狂気のしもべと河童探し(1)
その朝、というか夜、部屋のドアが激しく叩かれた。
時刻は3時28分。こんな時刻に僕の部屋のドアを叩くってことは坂崎さんだ。と思って寝ぼけた頭で開けたらやっぱり坂崎さんだった。今日の坂崎さんは淡い黄色のノースリーブとモスグリーンのチノパンにジーンズ地のキャスケット。それからとても大きな、1メートル四方はある持ち手付きの丈夫そうな麻袋を持っていた。
「なぁに?」
「行きましょう?」
「じゃあ着替えるから待って」
「はーい」
いつも通り坂崎さんとは何の約束もしてないけど、無視すると了承するまで部屋の入り口で騒ぎ続ける。だから無視するなんて選択肢はない。
急いで歯を磨いて適当に着がえてボディーバッグを肩にかける。
「今日は何なの?」
「見つけたから捕まえにいくの」
「見つけた?」
「東矢くんのでしょ?」
「そうなの?」
何が何だかわからないのはいつものことだから考えちゃ駄目。断れないならとりあえずついて行くしかない。藤友君が言うには僕の頭は単純で、だから『たいていはいいことが起こる』はずだから。
◇◇◇
自転車で新谷坂の長い坂を下り降りる。僕の通う新谷坂高校は山の上にあって、ここから新谷坂町に降りる南北の長い坂は急勾配。雨の日には雨水が滝のように流れ落ちるレベル。
だから坂崎さんが後ろに乗ってないとブレーキもかけずに滑り降りるなんて恐ろしいことはできないけど、坂崎さんには不幸なことは決して起こらない。どんなスピードで地面を跳ねても転倒しない、これ以上なく絶対安全なジェットコースター。ものすごくドキドキするし心臓には悪いような気はするけど。見上げた空にはまだ三日月が登っていて。その内側の弧を滑るみたいに坂を走り降りる。
「それでどっち行けばいいの?」
「あっちー」
坂崎さんが指し示すのは坂を下って右手側。しばらく進むと新谷川にたどり着く。新谷川は新谷坂山と籠屋山の間のどこかにある洞窟から流れ出ているらしい。伏流水っていう奴なのかな。でもその洞窟は見つけることはとても難しいらしくて、『幻の源流』と呼ばれている。結構走って川沿いを南下する。
「それで何を探せばいいのかな?」
「河童?」
「河童ってお皿がついた?」
「お皿?」
「大きさはどのくらい?」
「ええと、このくらい?」
僕に見えるように肩越しに大きく手を伸ばした坂崎さんが指先で作った形は60センチ四方くらいの四角。このくらいの生き物を探せばいいのかな? 河童ってことは生き物だよね?
川岸に自転車を置いて懐中電灯をつけて川に沿ってゆっくり下る。夏の早朝、まだ深い濃紺の空は少し曇っていて星は見えなかった。川はさらさらと音を立てて流れ、時折岩にぶつかって弾ける音がする。
「こんな真っ暗でみつかるものなの?」
「真っ暗じゃないと見つからないんじゃないの? ほら」
坂崎さんがペンライトで指し示す先では何かが光を反射していた。
えっ何!? 本当に河童?
恐る恐る近づくと、そこには河童のようなものが川縁に打ち上げられて横たわっていた。
ライトで照らすとどことなく全身緑で最初ぎょっとしたけど、それは緑のバックパックを背負ったライダースーツっていうだけで、その男の人は頭頂部が剥げていた。
でもこれはどっちかっていうと、河童より水死体だと思う……。横を向いた顔の半分がすっかり水に使っている。というか恐る恐る脈を取ろうと手をとったらやはり氷のように冷たかった。
とりあえず急いで警察呼ばなきゃと思って携帯を取り出していると、坂崎さんは当然のように頭頂部をぺちぺち叩き出した。
「何してるの」
「えっ。さっき光ったのに光らないと思って」
「えっとそれは、皮膚がライトを反射しただけのような」
「そうなの? うーんそうなのかな」
「何か気になるものがあるの?」
「光って、このくらいの大きさなの」
坂崎さんはまた60センチ四方の大きさの四角を手で作る。
この人を探していたわけではないの?
「これかな」
今度はその男の人のバックパックを勝手に開け始めた。
それから中から確かに60センチくらいの毛の生えた座布団のようなものが引き摺り出された。
そこで僕はようやく気づく。あれ、これ封印の糸。新谷坂の怪異と僕をつなぐ糸がたしかにその座布団から感じられた。
「これなに?」
「河童?」
どうみても河童ではないような。河童なのはむしろこの倒れている人のような。そう思ってみていると、座布団はもそもそ起き出してグァグァ声を上げ始めた。えっなにこれ。
「こんにちは。私アンリ。あなたは?」
「グァ!」
「ふんふん、そうなんだ、えっと、あっち?」
「グァ!」
「あの、坂崎さん、これなぁに?」
「えっと、河童?」
「グァ?」
疑問形? 本人もカッパと呼ばれるのに疑問を持っているような。
それは奇妙な生き物だった。ムササビに似ている気はするけど、もっと平べったくて厚ぼったく、本当に座布団のようで、その四隅に小さな手足、一辺の真ん中に小さな頭、その反対の辺の真ん中に短いしっぽがついていた。
でも確かにこの生き物から封印の糸が出ている。ということはこれは僕が集めて封印しないといけない新谷坂の怪異なのだろう。
「ねぇ僕もちょっといいかな。新谷坂の封印に戻って欲しいんだけど、だめかな」
「グァ? グーウゥ」
「みんなを助けてくれたらいいんだって」
「みんなって?」
「グァグァッ」
どうやらこの川の上流にこの子の親が卵を沢山産んだんだけど、それが密猟者に狙われているらしい。この倒れている河童的な男も密猟者で、入り口で見張っていたらこの子も捕まったらしい。この子の親はすでに銃で撃たれて殺されて連れ去られてしまったそうだ。ざぶとん君の小さな目に涙が光った。なんか可哀想。
新谷坂に封印されている怪異はかつて人に害をなしたから封印された。害の程度は結構濃淡はあるみたいだけど、ひょっとしたらこの子の親は昔は封印されるほど人に害をなした妖怪だったのかもしれない。けれども今は銃のほうが強いのかもしれないな。動物っぽいし。
「じゃあいきましょう?」
「え、どこへ」
「この子のおうち?」
「この人は?」
「大丈夫だよ。それより急がなきゃ」
「グァ!」
大丈夫? どういう意味だろ。ともあれ坂崎さんに手を引かれて、ざぶとん君を抱えて川を登った。ざぶとん君は案外軽く、少し生乾きの洗濯物の香りがした。
だいたい30分くらい川を遡っただろうか。川が2メートルほどの細さになる頃には空はうっすら白みはじめ、僕らの後ろの川面がうっすらと朝日を反射し始めていた。
僕らはパシャパシャと川岸を走り、その後ろを朝日が追いかけてくる。坂崎さんは『たいへんたいへん!』とまるで不思議の国のアリスの白兎のように騒ぐ。
坂崎さんの口から漏れる断片的なワードから考えると、どうやら朝日に追いつかれちゃだめなようだ。僕らは必死で走って、水があふれる洞窟に飛び込むと同時に朝日がすらりとそこに差し込み、洞窟の中が真っ暗になった。
あれ? 今、日光が差し込まなかった? さっきまでの朝日に少しなれていたから、急に日が落ちたような暗闇に急に心臓が騒ぎ出す。どきどきびくり。
坂崎さんが言うには、どうやらここは朝日が照っている間は入り口がわからなくなる不思議な場所らしい。当然朝日は差し込まない。
そうしていると、腕に抱えたざぶとん君がもぞもぞ動いたから床におろした。ふとみると、ざぶとん君の毛がうっすらと黄緑色に発光していた。それは新谷坂の井戸の底のヒカリゴケのような細い光。たぶん陽の光の下でも光っていたのかもしれないけど、この真っ暗で初めて認識できるようなかそけき光。
足元におろすとざぶとん君はぺたぺたと短い足を操り、器用に奥に歩いていく。洞窟の奥にはとても幻想的な光景が広がっていた。ちろちろと流れる鍾乳洞のような川の壁面は薄い黄緑色の光が明滅して、その光が川面の凹凸をつらつらと照らしていた。




