籠屋山へハイキング(2)
東矢が入ってすぐにテントは静かになった。そしてますます東矢の存在感が薄まった。寝たのかな寝付きがいいな。
手持ち無沙汰になって空を見上げる。昔学校で習った星座の復習。夜の山は暗いと思い込んでいたがそうでもないことに驚く。暗いには暗いが、雲の少ない空は星と月が浮かんでいて一定の光量が保たれている。ただまぁ。視界を水平に戻す。明るいのは空だけで他はやはり真っ暗だ。目の前に林があるはずだが境目はさっぱりわからない。何者かが近づいてきたら視覚は役に立たないだろう。だから星は諦めて目を瞑って耳を澄ます。
東矢が入ってすぐにテントは静かになった。そしてますます東矢の存在感が薄まった。寝たのかな寝付きがいいな。
手持ち無沙汰になって空を見上げる。昔学校で習った星座の復習。夜の山は暗いと思い込んでいたがそうでもないことに驚く。暗いには暗いが、雲の少ない空は星と月が浮かんでいて一定の光量が保たれている。ただまぁ。視界を水平に戻す。明るいのは空だけで他はやはり真っ暗だ。目の前に林があるはずだが境目はさっぱりわからない。何者かが近づいてきたら視覚は役に立たないだろう。だから星は諦めて目を瞑って耳を澄ます。
先程から妙なものがこのキャンプ場の周りをうろうろしている気配がする。だが近寄ってはこない。一定の距離を保っているように思われる。
怪異の行動。テントの利用者を攫う。検討すべきはその方法。
夕方に軽く見回ったが、いまキャンプ場にはテントが22張ある。ハイシーズンだから人も多く、テント間の距離も思ったより近かった。こんな場所で何かをするのはそもそもリスキー。そうすると存在感が薄い何かか、ものすごく素早い何か。あるいは夜半テントを離れた者を襲う何か。
最後のが1番確率は高い気はするが、あくまでそれは人が犯人である場合。本人を特定できるものが全くないという状況を加味すればもう一つ可能性が浮かぶ。
何らかの方法で本人を操って全ての情報を破棄させた上で呼び出した可能性。
その場合、接触の有無はどうなのかな。例えば何らかの催眠成分を持つようなものを空気中に塗布する。この場合はおそらく無作為。あるいは夜間を含むいずれかのタイミングで直接接触をはかり、操る。
どうかな。他に可能性はあるだろうか。わからないな。
そう思ったら急に頭に小さなノイズが走った。無作為系か?
警戒して身構えたが、その後しばらく待っても動きはない。
「眠い」
がさごそと寝ぼけた東矢がテントからはい出てきた。
「みつけた。あっちの方向かな。行ってくる」
「まて、俺も行く」
「いいの? あっち林だから危険かも」
整備された登山道と比べ物にならないほど道なき林は危険だ。特にここは夜の山。見えない分危険性は跳ね上がる。何が起こるかわからない。正直あまり行きたくない。
けれどもなんというか、この明らかに寝ぼけた東矢を1人で行かせるのもなんだかなと思った。靴下を片方しか履いてない。何かあったら後味が恐ろしく悪い。
「気配はすぐいなくなりそうか?」
「わからない」
「とりあえずコーヒーでも飲んで起きろ」
作戦会議のお茶請けは抹茶チョコ。糖分は頭を働かせる助けになる。
東矢の感じた感覚は『呼ばれてる』感。それを封印との繋がりから感じた。俺の感覚と一致しなくもない。ノイズはソナーのように広がり、俺に引っかかって戻っていった感じがする。
どの程度の人数が引っかかるのかはわからないが、周りのテントに動きはない。時刻は1時3分。多分起きている者もいないだろう。
さっきがソナーだとすると人の数と配置を調べたんじゃないかな。それで東矢の糸が引っかかった。そうすると多分向こうから何らかのリアクションがある。目の前の東矢はまだ半分寝ている。
「東矢、用心しろ。何か仕掛けてくるならここからだ」
「何かって?」
「それがわかれば世話ないな」
真っ暗な中、何かの気配が周囲を回って遠ざかってゆく。嫌な気配に首筋がざわめいている。その何かと一緒に遠ざかるように、ひぅと温度が下がる。
「この系統は妖怪とか殺人鬼とかそういう気配かな」
「妖怪と殺人鬼は同じ枠なの?」
「まあな。幽霊は感じねぇからわからないが、妙な物理臭さがある。妖怪と殺人鬼には物理が効く」
「物理」
手元の薪の中で比較的長い物を選んで先端をナイフで削る。ファルクニーベンA 1。刃渡り16センチ。キャンプ道具と一緒じゃなきゃ捕まるサイズのサバイバルナイフ。人間サイズなら致命傷を与えられる強靭さ。
「これを」
「杭?」
「襲われたら体の前に置いて身を守れ」
「う、うん。僕もナイフとか持ってった方がいいかな」
「怪我するからやめとけ」
そう思っていたら、嫌な感覚が広がった。ある方向から漂う何かが腐ったような刺激臭。1つだけ少し離れたテントの方だ。東矢を遮って耳をすます。やはりそこから音がする。方向にあたりをつけてなるべく音を立てないようにそちらに移動する。東矢が枯れ枝を踏み抜いて音が出た。ああもう。
ずっと暗闇にいたせいか、目は少しだけ慣れていた。近くのものであれば月明かりがほんのりと物の形を浮き上がらせる。
テントから出て木立の方に歩いていく音を追う。よくわからないが中肉中背の男性かな?
月明かりを頼りに何とかそいつを追うと、少し開けた場所に出て、そこに宣告から感じていた妙な気配が待ち構えていた。首筋がチリチリする。
「なんだろうあれ」
黒い毛の長い、体長130センチほどのひょろ長い生き物が誘い出された男の前にいた。動きはどことなく猿を思わせる。
「あれは新谷坂の関連か?」
「間違いないと思う。封印の気配を感じる」
「それで捕まえて新谷坂まで連れていくのか?」
「あ、そうか。どうしよう。あんまり考えてなかった。ごめん」
まあ、俺も妖怪なんて半信半疑だったからな。
さて、どうしたものかな。
食人系の妖怪? あるいは肉食獣か。
「後ろから回ってみる。スマホをイヤホンに繋いどけ」
「あちょっと藤友君」
警戒しながら広場の周囲を大きく回って猿の後ろに出る。距離は2メートルほど。猿はまっすぐ前を向いている。気づいていないか?
『きづいていないと思っているな?』
何? なんだ?
後ろは振り返ってないよな。
『後ろを振り返ってないと思っているな』
……。
なんだサトリか。
「東矢、大丈夫だ。出てこい」
「えっ大丈夫なの?」
『大丈夫とはどういうことだ』
「東矢。逃げ道を塞げ。こいつは弱い」
「そうなの?」
目の前のサトリはキョドっている。ナイフを構えると、明らかに動揺した。
『本当に刺す?』
「逃げたら刺す」
『逃げなかったら刺さない?』
「読めてんだろ」
サトリは俺が心で命じた通り両手を上げた。
「東矢、どうするんだ?」
「あの、新谷坂の封印に戻って欲しいんだけど」
『それは……ひっ』
「そうだ。お前に逃げ道はない。逃げるならバラバラにしてリュックに詰めて持って帰るだけだ」
「あの、僕はそこまでは」
「そいつはそう言ってるが俺はお前をバラす。また捕まえに来るのは面倒だからな」
サトリは目に見えて怯えていた。サトリは誤解しないからいい。
本気でバラすと思えばシンプルにそう受け取ってもらえる。
「あの、一緒についてきてくれて封印に戻ってくれればいいから」
「だそうだ」
明らかに弛緩した空気。
「お前バックれるつもりだろ?」
『いや、そんなことは』
「お前がバックれるなら面白い物好きの狂った女に延々後をおい回させるぞ」
『え、なん』
「散々追い回させた上で捕まえてバラバラにしてやる。あいつから隠れおおせられると思うな。大人しく封印に戻るのとどちらがいい?」
サトリは混乱している。俺の言葉に嘘はないことは理解しているようだが俺の勘違いではないのかと違っているような気配がある。まあ、俺は見えてはいなかったからな。
隣を見ると東矢がぽかんと間抜けヅラをさらしていた。
「東矢、この間アンリが神殺しをした時のことを思い浮かべろ。お前は見えてたんだろ?」
「えっ神様? 木霊のこと? 殺しちゃったの?」
「実以外は殺したはずだ」
「ええ、そうなのかな」
『えっ、本当に』
再びサトリがキョドりだす。
「3日以内に封印に入れ、わかったな」
『わかり……ました』
「わかったならとっとと去れ」
サトリはとぼとぼと立ち去った。
「なんだったの?」
「あれはサトリと言って人の頭の中を覗ける妖怪だ。力は強くない。強ければこんな進化はしないからな。多分サトリの中でも上位の部類なんだろう。人の頭の中に干渉できるんだと思う」
「えっ大丈夫だったの?」
「ネタがわかってれば簡単なんだよ。騙そうとしてることを知ってる奴に騙される馬鹿はあまりいない。それに本気で殺すと思えばそのまま伝わるから」
「ええ〜?」
「ほら、あんたももう起きろ」
倒れていた男を揺さぶるとと小さな呻き声がして目を覚ました。混乱した男に天体観測をしていたら倒れているのに気がついたと説明すると、礼を言って去って行った。
「大丈夫かな」
「大丈夫だよ。ダメだったらアンリに追わせるから」
「犬みたい」
「フリスビー飛ばせば一目散なんだよ。制御は難しいんだけどな」
ほんとにな。これで明日下山できる。ほっと一息。
なんとなく東矢の後ろをついていくと、すっかり道に迷ったようだ。何をやってるんだか。GPSを開いてキャンプ場まで戻る。文明の利器は偉大だ。おおよその空間認識を阻害をしてくる系統の妖怪を無力化する。
キャンプ場に戻ってからも万一のことを考えて交代で寝た。怪異は捕まえたとしても安全が確保されたわけではない。そもそも俺は不運がデフォルトだから、さっきのサトリ以外の何かの危難が発生する可能性はある。
東矢が起こしに来て一緒にテントから出る。
朝。目の前には雲海が広がっていた。
ちょうど真東にある神津湾の水平線から陽が登り、海面がチラチラと煌めいている。それから朝日をぼんやりと反射する辻切の街並み。そこから平野を伝って目を手元に寄せると手前に新谷坂山があり、この籠屋山との間に流れる新谷川のあたりに黄金色の雲が溜まっていた。もこもこしていてなんだかマシュマロみたいだ。
「面白いね。こんなふうになるんだ」
眺めていると近くのテントからも何人かが出てきて同じように雲海を眺め始めた。
東矢と一緒に朝日を見るのは2回目だ。不思議だ。まさか俺が山に登るような日が来るとは思わなかった。東矢は信用できる。極端にお人好しの馬鹿だから。友達、か。やはり悪くないな。
火を起こしてコーヒーを入れたら、ぼんやりした東矢がカップをひっくり返した。
◇◇◇
その3日後、サトリはおとなしく帰還したようだ。
東矢が体を取り戻す一助になれば良い。だが、一助だな。根本的に解決する方法はないのだろうか。ネコに聞いてみるか。




