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第3話:貯金0円、スマイル0円

 監視カメラを売り払って手に入れた三万円は、あっという間に溶けていった。

 光熱費の滞納分、米、調味料、業務スーパーの徳用パスタ。生きていくのに最低限必要なものを揃えただけで、残高は風前の灯火だ。


 食卓は再びもやし中心に逆戻りしつつあり、朝はなし、昼はもやし炒め、夜ももやし炒めの毎日。

 今はまだ余裕があるが、こんな生活でもあと2週間もすれば立ち行かなくなるだろう。


 ある日の夕食時。

 もやし炒めをモソモソと食べる俺の向かいで、すずめがじっと俺の皿を見つめている。

 その目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気づき、俺は箸を止めた。


「……おい、どうした」


「……ごめんなさい。あなたに、こんなものしか食べさせてあげられなくて……」


「いや、俺は別にこれで——」


「……あなたは、もっと美味しいもの食べていい人なの。お肉とか……ちゃんとした、ごはんとか……」


 すずめの声が震えている。

 こいつは自分の食事なんてどうでもいいと本気で思っているタイプの人間だ。

 ただ、愛する男に惨めな食事をさせていることが、何よりも耐えがたいらしい。


 そして翌日。

 スーパーの帰りに、彼女は一枚の求人チラシを持ってきた。


「……これ、やりたい」


「ん?」


 チラシには、駅前の大手ハンバーガーチェーンの求人が載っていた。

 時給1100円。まかない付き。


「確かにバイトをしてくれるのは嬉しいが、大丈夫か? 前職は出勤が辛くなって辞めただろ?」


「……大丈夫。ここ、家から近いから……あなたと離れても、ギリギリ耐えられると思う……」


 しかし、すずめの目は本気だった。

 俺にもっといい飯を食わせたいという、純粋に俺を思う瞳の奥で燃えている。


「……わかった。俺にいいアイデアがある」


「……アイデア?」


 前職のOL時代も、愛する男の寝顔が恋しくて早退を繰り返した挙げ句にクビになった女だ。

 まして見ず知らずの客に愛想を振りまくなど、到底できるとは思えない。


 だが、彼女自身にやる気がある以上、頭ごなしに止めるのは得策ではない。

 俺がこいつをサポートしてやるんだ。


「まだ売ってない小型のインカム、残ってるだろ?」


「……うん。予備が一つ……」


「それをお前がつけろ。俺がこの部屋から遠隔で全部指示を出す」


 すずめは客から何か言われたら、俺の指示通りのセリフをオウム返しするだけでいい。

 対人コミュニケーションの負担は俺が肩代わりし、すずめは実作業にのみ専念する。最強の分業体制だ。


「これなら、仕事中も俺と一緒だろ?」


「……っ!」


 すずめの瞳孔がカッと見開かれた。

 脳内麻薬がドバドバと分泌されているのが、目に見えるようだ。


「……あなたの声が、ずっと耳の中に……仕事中も、ずっと繋がってる……」


「そうだ。だから安心しろ。まずはリハーサルをやるぞ」


 俺はスマホを取り出し、すずめの耳に装着したインカムとペアリングを行った。

 マイクに向かって、試しにテスト音声を吹き込んでみる。


「あー、テステス。聞こえるか、すずめ。俺はいらっしゃいませと言ったら、お前も復唱しろ。いらっしゃいませ」


「……はぁっ……っ!」


 すずめは復唱するどころか、その場にへたり込み、両手で顔を覆って身悶えを始めた。


「……でゅふ……耳の奥に……あなたの声が……直接、響いて……脳みそを、舐められてるみたい……っ!」


「キモい表現をするな! 発情してないで真面目にやれ!」


「……ごめん、なさい……もう一回、もっと……低い声で、耳元で囁いて……」


「ただの性癖の開拓じゃねえか! いいから立て! 客が来たら『いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ』だ!」


「……い、いらっしゃいませ……はぁっ……ご注文を……どうぞ……ぉぉ……」


 頬を朱に染め、恍惚とした表情で接客用語を呟くすずめ。

 先行きに強烈な不安を覚えながらも、俺たちのアルバイト計画は幕を開けた。


 ***


 数日後。

 駅前の大手ハンバーガーチェーン店。

 昼夜問わずいつでもシフトに入れますという狂気の労働意欲が買われたのだろう、人手不足も相まって、顔合わせ程度で採用が決定した。

 本日から晴れて新人アルバイトである。


 俺は自宅のベッドの上でノートパソコンを開き、すずめの胸元に仕込んだ超小型カメラの映像と音声をモニタリングしていた。


『いらっしゃいませ、こんにちは』


 俺がマイクに囁く。

 場所はハンバーガーショップだが、高級料亭の女将になった気分だ。


「いらっしゃいませ、こんにちは」


 彼女が復唱する。

 最初はぎこちなかったが、俺のことが好きで監禁までしてしまうヤンデレだ。

 好きな人が耳元でささやいているとなれば、モチベーションが違う。

 彼女はメキメキと仕事を覚え、すぐにハンバーガーショップの戦力となっていた。


『ご注文を聞いて』

「ご注文をお伺いします」


 客が注文を告げる。

 彼女はそれをレジに打ち込む。


『セットがお得、ナゲットが100円』

「セットがお得ですがいかがですか? 今ならナゲットが100円です」


 完璧だった。

 余計な感情を挟まず、マニュアル通りの完璧な接客。

 店長からも信頼され、彼女は順調にシフトをこなしていった。


「……すごいな、お前。完璧じゃないか」


 休憩時間、バックヤードで一人お茶を飲むすずめに向けて、俺は素直に称賛の言葉を送った。


『……ふふっ。あなたが、褒めてくれた……。もっと、もっと働いて、お金を稼いで……あなたに、いっぱい美味しいお肉、食べさせる……』


「ああ、期待してるぞ。この調子なら、すぐに時給も上がるかもな」


 俺は監視カメラから視線を外し、久しぶりに明るい未来を夢見た。

 これはイケる。

 すずめが働き、少し足りないコミュニケーション能力を俺がカバーする。

 このシステムさえあれば、俺たちは完全に社会の歯車として復帰し、安定した収入を得ることができる。

 これでようやく、あの悪夢のもやし地獄から永遠に解放されるのだ。


 ***


 しかし。

 平穏な日々は、唐突に終わりを告げた。


 勤務開始から一ヶ月ほど経ったある日。

 夕方のピークタイムに、男子高校生のグループが来店した。

 制服を着崩し、大声で騒いでいる。

 嫌な予感がした。


「うぇーい、お姉さん美人じゃん」


「マジ? 超クールじゃん」


 彼らはカウンターの彼女を見て、ニヤニヤと笑った。

 俺はインカム越しに指示を飛ばす。


『無視だ。事務的に注文を聞け』


「……ご注文をお伺いします」


 彼女は淡々と言った。

 だが、高校生たちは引かない。


「えー、冷たいなあ。もっと愛想よくしてよ」


「そうだ、これ頼もうぜ。メニューにあるし」


 一人の男子が、メニューの端を指差した。

 そこには小さくこう書かれている。


『スマイル 0円』


「お姉さんのスマイルください! テイクアウトで!」


「ギャハハ! 俺も俺も!」


 店内に下品な笑い声が響く。

 俺は舌打ちをした。

 面倒な客に当たってしまった。だが、ここを乗り切れば終わりだ。


『……作り笑いでいい。適当に口角を上げろ』


 俺は指示を出した。

 しかし。

 彼女は動かなかった。


「……」


「あれ? 聞こえないのかなー? スマイルくださいってば」


「はやく笑ってよー」


 高校生たちが煽る。

 俺は焦った。


『ここは適当に流したほうがいいって、な。ちょっと笑うだけだから』


 だが、彼女は頑として動かない。

 通話越しでも分かる。

 彼女の周囲の空気が、急速に冷えていくのが。


「……お断りします、私の笑顔は、彼氏だけのものですので」


 彼女がポツリと言った。

 マニュアルにはない言葉だ。


「はあ? どうせその彼氏なんてろくなヤツじゃないよ、俺に乗り換えようぜ」


 その言葉が彼女の逆鱗に触れたのだろう。

 彼女は少しうつむいた後、顔を上げた。

 

「お前らごときに見せる笑顔なんてない!!」


 ドゴォ!

 彼女はカウンターを拳で殴りつけた。

 レジが揺れ、トレイがガシャンと崩れ落ちる。

 店内が静まり返った。


「二度と来るなクソガキどもが! 殺すぞ!」


「ひっ……!」


 高校生たちは悲鳴を上げ、脱兎のごとく逃げ出した。

 後に残されたのは、凍りついた店内と、鬼の形相で立ち尽くす彼女。

 そして、真っ青な顔で駆け寄ってくる店長。


 モニターの前で、俺は静かに天を仰いだ。

 ……そうだった。

 俺はすっかり勘違いしていた。

 こいつは、俺に対して従順で、尽くしてくれる、ただのちょっとズレた健気な女の子なんかじゃなかった。


 いきなり好きな人を監禁する、考えなしの犯罪者だったわ……!


『……すずめ、もういい。帰ってこい』


 俺が力なくそう告げると、すずめはハッとして高校生たちを突き飛ばし、そのまま店の裏口から脱兎のごとく逃走したのだった。


 ***


 一時間後。

 息も絶え絶えでアパートに帰還したすずめは、ベッドの脇で正座し、消え入るような声で謝罪の言葉を繰り返していた。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……あなたのために、働こうと思ったのに……ごめんなさい……」


「……」


「……クビに、なりました……」


「……知ってる。いや、一ヶ月もよく頑張ってくれたよ」


「……ごめんね、あなた……。今日の晩ご飯……もやしの、塩炒めに、なります……」


 すずめの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。


「……いいよ。泣くな」


 俺は手を伸ばし、すずめの頭をぽんぽんと叩いた。

 怒っても仕方がない。彼女に合っていない仕事に挑戦させた、俺という脳の責任でもある。

 それに——あいつらに絡まれたとき、すずめが俺を馬鹿にされたことに怒ってくれたのは事実だ。


 やり方は最悪だったし、社会的には完全にアウトだったが、俺のために本気でキレてくれる人間なんて、こいつくらいのものだろう。

 それに免じて、頑張って接客業以外の求人でも探してやるか。

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