ハッピーバーゲン(3)
排気口の中をビクビクしながらしばらく進むと、薄汚れた白い布が落ちていた。何なんだろうと思って目の前まで行って手に取る。
「ひあぁ!」
「大丈夫かボッチー!?」
「ガッ骸骨いる!」
足元のしばらく先からナナオさんの声がする。
その声に合わせて目の前のドクロがゆっくりと振動を始める。まずい、逃げられない、そう思って思わず目を瞑った、けれどもしばらく経ってもも何も反応がなかったからうっすらと目を開けると、こちらを向いた頭蓋骨の目の部分にぽぅと燐光みたいに光っていた。思わず目を瞬く。
「オマエ、ダレ」
「えっと、あのその、僕は東矢と言います」
沈黙。あれ? あまり怖くない?
「あの、あなたはどうしてここに?」
「エエット、ナンダッケ」
そのドクロがいうには自分はこのタワーで働いていたコック。カナさんと同じくあの8階と9階の間の空間に閉じ込められてmこの穴から出た何かに捕まって引きずり込まれたらしい。カナさんを引きずり込んだ記憶もあって、なんだかよくわからないけど他に出口が見つからなかったから一緒にこの穴を点検してみることにしたという認識らしい。
あれ? 前の被害者と同じ行動をしている? 少し冷や汗が垂れる。僕、ここ調べてるのまずい?
けれども結局、このコックドクロさんがいたらそれ以上先には進めない。だから僕は後ろににじにじと後退して、僕が下がった分コックさんがにじにじと前進する形でさっきの踊り場に戻った。僕が一歩下がったらドクロが一歩近づいてくる。距離は一定で離れているけれども、一定距離を保って近寄ってくるドクロはなんだか妙に怖かった。
なんとか踊り場まで交代して人心地つく。
「この流れだと、この奥にOLさんと工事業者が詰まってるわけなの?」
「私ワカンナイ」
「ドウダッタカナ」
真っ暗な踊り場で携帯の光に照らされるドクロさんとカナさんはちょっと怖かった。
「んーでもここ以外出口なさそうなら行くしかないんじゃないか? アレなら私行ってくるけど」
「だめだめ! ナナオさんが行くくらいなら僕が行く」
結局のところ他に選択肢はないわけで2度目の侵入。多分、この先には変わり果てたOLさんがいる。ゾワゾワしながらどんどん埃っぽくなっていく排気口の先を這っていくと、やっぱり何かの影がもぞもぞ動いていた。
身構える。やはりOLさん? でもそこで違和感に気がついた。なんか、ぷにぷに? と思ったらこれ、ビニール人形だった。OL風の。それが排気口の奥から吹いてくる風に揺られていた。
これって……。なんだか拍子抜けのような、がっかりしたような。なんでこんなものがここにあるのか混乱する。
でも結局このビニール人形があると前に進めない。仕方がないので端っこの輪っかになったとこを指に引っ掛けてにじにじ踊り場に戻った。僕の袖は埃ですっかり真っ白だ。
「これなんなん?」
「ダッチワイフジャナイカ?」
「ダッチワイフッテナァニ?」
「そそそれより奥から風が吹いてきたからどこかにはつながっているんだと思う」
「でも工事現場の人がいるんだろ?」
「その工事現場の人もこの人形みたいに挨拶坊やだったらいいんだけど。とりあえず行ってくるよ」
挨拶坊やというのは工事現場にある看板の中で何故か謝っている子供。
3度目で多分最後のトライ。這いずり回りすぎて服が大分汚れた気がする。間に休憩をいれながらこれまでより長い時間をかけて排気口を進む。すでに匍匐前進するような距離じゃない。それでも前進していると奥に何か明かりが見えた。出口かな。他のフロアにつながっているのかも、と思って匍匐のスピードをあげた時、違和感を感じた。
光が揺れている。ということは動く光源。どことなく、懐中電灯の明かりに近いような。なんで? 違和感。仮に懐中電灯がついていたとしても電池なんてとうに消えてるはずでしょ? カナさんが詰まったのですら何ヶ月も前のことなんだから。
細い排気口の多分10メートルくらい先でゆらゆらと光が揺れ、それが僕に当たって眩しい。
「あのっ、やめてください。眩しいんで」
「だれだ!? 何でこんなとこにいる!?」
「何でって、僕がきた方向から出口を探してここに」
あれ? なんだか猛烈に嫌な予感がする。声がするってことは挨拶坊やじゃなくて人。僕の大丈夫な予感はだいたい外れる。じゃあダメな予感は?
かぶりを振る。きっと駄目だ。それにもし大丈夫でも駄目って考えて損はない。悪い人じゃなければ後で謝ればいい。僕の友達の藤友君ならそう考える、はず。
「こっちこないで!」
「なんでだ!? 今助けてやる! 待ってろ!」
「駄目っ! あっちいって!」
駄目だ、決定的だ。助けてやるっていうことはこの声の方向に連れて行かれるっていうことだ。カナさんとコックさんもこの奥に連れて行かれて死んだ。
僕は急いでにじにじと後ろに下がる。でもその声の主が近づくほうが早い気がする。懐中電灯がだんだん近づいてくる。嫌な予感も一緒に。早く、早く下がって僕の足! 本当に!
一進一退の攻防、いや、一退一進の攻防? ここまで結構な距離を這って進んで来た。真っ暗だから正確な距離はわからない。けど進むより下がるほうが時間がかかる。足の裏が壁にひっかかり、ずれ上がった服が床にひっかかる。僕の足、もっと早く動いて! 痺れる足を必死に動かして後退する。
ライトの明かりはもう僕の目の前。僕の左手首が掴まれる。もう駄目、引きずり込まれる。助けて!
そう思って目をつぶると同時に両足を掴まれて引きずり降ろされ、そのまま踊り場に膝をついた。そして僕の左手首を握りしめていたものもずるずると一緒に引き摺り出された。
ナナオさんのライトに照らされてそれは作業服を着てカサカサに乾いたミイラだった。カサカサ過ぎて動けない。仄暗く照らされたそのミイラの最後に見た光景がうっすら僕らに伝わった。
「このオッサン可哀想だな、人形とは知らずに」
「ソウネ、可哀想」
「アー、ウーン」
見たのは初めてだけど存在自体は知っている。作業員の動かないおじさんの隣には同じように動かないビニール人形が横たわっている。
おじさんの記憶はこの8階の天井の上に9階の床の施工をしていたところで、そこに開いていた排気口に人形が吸い込まれて、それを追っかけて挟まって出られずに亡くなったようだ。でもおじさんの記憶の視界ではわかりやすく人形の姿をしていた。これ、このおじさんの人形だよね。ドクロさんも微妙な空気を醸し出している。
このおじさんのそれ以前の過去の映像とか記憶とかが入ってなくてよかった。僕はこのおじさんからかすかに、女子高生もの、という言葉が聞こえた気がするけど、聞かなかったことにしよう……。
「それで噂だとこのおじさんが最後だよね。それに建築時っていうからやっぱりおじさんが最後。これで奥に繋がるのかな」
「どうだかなぁ?」
「正直、このおじさんが追いかけてくるのから逃げるので一杯一杯。これ以上奥だとここまで帰ってこれない予感がする」
「でも他に出口ないんだろ? 行くしかないんじゃないのかな。アレなら私いくぞ、本当に」
「だからナナオさんが行くくらいなら僕が行くってば!」
確かに他に道はない。このままここで待っていても餓死しかない。
覚悟を決めて4度目の排気口探検。休憩は挟んでいるけどそろそろ全身がぐったりと疲れてきていて、移動するたびに擦れる膝とか肘、それから関節がメリメリと痛い。
そういえばさっきのおじさんがいたのはこのあたりなのかな。
少し止まって休憩。何かがあったときに踊り場まで戻る力を温存するために。でも正直、無理な気がする。ここからだとおそらく逃げられない。体は少し休まるけどそんな休憩なんてあまり意味がないほど疲労は蓄積していて、真っ暗闇は心を暗くする。
ここから先はおじさんが生きている時にはまだ塞がっていなかった部分。前方から少しだけ風が吹いている気がする。けれども前方に光は見えない。正面は塞がっているように思える。そうするとどこかから上下に繋がっている? でも上下を移動するのは難しい。
ため息を付く。でもここに止まっていても仕方がない。少し回復したからまた少しずつ前進して、しばらくすると予想通り行き止まりだった。上下に配管が通ってて、網がかけられている。上下にも動けない。やっぱり行き止まり。真っ暗な絶望。出口はない。どうしたらいいんだろう。ひゅるりとその奥から風が吹いてきた。
ふと、さっきの工事のおじさんを思い出す。なんで嫌な予感がしたんだろう。踊り場に出たおじさんは嫌な感じじゃなかった。それにおじさんは親切に助けてくれようとしたみたいに思えたのに。
そう思うと、急にこのヒュルルという風の音が不吉に聞こえた。あれ、なんか嫌だったのはあのおじさんじゃ、ない? ひょっとしておじさんの後ろに何かいた?
思えばそうだった。カナちゃんもドクロさんも、この排気口の中にいた人に引き摺り込まれた。工事のおじさんもその、あの人形をおいかけて引き摺り込まれた。この場所には人を引き摺り込む何かがいる。ここを一方通行に、密室にしている何かが。
やばい。なんだか背筋を寒いものがよじ登ってくる。全然『大丈夫』じゃない。
僕は急いで後退しようと思ってやめた。
僕が工事のおじさんに追いかけられている時、嫌な感じがずっとあった。てことはそれは工事のおじさんと同じスピードで僕に近づいていたか工事のおじさんがストッパーになって僕に近づききることができなかったんだとしたら。まうい、後退すると踊り場までもたない。でもここは排気口。建物のどこかに繋がっている。だから僕は叫んだ。
「誰か助けて!! 排気口にいます!! 詰まってます!!」
その後僕は意識を失って、気がついたら病院だった。
「ボッチー! 大丈夫か!?」
「んん。あれ、なんで??」
「9階側の扉を9階の人が開けてくれたんだ」
「そう、よかった」
「すげぇ騒ぎになったぞ。死体が3体出たからな」
死体。そうか、カナちゃんとドクロさんと工事のおじさん。あ、ダッチワイフもばれたのか……。でも外に出れたならよかった、んだよね。
「結局あの扉は8階側からも9階側からもロックされてたんだよ、うちらがどうやって入ったのか混乱してた」
「なんとなくだけど、カナちゃんがナナオさんを呼んだんじゃないかな」
「カナちゃんか……案外そうかもな。ご両親もカナちゃんのことを忘れてたらしいんだ。だからずっとあそこにいて寂しかったのかもしれないな」
排気口の中を吹いていた気持ち悪い風を思い出す。きっとあれはそういう性質のものなんだろう。世界から人を奪い取る何か。人を忘れさせる何か。僕の声が届かなかったら、僕も忘れられていたのかな。そもそも僕はすでに忘れられているみたいなものだけど。結局あの風がなんだかはわからないけれど、あの排気口は定期的に点検がされることになったらしい。
あれ? でもよく声が届いたな。僕の声なんてスルーされるのが関の山なのに。
「あ、あれ。ボッチーが叫んでたから私がボッチーの携帯に電話したんだよ」
「えっ!?」
「ボッチーの着信音、ピヨピヨしてて変な音だな。排気口のなかで増幅してすげぇ変なでかい音になってたぞ?」
「えぇ? かわいいのに」
僕じゃなくて僕の携帯の音がなって気が付かれたのか。なんだか納得。今回もナナオさんに助けられた。でもいつもたいていの騒動は発端はナナオさんで。なんだかぐるぐる循環している感じ。
何か腑に落ちない。でもまあ、なんとかなったから、いいのかな。
ハッピーバーゲンFin.




