80 VS■■①
一瞬の静寂が、訪れる。機に乗じて懐から無慈悲の短剣を構えようとしたとき。
「ふむ…そうくるか」
ボスが小さく口を動かした。
「覚悟はできているんだろうね?」
…ッ!…来る!!
咄嗟に腕を十字に交差させ胸元に構える。遠くに立っていたはずのボスが瞬きの間に目前まで接近し右腕を振りぬくと、次の瞬間とてつもない衝撃が両腕に響いた。
「…ぐッ!」
たまらず後ろに跳んで衝撃をいなす。靴から砂埃をあげながら後方に滑り、やがて止まった。
…いっっってぇ!!
防御の構えを解いた両腕の骨に、鈍い痛みが残っている。
…骨、折れてる…!?いや、ギリ折れてないか…。てか、錠剤を限界まで飲んだのに、ただのストレートでこれって……!
「…硬いな。骨を粉々にするつもりだったんだが…。さっきの薬に何か仕掛けがあるのかな?」
自らの拳を見つめながらボスは問いかける。
「…さぁね」
軽く答えつつ今度こそ無慈悲の短剣を構えると、再びボスがこちらへ肉薄した。
迎え撃つナイフは完全に躱され、首に手刀を返される。構わず頭部、胸部の急所を狙うも全ていなされ、ボスからの反撃だけが積み重なっていく。
…こいつ…!!
明らかに手加減されていた。もしボスからの攻撃が威力の乗ったものであれば俺はすでに―――
「…!?」
何に対するものか…焦りと苛立ちによってナイフが相手の懐に深く入り込んでしまった、その手がボスに掴まれる。常識外れの力で腕が引っ張られ、両足が宙に浮いたのを認識した時、俺はとてつもない勢いで投げ飛ばされた。
「…く…そ…!」
十数メートルの距離を投げ飛ばされ、なんとか着地の瞬間に受け身を取り体勢を立て直す。地面に手をつけながらボスのいる方向に目を向けると、そこから何かが飛んでくるのが見えた。反射的に頭を左にずらし飛来したものの直撃を避ける。
…今のは…ナイフか…!
頬にできた切り傷から顎の方に液体が滴っている。さっきのが掠っていたらしい。
「駄目じゃないか。ナイフの攻撃はちゃんとよけないと。毒が塗られていたらもう死んでいるよ」
一歩ずつゆっくりとボスが離れた距離を詰めてくる。軽く息を切らしている俺に対して、ボスには疲れの色は全く見えなかった。
…戦闘で勝つのは、やっぱ無理だな。
ボスから目を離さずに、ゆっくりと立ち上がる。
…こっちは古代遺物のナイフで、相手は素手でこれだろ?こんなの続けてたって意味が無い。
ズボンのポケットに手をあてる。
*****
―――………ボスがどういう人間なのか、ずっとわからなかった。でも…今わかった気がする。そしてこれを利用すれば…俺はボスからリアを守れるかも、しれない。―――
*****
…今使うか?秘策を。
ごくりと生唾を飲み込む。
…でも、ここで使うと…ボスは違和感を覚えてしまう気がする。それでもし俺の真意に気づかれたら…リアを守れる可能性は下がるだろう…。…何かもう一手。この秘策が、秘策でないと思わせるための、一手が欲しい…!
命運を決めるには、あまりにも時間が足りない。それでも限界まで思考を巡らせた。
…何かないのか!?もう一手は!!
そういえば、なんでボスって外にいるんだ…?用事って言ってけど、スラム街を黒いコート着て一人で歩くとか、そんな目立つような真似する人とは思えないんだけど。それに、喋りすぎじゃない?クライルが死んでたとか、俺を殺すとか、古代遺物のナイフの話とか、外でやるのは不用心じゃないか?いくらスラム街とはいえ、人に聞かれたらまずいだろ。
いや…もしかして、人がいないからそんなことしてる…?
人がいないのか…!!!
周囲を見渡し、制限していた聴覚を限界まであげる。外を出歩く人間は一人もおらず、家屋の中も生活音が聞こえることは無かった。
空を見上げると月も無い。つまり。
…新月!!
気分の高揚を悟られないように、近付くボスに対していつも通り構えを取る。
…筋書きは見えた。後は、そこに持っていくだけだ。




