8話 夜に出歩いてるお婆ちゃん見るとなんか不安になる
「お嬢さんら今、そっちに行くのは危ないよ」
先んじて飛び出して行ったアッシュを追って走るカレンとツバキを呼び止めたのは、喧騒の中でもよく通るしゃがれた低い声だった。
振り返ると、そこには黒い外套を身に纏い両手で杖を突く老婆が立っていた。綺麗に白く染まった髪を一つ結びにして後ろに流し、高く伸びた鼻と顔に程よく刻まれた皺が年季と威厳を感じさせる、老貴婦人という言葉がよく似合う女性だった。杖を突いている割には背筋が真っ直ぐに伸びているのが何となく気になるが、これといって怪しい見た目ではない。
しかしながら、周囲には野次馬目的で騒ぎの爆心地に向かう人々で溢れているというのに態々カレン達に話しかけるあたり、何かしかの意図を持ってこちらに接触してきているとカレンは判断した。まず相手を下手に刺激するのは得策でないと考え、敢えて当たり障りのない返答で応じる。
「お婆ちゃん、心配しなくても大丈夫だって。ウチら危なくなったら逃げるからさ」
「そうかいそうかい。でもお嬢さん達みたいな子らが下手に首を突っ込んで、怪我をしちゃいけないよ」
「あ〜どうも。気をつけるよ。ありがとう、お婆ちゃん」
「私もあっちで何があったのか気になるけどねえ、近づいて火の粉が飛んできたら面倒だし、この手の話は嫌でも入ってくるもんさ。今は安全な所から事の成り行きを眺めるのが吉ってやつさ」
「分かってるけど、それでも行きたくなるのが好奇心っていうか」
「若さの為せる技だね」
「へへ、どうも」
「若いってのはいいことだ。それだけで周囲の全てが輝いて見える筈なんだが、私が当事者の頃はどうもそれに気づけなかった。ま、皆そうなんだろうし、今を生きるお嬢さんらがどう感じているかも分からないけど」
「う〜ん、輝いてるかは分からないよ。でも、明日のことも分かんないけどなんとなく行けるっしょって気でやれてるのは、私が若いからってことでいいのかな。大人ってほら、きっとこんな考えの人いないでしょ」
「うんうん、少なくともあんたは充分若い身分を活かしてるみたいだ。ほら、こっちまで騒ぎが来る様子でもないし、座って待ちな。どうせこの手の話は向こうからやってくるもんなんだから」
あれ、なんか普通だぞ、とカレンは思った。普通のお婆ちゃんみたいだ。この時点でカレンの警戒心は薄れ、こっちの勘違いで勝手に警戒しただけで、本当に親切心と老婆心からこちらを呼び止めたのだろうと都合の良い解釈に入れ替わっていた。
ベンチにゆっくりと腰掛け、隣を指して手招きする老婆の誘いを邪険にするのも体裁が悪いと思い、カレンはつい誘いに応じてしまった。
「待って」
カレンを呼び止めたのはツバキだった。腰を下ろして老婆を睨み、手は既に腰の刀に掛かっている。確認するまでもなく分かる臨戦態勢。老婆とツバキの直線上にカレンがいなければ今にでも飛び出して切り付けそうな勢いだ。
カレンは焦り、思わず両腕を振ってツバキの姿を老婆から隠すように静止に入る。あたふたする目の前のカレンの動きに身じろぎもせず、ツバキは老婆から頑なに目を離さない。
「ちょ、ツバキ何してんの。目立つでしょ」
「足、悪くないの」
「足?」
「婆ちゃん、今座る瞬間に重心が完全に杖から離れて足だけ使ってた。婆ちゃんの足がどれだけ悪いか知らないけど、本当に杖が必要な程ならそんな座り方しないよ。きっと軽い尻餅つくみたいに腰にくるから」
老婆に向き直る。老婆はクツクツと低く笑い、足を組んでこちらに目を据えた。足を組む瞬間に振り上げた右足の動作は軽やかで、素人目にも足腰の弱った老人の動きとはかけ離れたものだと分かった。
「今は行かないほうがいいってのは本心からさ。今騎士団とオレンジタルトの若いのがやり合ってる。巻き込まれて変に注目されちゃ損だ」
老婆はもう一度自らの座るベンチの隣を指し示し、ニッと口角を上げて微笑んだ。
「座って話そうじゃないか、お嬢さん。なに、どうせタルトの幹部連中は雲隠れしてるだろうし、今行って得られる情報なんてたかが知れてるさ」
「……何者?お婆ちゃん」
「まずは座んなよ。コミュニティ『ユキマダラ』頭目のレーヴェが直々に来てるんだ。ここで私と話してる方がきっと楽しい時間になるよ」
ツバキの問いかけに、老婆はどこか楽しそうに答えた。カレンは意を決し、レーヴェの隣に腰を下ろす。彼我の距離は数センチ。仮に相手がナイフの一つでも隠し持っていいたら対抗しようがない距離だ。結果的には相手の誘いにまんまと乗った形であるし、小さく聞こえたツバキの「馬鹿姫様」という呟きもまあ正論なので聞き流す。
それでも座ったのは、敵対勢力のリーダーを名乗る女性が目の前に現れた以上、多少の危険を覚悟してでも懐に飛び込まなければ手に入る物がないだろうと感じたからだ。私の体は頑丈だし怪我もすぐに治るから大丈夫と、誰に言うでもない言い訳を脳内で走らせる。これもレーヴェのいう若さの為せる技だろうか。
こちらの思惑をどう撮ったかは不明だが、レーヴェはもう一度笑った。
「いいねあんた。名前は?」
「カレン」
「いい名前だ。そっちの、ツバキって言ったっけ?まあ立ったままでいいからさ、構えず聞きなよ」
「……このままでいい」
「そ。気を張っても寿命が縮むだけだがねえ。ええと、あんたらがこの街に来たのが今日の午前。オレンジタルトの風使いを倒して、街の西の図書館に居座ってさっきまで何やら作戦会議。んで、今の爆発騒ぎを聞きつけて駆け出してきたって所だ。あってるだろ?」
「なんでそこまで知ってるの?ですか?」
何故だか中途半端な言葉遣いになってしまい、カレンは自虐的に目を細める。いまいち格好がつかない。レーヴェは嗜めるように杖で地面を突く。
「敬語はいいよ……うちも若いのを走らせて街の情報を集めててね。クライスって言ったか?風使いをやった連中がいるってんで尾行させてたのさ。もっとも、急な話だったんで背格好くらいしか情報が入ってこなかったけどね」
「それで直接私達のところに来たのか」
「まあ百聞は一見に如かずって所でねえ。私も頭目って立場のせいか普段は部屋に引きこもってるもんだから、運動がてら顔を見ようと思ってね。部下には止められたけど」
「『ユキマダラ』の部下?」
「ああ。十数人の小さな規模だが、優秀な子が揃った良いコミュニティさ」
「……獣人で揃えてるって聞いたけど」
「揃えてるっていうか、獣人ってのは自然と獣人同士で集まるのさ。最も、うちみたいに基の動物がバラバラなのは珍しい方だけど」
そういえばと、カレンは今日グノシェに至るまで乗った運送コミュニティの少年を思い出した。彼も鳥の獣人で、他の構成員も皆が鳥の特徴をその身に宿していた。さらには、コミュニティの構成員はいずれも鳥の亜人だったような気がする。
「動物がバラバラっていうと?」
「バラバラはバラバラさ。ま、今日そこまで詳しく語るつもりはないよ。あんたらもこの街に残るなら、いずれ耳に入るさ。ことの次第じゃあ直接相見えるかもね」
コルテの情報を思い返す。確かあいつは構成員の人数は15人程度だと言っていた。そして全員が獣人。あの胡散臭い男のことだから嘘なり誇張も混じっているのかと思ったが、今の所情報は正確だ。
「今度はこっちが聞くけどね、あんた達は本当に三人で来たのかい?街には三勢力の他にも色んな連中がひしめいてるってのに、事情を知って首を突っ込んでるなら、中々凄いことをやってるよ」
「正真正銘三人だよ。他に伏兵もいないし、バックもない」
ここで下手にブラフを交えるのは得策ではないだろう。それに今言った内容はコルテに新聞屋に持ち込むように頼んだ情報と同様であり、そこと食い違えばコルテにお使いを頼んだ意味が薄れてしまう。強いて言えばカレンのバックにはクルシア帝国という、この世界に置いてはこの上なく規模の大きい組織がいるのだが、カレンが頼るつもりがない以上、実質的にはないものと同じである。
カレンの言葉をどこまで本気と捉えたか、レーヴェの表情は変わらない。
「ふむふむ。まあこの街は来る者拒まずのいい街だ、あんたらが何をするのも自由さ。ふうん、よくもまあ……」
レーヴェは目を細めてこちらを眺めていたが、不意に言葉を詰まらせる。その視線にあったのはツバキ——というよりも、その腰に携えている刀に注意を向けている様だった。
「……嬢ちゃん。ツバキだっけか。その刀は貰い物かい?」
「師匠から譲り受けた」
「師の名は?」
「リュウラン。ヒノワ一の剣客の、私は最後の弟子だ」
「最後の弟子ねえ……そういえばそんな噂も聞いたっけ。『鬼姫』があんたみたいな小娘を選んだってか。ククク……面白いねえ」
「カカカ、私はあんた達への認識を改めるべきなんだろうねえ。単なる物見遊山の連中なら放っておこうと思ったのに」
老貴婦人は笑った。
その表面の高潔さを掻い潜って現れた高笑いは、捕食者たる猛禽類の嗎のようでもあった。
「正直あんたらのことは敵だと思っていなかった。岩使いも手練れだが外野に負けることもあるだろうし、あんたら、なんだか他に仲間がいる様子でもないしね。だが、『鬼姫』が参戦てのは面白い。それにアッシュ・ラグーンがこの街にいるってのも問題だ。それにええと、銀髪のあんたは……」
「あの無理に並べなくていいんで。別に私そういう二つ名とか逸話とかないから」
「いやいや、この人こう見えて姫さ……」
「い、いやいやいやいや!私はカレン、ただのカレンだから!」
ニヤニヤ笑いながらこちらを見るツバキを制し、大声で捲し立てる。
確かにカレンはこの帝国が誇る第一王女であることは確かであるし、再三名乗ってきた以上、ここで老婆相手に名乗らないのは通りが通らない。
しかし、そこは場の空気という奴がある。
今行われているのは今後戦うことになる敵との顔合わせ、言ってしまえば情報戦の場でもある。仮に相手が信じる可能性が低いとしても、ここでカレンが王女であるというカミングアウトが相手の機嫌にどんな影響を及ぼすか分からない以上、下手に名乗りを上げる必要はない。と、脳内で考えた末に、カレンは先程レーヴェの言葉に違和感を感じた。
鬼姫とやらの意味は分からないが、会話の流れからしてツバキの師匠は名の知れた人物であり、ツバキ自身も注目されうる人物だということがなんとなく推測できる。違和感はその後だ。レーヴェの言う鬼姫の参戦は面白いこと。裏を返せば、それはツバキの参戦に関しては面白がる程度の余裕があり、対処できる範囲内であるとユキマダラは考えているという事。対照的に、アッシュが敵対することは問題——軽んじるでもなく、はっきりと問題であると言い切ったのだ。それはなんでだろう。
「アッシュの存在を問題って言うのは、アッシュがユキマダラに対して無視できない被害を与えることができるから?」
半ば投げかけるように、カレンはレーヴェに問いただした。何の策もない、真正面からの問い。つい先刻情報戦だからと思って自らの出自を隠したにしてはあまりにも単純で愚直すぎる投げかけだ。しかし、カレンにはそれしか思いつかなかった。何せ、カレンがアッシュと出会ったのは今日の昼頃、ようやく半日が経とうかというばかりだ。アッシュいう個人を知らなすぎる。
レーヴェは少し意外だったようで黙っていたが、少し上空の方に目線を向けると笑い、もう一度こちらに向き直った。
「ああ、あんたよく知らないで『星の子』を連れてきたのかい。まあ一緒にいればどんな奴かは分かるだろうが……私が問題って言ったのはああいうことさ」
「はあ……え、ちょ、はあああああ!?」
何気なく空を仰いだカレンの視界に写ったのは、頭角を無惨に散らしながら崩落していく、巨大な時計塔の姿だった。落下点の周囲にはこれでもかと瓦礫が降り注ぎ、さながら爆撃でも受けたかのように粉吹雪が舞い、残骸が飛び出している。
「「「み、皆逃げろおおおお!!あの化け物共に巻き込まれる!!!」」」
騎士団とオレンジタルトの戦いを見物に来ていた野次馬達からも悲鳴が上がる。そりゃ当たり前だ。軽い気持ちで大捕物の見学にでもと駆けつけたら、まさかの災害の巻き添えを喰らったのだから。
カレンの視界の先では崩落していく瓦礫を舞台に三つの影が入り乱れながら刃を交えている。
一つは純白の騎士鎧に身を包み、片手剣を構えたアフロの男(アフロ!?)。
もう一人は黒いスーツらしい服を着た金髪の男。武器らしきものは持っていない。
そして何よりというか、やっぱりというか。最後の赤いコートを着た影には大変見覚えがあった。身の丈程ある矛を振り回して応戦するその背中は、心なしか高揚しているように思えた。
「あ……あいつ何やってんだ」




