料理”があるらしい」
その一言だけで十分だった。
「リア村に行ってくる」
俺はそれだけ言う。
受付嬢が一瞬固まる。
「あ、えっと……?」
「興味がある」
それで終わりだった。
ギルド内がざわつく。
「また単独で行くのかあいつ……」
「絶対ろくでもないことになるやつじゃん」
その騒ぎの中で、ヴェルナは椅子に座ったまま顔を上げる。
「またか」
それだけだった。
止める気配はない。
慣れている。
むしろ、少しだけ諦めに近い。
「お前、ほんとそういうの好きだな」
俺は軽く頷く。
「未知の食文化は重要だ」
「重要の方向がおかしい」
「行ってくる」
ヴェルナはため息をついた。
「はいはい、勝手にしろ」
投げやりではない。
信頼でもない。
ただの“またいつものやつ”だった。
「変なもん食って死ぬなよ」
「たぶん死なない」
「そこは断言しろ」
「努力する」
「不安しかねぇ」
俺はそれ以上何も言わず、ギルドを出る。
扉が閉まる。
残った空気だけが少しだけ重い。
「……また面倒なことになりそうだな」
ヴェルナはぼそりと呟く。
だが立ち上がる気はない。
止めに行くこともしない。
もう分かっている。
外は晴れていた。
俺はそのまま、ひとりで北へ向かう。
噂の地、リア村へと。
とある宿屋では、このような会話が繰り広げられていた。
外套を脱いだ私は、卓上の地図を指でなぞる。
「ソロモン、単独で出発を確認」
短い報告。
部屋の奥で、聖騎士長は窓の外を見たまま動かない。
「予定通りか」
低い声だけが返る。
私は一拍置いて続ける。
「北方地方、旧鉱山跡を経由するルートの馬車です。例の“希少食文化”の噂を流した地域と一致します。おそらく、誘導は成功しているかと」
聖騎士長はようやく振り返った。
「よくやった」
それは賞賛ではなく、確認に近い。
机の上には、複数の報告書が並んでいる。
ソロモンの行動履歴。
ギルドでの食材騒動。
魔物の処理記録。
そして、ヴェルナの監視報告。
「吸血種は同行していないのだな」
「はい。今回は単独です」
聖騎士長はわずかに目を細めた。
「ならば好都合だ」
静かに椅子から立ち上がる。
「第一段階は予定通り」
「次はいかが致しますか?」
私が問う。
「少数での吸血種の"浄化"――つまり、いつもの仕事だ」
「はい」
「さらに――」
一瞬、間が空く。
「私はソロモンに接触を図る」
私の眉がわずかに動く。
「吸血種の処理ではなく、ですか」
「そうだ」
聖騎士長は淡々と答える。
「吸血種は通常業務だ。異常なのはそちらではない」
視線が窓の外へ戻る。
秩序。
「光を扱いながら体系に属さない…それが本物ならば――」
言葉はそこで切れる。
代わりに、静かな決断だけが残る。
(私が直接見る)
私が一瞬だけ沈黙したあと、深く頭を下げる。
「了解しました」
聖騎士長は外套を手に取った。
その動きに迷いはない。
「準備を整えろ」
「接触は私が行う」
「必要ならば――」
一拍。
「確保する」
宿屋の扉が開く。
夜に近い光が廊下へ流れ込む。
その中へ、聖騎士長は一歩踏み出した。
目的は明確だった。
吸血鬼ではない。
裏切り者でもない。
ただ一人。
未知の光を扱う男。
ソロモンへと向かって。
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