46 泣き声
◆◆一か月後 メイ◆◆
「…こんばんは、ボス」
ボスの仕事部屋に挨拶をしながら入る。
「ああ、こんばんは。悪いね、シン。ここまで呼び出しちゃって」
「いえ、別に。…予定も無いですし」
「そうかそうか。じゃあ、ここに置いてるやつ。これが次の仕事の資料ね。目を通しておいて」
「あ、はい。わかりました。…あれ、なんか…いつもと作りが違いますね」
「お、気づいたか。今回は私が作ったんだよ。もし見にくかったらごめんね」
「い、いえ、結構…見やすいです。…ありがとうございます」
「それは良かった」
少し微笑んでいる様子のボスを尻目に、資料に素早く目を通す。
…仕事の期日は2週間後までか。なら、早めに1週間を目標にしよう―――
◆◆1週間後◆◆
さて、今日は仕事の日だ。ターゲットは、ガナレ地区に拠点を置いて人身売買のブローカーをやっている夫婦。いままでとは違い、今回は2人一気に仕留めなければならない。
…緊張するな。前回のミスを引きずっているのもあるが、2人同時は…結構気が重い。…でも、やるしかない。
覚悟を決めて、潜んでいた暗闇から足を踏み出す。
向かうのは正面にあるボロ屋。ターゲットが生活をしている場所。現在の時刻は午前3時。ターゲットは寝ている時間帯だ。このまま裏口から侵入して、寝室にいるであろう無防備な2人を暗殺する…!!
素早く裏口へ近づき、かかっている鍵をナイフで静かに破壊する。音が出ないよう慎重に戸を開け、家の中へ入り込んだ。
窓などが閉じ切っているからか、湿った空気が纏わりつく。床板の軋みに最大限気を付けながら、ゆっくりと家の中を移動する。
この部屋は…リビング。なら、寝室はあっちか…?
ゆっくりと、奥へ奥へと、進む。侵入してから時間が経つにつれ、どんどんと動悸が激しくなるのがわかった。
…長居できないな。これは…。
早く仕事を終わらせたい一心で、祈るようにたどり着いた扉を開ける。
そしてそこに、いた。30代の、ベッドで寝ている男女が2人。
資料と同じ顔つきと身長。間違いなくターゲットだ。
その時全身が急速に冷えていく感覚がした。荒れ狂っていたはずの心音は落ち着いていて、思考もやけにクリアになっていく。
だから、すぐにわかった。どうすれば最速で殺れるか。
今までのぎこちない動きが嘘だったかのように滑らかに、かつ急ぎ過ぎずベッドへと近づく。ターゲットの寝息すら聞こえる距離まで近づいた後―――
ザシュ、ザシュ、と、小さく音が二回鳴った。
「…ふ~、終わりか。…今回は調子よかったな」
ナイフに着いた汚れを拭きながら呟く。
「いつもこんな感じなら嬉しいんだけ―――」
「…ぁ…ぅぁ…」
…は?
一瞬思考が停止する。
なんだ…?今の…。でも…確かに、聞こえた。背後から小さな……泣き…声…。
ゆっくりと後ろへ振り返ると、部屋の角に置かれた木製のベビーベッドが目に入った。
…嘘だろ。
嫌な予感がして、慎重にそこへ歩いた。ベビーベットの中を覗き込むと、目が合った。
中にいた赤ちゃんと。
「…ッ!!!」
なんで…なんでなんでなんでなんでなんで…!!なんでいるんだ!?
ボスの資料には無かった…!俺が張り込んでいる時も、子供がいるような感じじゃなかった…!ていうか、ここに入った時なんで気づかな…クソ!!ドアの死角かよここ!!
落ち着いていたはずの心臓の鼓動が、再度激しさを増していく。
そもそも誰の子供だ…!!ターゲットのか!?でも、人身売買やってるんだ…!どっかから攫ってきたのかも…かもってかどうせそうだろ!!だったら、どう考えても保護するべき―――
思考が荒ぶる中で、視界の端に映るそれに、不意にピントが合った。写真立てだった。埃被っていない、新しいもの。
そこには、ターゲットの2人とその女性の方に抱きかかえられた赤ちゃんの写真が入っていた。赤ちゃんの目の下にはほくろがあり、その特徴は、今俺を見つめているこの子と、完全に一致していた。
…じゃあ…ターゲットの子供かよ……!!
もうどうすればいいのかわからない。俺じゃ無理だ…。あんまりやりたくないけど、ボスかクライルに電話しよう。2人に判断を仰げば…。
「…なんで……繋がんないんだよ…」
クライルとボスが電話に出なかったのではなく。そもそもの電波が繋がらなかった。
…クライルは後処理のために一応近くにいる。いっそ、外に出て直接連絡を…いや、だめだ。もし人に見られたら…。
俺一人で、判断するしかない。こいつを生かすか………殺すか。
鞘にしまったナイフを取り出す。
あまり悠長に決めている時間はない。ターゲットは死んでいるが、この赤ちゃんがもし大声で泣き始めれば前回の二の舞になる。だから、早く…!
殺害の実行している現場を見られた可能性がある
殺さないと
犯罪者の子供だ
殺さないと
生かす場合、どう助ける。少なくともリスクは伴う
…殺すべきだ
…最初から、わかっていたことだった。考えるまでもなく、こいつは殺した方がいい。
でも、ボスとクライルを頼ろうとしたのは―――
「…俺じゃ……無理だ…」




