第2話:ヤンデレの愛はいくらで売れるのか
「持ってきた……」
パタパタと小走りで戻ってきたすずめの手には、少し古びたノートパソコンと、大学ノート、そしてボールペンが握られていた。
先ほどまでの幽霊のような生気のなさはどこへやら。彼女の目は異様なほどの熱を帯び、爛々と輝いている。
なにせ愛する男から、手足となって働けと直々に命じられたのだ。
ヤンデレ的思考回路において、最高のやる気スイッチを押されたということだろう。
忠犬のようにベッドの脇に正座したすずめを見下ろし、俺は一つ咳払いをした。
「よし。まずは現状確認だ。この家にある換金できそうなものを、そのノートに書き出せ。高く売れそうな順にな」
「……わかった」
すずめは真剣な表情でノートを開き、ペンを走らせ始めた。
カリカリという小気味よい音が部屋に響く。
なんだ、やればできるじゃないか。元OLという肩書きは伊達ではないらしい。
これで少しでもまとまった金ができれば、当面の食費くらいにはなるはずだ。
そのお金で時間を稼いでいるうちに、なんとかビジネスを軌道に乗せれば……
「……できた」
五分後。すずめが自信満々にノートを差し出してきた。
1位:あなたの抜け毛
2位:あなたの爪
3位:あなたの歯ブラシ
4位:あなたが愛用しているコップ
5位:私の臓器
「売れるかバカ!!!」
俺はノートを床に叩きつけた。
「ひっ!?」
「なんだこれは! 誰が買うんだこんなもん! 呪術師か!? それに五位! さらっとヤバいこと書いてんじゃねえよ! 生命への執着を持て!」
「だ、だって……私にとって一番価値があるのは、あなただから……」
すずめは涙目で抗議してきた。
なるほど、ヤンデレの脳内価値基準では、自分の臓器よりも俺の抜け毛の方が高価らしい。
光栄すぎて泣けてくる。年々希少価値を増しているとはいえ、俺の毛にそんな資産価値があったとは知らなかった。
「いいか、世間の価値観にもっと合わせろ。今すぐそのキモいコレクションを一掃して、もっと一般的な金目のものを探してくれ。ブランドバッグとか、貴金属とか、そういうのだよ」
「……ブランドもの、ない」
「は?」
「服も、カバンも、全部フリマアプリで売っちゃった……あなたの食事代にするために……」
すずめは俯きながら、消え入るような声で言った。
俺は頭を抱えた。
道理で最近、彼女がいつも同じ毛玉だらけのスウェットを着ているわけだ。
こいつ頭はおかしいけど、マジで俺のこと好きなんだな。
「……じゃあ、家電は? 使ってないものはないのか」
「テレビは……あなたが毎日アニメ見てるから、売れない……。冷蔵庫と洗濯機は必須だし……」
本当に何もない。見事なまでのすっからかんだ。
俺は深く息を吐き、思考を巡らせた。
「マジで詰んだか……?」
腕を組み、ぐるぐると部屋を見渡す。
何もない。殺風景な部屋だ。ベッドと小さなテーブル以外は、必要最低限の家具しかない。
やたらと部屋の四隅に置かれている観葉植物や、本棚の隙間に鎮座しているクマのぬいぐるみ……金になりそうなものは……
俺はふと、クマのぬいぐるみの真っ黒なプラスチックの目玉と視線が合った。
……ん?
「おい、すずめ。あのぬいぐるみの目、なんか変な光り方してないか?」
「……あっ」
すずめがビクッと肩を揺らした。あからさまな動揺を隠し切れていない。
「お前……まさかあれ」
俺はベッドから身を乗り出し、ぬいぐるみに手を伸ばした。
葉っぱの隙間から、黒いレンズがチラ見えしている。
「なんだよこれ、超小型のハイビジョンカメラじゃねえか。しかも有名メーカーのかなりいいやつ。……なあ、この部屋にカメラ、いくつある?」
「……12個」
「多すぎだろ! 映画でも撮ろうとしてるのか?!」
俺は呆れ果てて天を仰いだが、その直後、俺の脳内に電撃のような閃きが走った。
「待てよ。これ……めちゃくちゃ高く売れるんじゃないか?」
「……売るの?」
「そうだ! お前が買い揃えたこの高性能な監視ガジェットの数々! これをフリマアプリに流すんだよ!」
***
作戦は大当たりだった。
すずめに部屋中をひっくり返させ、回収させた監視グッズの山。
超小型カメラ、マイク、ボールペン型ボイスレコーダー……。
花瓶の下、観葉植物の影、コンセントの中、あらゆる場所に仕掛けられていた、探偵顔負けのプロ仕様機材たちだ。
俺はすずめのスマホを借りて、これらを手当たり次第に出品していった。
「よし、とりあえずカメラとマイクを相場より少し安めに出したぞ。どうだ……って、うおっ!?」
出品ボタンを押して数分もしないうちに、スマホから軽快な通知音が鳴り響いた。
『商品が購入されました!』
「売れた! マジかよ、即売れだ!」
「……すごい、あなた。商売の天才」
「いや、俺の才能じゃなくて、世の中には特定の人間のプライバシーを丸裸にしたい需要が溢れてるってことだよ。世も末だな」
トントン拍子に他の機材も売れていき、あっという間に売上金は三万円を突破した。
「すずめ! 稼いだぞ! 三万円だ!」
「……うん。あなたが稼いだ、尊い三万円」
「お前の私物売っただけだけどな! よし、すぐそこのスーパーに行ってこい! 豚しゃぶ用の肉だ。一番安いのでいいからメガパックでな! 今日はしゃぶしゃぶパーティーだ!」
「……わかった。いってきます」
スキップするかのような軽い足取りで玄関を出て行くすずめを見送る。
久しぶりに手に入れた、もやし以外の食べ物。俺は一人ガッツポーズをキメた。
このままいけば、余った機材を売るだけで当面の生活費は稼げる。
その夜。
俺たちはテーブルの上にカセットコンロを置き、土鍋で豚肉をしゃぶしゃぶしていた。
「うめぇ……! 肉だ、肉の味がする……!」
「……よかったね、あなた。いっぱい食べて」
「お前も食えよ。ほら、肉」
「……うん。あなたが茹でてくれたお肉、世界一美味しい」
安い肉だが、涙が出るほどうまかった。
腹が満たされると、人間は心にも余裕ができる。俺は少しだけ、すずめに対して優しい気持ちになっていた。
異常な女だが、俺に尽くそうとしてくれているのは事実だ。
これからは二人で地道に内職でもして、慎ましく生きていけばいいのかもしれない。
そんな希望を抱きながら、心地よい満腹感の中、俺は眠りについたのだった。
***
……ふと、目が覚めた。
深夜三時。部屋は真っ暗だ。何かに起こされたわけではない。ただ、なんとなく視線を感じた。
寝ぼけた目をこすりながら、ゆっくりと顔を横に向ける。
「…………」
至近距離に、すずめの顔があった。
暗闇の中、俺の顔を覗き込むように、じっと見つめている。その瞳は暗がりの中でもはっきりと光を帯びていて、どれだけ長い間そうしていたのかを物語っていた。
「うおっ……!? お、お前、いつからそこに……」
「……ずっと」
「ずっとって何時から!?」
「……あなたが寝てから、ずっと」
背筋が凍った。四時間近く、真横でガン見されていたことになる。
「な、なんで寝ないんだよ……」
「……前はね、あなたが寝た後、カメラの映像を確認してたの。寝返りの回数とか、寝言の内容とか、全部データにまとめて」
「うわ……マジ……?」
「……でも、カメラ売ったから。データが取れなくなっちゃった。だから——」
すずめは、暗闇の中でゆっくりと微笑んだ。
「——直接、見てる」
俺は布団を頭まで引き上げたが、視線が布団を貫通してくる気がした。
もはや安眠どころではない。プライバシーの侵害だ。
俺は布団の中で震えながら、安眠の立役者を3万円で売ってしまったことを後悔し続けるのだった。




