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第4話:河川敷の祝宴

 人間、極限まで金がないとどうなるか。

 答えはシンプルだ。

 原始に還る。


 晴天の空。

 俺と彼女は、アパートから徒歩十分の距離にある一級河川の河川敷に来ていた。


「……暑いね」


 隣を歩く彼女が、麦わら帽子を押さえながら呟く。

 白いワンピースにサンダルという清楚な格好だが、その手にはスーパーの袋と軍手が握られていた。


「スーパーのもやしすら高騰してる今、俺たちが生き残る道はこれしかない」


 俺は視線を足元の草むらに走らせた。

 そう、今日のミッションは野草採取だ。

 河川敷は食材の宝庫だ。誰の土地でもない場所に生えている草はなんとタダ。

 タダより安いものはない。


「見てみろ、あれを」


 俺は川岸の水辺を指差した。

 そこには、青々とした葉を茂らせた植物の群生があった。


「……草?」


「ただの草じゃない。あれはクレソンだ」


「クレソン……って、あのステーキの横にあるやつ?」


「そうだ。スーパーで買えば一束二百円はする高級食材。それが、ここでは取り放題だ」


 俺の声に熱がこもる。

 二百円。今の俺たちの一日の食費を遥かに超える価値だ。

 それが目の前に無限に広がっている。

 これはもはや、金を拾っているのと同義だ。


「すごい……! あなた、天才……!」


 彼女の目が尊敬の眼差しに変わる。

 こんなことで天才扱いされるのも複雑だが、背に腹は代えられない。


「いいか、根こそぎいくぞ。……いや、根っこは残せ。来週また生えてくるからな」


「はいっ! 私、頑張る!」


 彼女は嬉々として水辺に降り立ち、軍手をはめた手でクレソンをむしり始めた。

 俺も負けじと隣で作業を開始する。

 手錠の鎖がチャラチャラと鳴るが、そんなものは気にしていられない。

 今の俺たちは、都会の狩猟民族だ。


 それから一時間。

 俺たちは汗だくになりながら、河川敷の恵みを貪り尽くした。

 クレソン、ノビル、ヨモギ、ツクシ。

 大量の収穫だ。


「ふう……働いた……」


 彼女が芝生に寝転がる。

 俺もその隣に腰を下ろした。

 川面を渡る風が、汗ばんだ肌に心地よい。

 夕日が川面をオレンジ色に染め、空には一番星が光り始めている。


「……綺麗だね」


 彼女がポツリと漏らした。

 その横顔は、アパートの薄暗い部屋にいる時よりも、ずっと生き生きとして見えた。

 監禁生活を始めてから、こうして外の空気を吸うのは初めてかもしれない。


 いや、そもそも俺が社畜時代に、こんなふうに夕日を眺めたことがあっただろうか。

 毎日終電で帰り、休日も死んだように眠っていたあの頃。

 監禁されているとはいえ、野草を摘んで飢えを凌ぐ今の生活の方が、よほど人間らしい気がするのは皮肉だ。


 ……あれ? 監禁か、これ?


「水、飲むか?」


 俺は公園の水飲み場で汲んでおいたペットボトルを差し出した。

 中身はただの水道水だが、今の俺たちにはこの上ない命の水だ。


「ん……ありがとう」


 彼女は一口飲むと、それを俺に返した。

 俺も喉を鳴らして水を煽る。

 ぬるい水が、乾いた体に染み渡った。


「……うめぇ……」


「おいしい……」


 彼女もほうっとため息をつく。

 その頬が夕日に照らされ、少しだけ幸せそうに笑った。


「私、今、幸せかも」


「草取ってるだけだぞ」


「うん。でも、あなたと一緒に生きてるって感じがするから」


 河川敷の土手。

 傍らには泥だらけの野草の山。

 絵面はシュールだが、不思議と満ち足りた時間だった。

 金はない。明日食うものも、今日摘んだ草だ。

 だが、俺たちは生きている。

 誰にも頼らず、二人だけで生き延びている。

 その事実が、得体の知れない全能感を与えてくれた。


「……よし、帰って草パーティーだな」


「はいっ! 洗って、茹でて……最高のご馳走にします!」


 ***


 その日の夕食は、監禁生活が始まって以来の豪華な食卓となった。

 キッチンに立つすずめの手により、その辺の雑草が立派なごちそうへと変貌を遂げたのだ。


「……できた」


 テーブルに並べられたのは、ヨモギの天ぷら、タンポポの葉の胡麻和え、そしてノビルの味噌汁だ。

 もやし一色の世界に、鮮やかな緑色が輝いている。


「うまそうじゃねえか……!」


 俺は唾を飲み込み、揚げたてのヨモギの天ぷらに塩を振ってかじりついた。

 サクッという軽快な音とともに、口の中に春の香りが広がる。ほんのりとした苦味と、油のコクが絶妙にマッチしていて絶品だ。


「……美味い!! なんだこれ、その辺の草なのにめちゃくちゃ美味いぞ!!」


「……ほんと?」


 すずめが、パァッと顔を輝かせた。


「ああ。天ぷらにしたのが大正解だ。タンポポの胡麻和えも、シャキシャキしてていける。ノビルも風味が最高だ。肉なんかいらねえよ、これで大満足だ!」


「……嬉しい……。あなたが……私が採った草で、喜んでくれてる……」


 すずめは目を潤ませながら、自分の皿の天ぷらを口に運んだ。


「……美味しい」


「ん?」


「……あなたが、頑張って探してくれた草だから……。一番、美味しい……」


 すずめは恍惚とした表情で、もぐもぐとヨモギを咀嚼している。


「よーし、お前のおかげで完全に元気出たわ。明日はもっと遠出して、ツクシとかセリとか探しに行くか!」


「……うんっ! 私、あなたのためなら、山の草、全部刈り尽くす……!」


 俺たちは笑い合い、お腹いっぱいになるまで野草を貪り食った。

 久しぶりに満たされた胃袋が、心地よい眠気を誘う。

 明日もまた、二人でサバイバルだ。


「あ、そういえば……」


「どうした?」


「……天ぷらいっぱい揚げたら……サラダ油……全部、なくなった……。ごま油も、和え物で……底をついた……」


「あっ」


 俺は嫌な汗をかいた。


「……お味噌も、ノビル用に贅沢に使っちゃって……もう、ない……」


「ま、待て。ってことは……」


「……この残った葉っぱたちを食べるには……油と、調味料を……買い足さないと……」


 俺はすずめの言葉に、愕然とした。

 考えてみれば当然だ。アクの強い野草を美味しく食べるには、天ぷらにしたり、濃い味付けでごまかしたりする必要がある。

 そのための油代、調味料代、そして天ぷらを揚げるためのガス代。

 タダの草を美味しく食べるために、結果として多大なランニングコストが発生してしまっていたのだ。


「……油、高いよな……。ごま油なんか、特に……」


「……うん……。もやしなら……塩茹でするだけで……ガス代も、少しで済んだのに……」


 俺たちは顔を見合わせ、同時に理解した。

 コスパという一点において、人類の叡智の結晶である工場生産のもやしにその辺の雑草が勝てるわけがなかったのだと。


「……すずめ」


「……はい」


「昨日の晩飯は、夢だったと思おう。今夜からもやしに戻るぞ」


「……うん。私、もやし、大好き……。あなたと一緒にいられれば、もやしでも、ごちそう……」


 かくして、俺たちの輝かしい狩猟採集生活は、わずか一日で幕を閉じたのだった。

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