タコパにはタコが必要(2)
話を聞いていると、このおじいさんの声の怪異はいわゆる船幽霊とかそういうものらしい。この辺りに生息している霊の集合体のようなもので、昔は柄杓を奪って船を沈めていたようだ。けれども船は蒸気船になりどんどん大型船になって、柄杓1つで沈められる規模でもなくなった。それにそもそも船に柄杓なんて装備されていない。
無理に船を沈めることも出来なくもないけれど、費用対効果を考えると『割にあわなさすぎる』らしい。だから今は海底のプランクトンとかを食べて細々と暮らしている。富栄養化とかでごはんは比較的豊富にあって、たまに養殖されている魚をチョロマカしたりもしているらしい。
あれ? そうするとこのおじいさんは新谷坂の怪異とは関係ないの?
坂崎さんの手が僕の口から離れたから、直接聞いてみることにする。
「あの、あなたは新谷坂に封印されていたわけではないんですか?」
「封印? ああ、これか」
くいくいとまた糸が引っ張られる感触がある。
「わしはいろいろなものの集合でな、増えたり減ったりするんじゃよ。最近増えたものの中にたしかにこの妙な糸につながっているのがおるな」
「それは分離できるものなのでしょうか」
「分離? これをか? ふうむ、勝手に混ざるものだから分けようと考えたことはなかったな。これだけで見逃してもらえるならわしもその方がありがたい。様子を見てくるから少し待っておれ」
そう言ってまた声がしなくなった。舟幽霊?
柄杓じゃないとだめなの? 消火用ホースとか。でも舟幽霊の話だと船に乗ってる人が渡さないとだめなのかな。そうすると無理か。そもそも今の船は腕を伸ばしても船縁部分まで届きそうにない。話ができるほど人は海水面の近くにいない。
プランクトンで生きてるなら人を襲ったりわざわざ僕を殺しに来たりはしない気がする。海だし。放って置いても大丈夫かな。
そんなことを思っていると泡がまたぶくぶくとあがってきた。覗き込もうと思って板の縁に寄ろうとしたら坂崎さんに肩を引っ張られて後ろに転び、顔を出そうとしたところにヒュッと風が吹いて少しはみ出ていた僕の髪の毛がぱらぱらと宙を舞った。
「……」
「……」
「あの……」
「……すまんすまん、条件反射なんじゃ」
さっきから板の底がカツンカツン揺れてるのはひょっとして攻撃されてるのかな。
「ねぇ、タコは?」
「申し訳ないのじゃが自分で分離というのはできなさそうじゃ。こちらに来て取ってくれんかね?」
「わかった」
え、危ないんじゃ、と思ううちに板の底面がくにゅりと柔らかく変形してどんどん下がっていった。まるでプラスチックでできた板を下から炙るとてその熱で床が溶け落ちてくるように。床が下がるにつれて白かった板はどんどん薄く透明になって、まるで試験管みたいに細長く僕らは海底に沈んでいった。
すでにアクリルのように透明になった板を通しで舟幽霊の姿が見えた。それはたくさんのぐずぐずな腕が生えた青白い巨大な肉の塊とそれから飛び出て絡まり合ったたくさんの骨。この海で死んだ人が物理的に集まっているのだろう。そういえば昔話の船幽霊の姿も腕で、霊的な感じはしなかった。つまり、船幽霊というのは物理現象なのか? そうじゃないと柄杓がもてないよね。
船幽霊には人のパーツだけじゃなくて所々大きな魚がくっついていて、その他に大きなタコの足が広がってウネウネと絡まっている。そのタコの足同士は大きく広がる水かきでつながっていて、なんとなく広げた傘みたいだった。
封印の糸はそのタコの真ん中あたりに繋がっているようだ。でもこのタコ、結構大きい。仮に分離できたとしても新谷坂山まで運べなさそう。というか、前はどうやって捕まえたんだろう? タコってことは海の中にいるものだよね。
「そうそう。ねえ、それ頂戴」
「そういわれてものう。ほれこのように絡み付いて離れぬのだ。タコは吸盤もあるからな」
「あの、そのタコはどういうものなんでしょう?」
「どういうもの?」
「人を襲うものなのでしょうか」
「知らぬのか?」
「ええと」
こころなしか船幽霊はニヤニヤし始めた。まずった気分。藤友君も不用意に情報をバラ撒くなと言っていた。自分が相手のことを知らないっていうのは自分に不利な情報を知らせてしまったのと同じなのかも……。頭の中に藤友君の『馬鹿正直に聞くやつがあるか』という声が聞こえた。うう。
僕はあきらめてスマホを出してコールする。海の下だけどちゃんと電波が届いている。
「あの藤友君、助けて」
「海は無理だ」
「タコってどうやったら捕まるの?」
「タコ?」
「今海の中で坂崎さんがタコを捕まえようとしてる」
「待て、お前は何を言っているんだ」
ざっと説明すると電話口でため息が聞こえた。うぅ、ごめんなさい。
「アンリが欲しいのがタコなら陸で買うように言え」
「ええ嫌。あのタコが美味しそうなの」
坂崎さんがスマホを片手にグループ通話に混ざる。
「そうは言っても捕まえられないんだろ?」
「というか捕まえても新谷坂まで持って帰れない」
「帰れるよ?」
「どうやって?」
そんな話をしている間にも『条件反射』なのか船幽霊のタコの足は僕らを囲む薄い板をゲシゲシと叩いていた。これ絶対僕らを食べようとしてるよね?
「タコは船幽霊に絡み付いていると言ったな?」
「うん、船幽霊の塊を覆うみたいにぶわーっと」
「考えるからそのまま5分くれ」
5分? その間に坂崎さんと話をしていると、あのタコはとても美味しいらしい。いやええと、そうじゃなくてさ。どうやって捕まえて帰るかっていうのを聞きたいんだけどな。
小さくなるんだって。小さく? 坂崎さんは小さな貝殻を取り出した。1センチ程度の巻貝。さっき岩場で拾ったらしい。
目の前をガツンガツンと叩く大きなタコの触手。とてもこの小さな貝に入るとは思えないんだけど。それにしてもこの板が丈夫で驚く。なんの素材でできているんだろう?
足元も透明で、まるで海の中で浮いている気分。上の方から太陽の光が差し込んでいて海底を明るく照らしている。下を見て、思わずその光景に息を呑んだ。そこには木造の船がたくさん沈んでいた。きっとこの船幽霊の元になったもので、潮の流れが何かでここにたくさん集まってくるのかもしれない。けれども最近の温暖化のせいか、その船からはオレンジやブルーの魚が出入りしていて、船の墓場というよりはテラリウムという雰囲気だった。あれ? 少し遠くの方に何か見えた気がする。
そう思っていると藤友君の声が聞こえる。
「アンリ、タコと船幽霊は話をしているか?」
「してないよ?」
「どっちが捕まえてる?」
「食べようと思ったら挟まったんだって」
「自分で切れないのか?」
「駄目みたい」
「前に言ってた鳥の船だろ? 小さな穴だけ空いたりしないか?」
「聞いてみる」
何の話かさっぱりわからない。
坂崎さんが、お話ししましょう? とつぶやくとタコは僕らを囲む半透明な試験管を包んで締め上げ始めた。ちょっとこれ大丈夫なのかな? 割れたりしないよね?
全然事態がわからなくて藤友君に聞いてみたけど、気づかれると困ると教えてもらえなかった。そう思ってみると、船幽霊はなんだか変な感じがした。立ち去りたいような、迷惑そうな空気を感じる。
坂崎さんはタコの太い腕と言うかスカート状の足を試験管ごしに調べるようにペタペタと触っていた。




