3話 カニ鍋
突然響く怒鳴り声。それを掻き消す地響き。次いで馬が地を蹴る乾いた音が不規則に連続し、馬車の揺れが止まる。舞い上がる土煙にむせながら下車すると、5台の馬車が街道沿いに並んでいる様子が見てとれた。カレンの乗る馬車は1番前方だったらしい。そして、馬車の真上では各車の運転手らしき鳥人が空中に集まって何事かを相談している。巨大な翼をはためかせて滞空する様は神秘的ですらあり、成程同族なら嫉妬するのも無理ない光景だと感嘆した。
「で、カニってのは……うわ、でっかあ」
真っ直ぐに続く街道は平原を両断するように整備されている。その街道を塞ぐように、高さ5メートルはある大蟹が鎮座していた。黒光りするハサミをカチカチと鳴らし、背後には手下らしき小蟹を10匹程度引き連れている。もっとも、小蟹と言っても目測で1メートルはあるのだが。
「大漁だなあ。景気がいいや」
「言ってる場合かよ。ていうか馬車を停めて良かったのか?襲ってくるぞ!」
「まあ落ち着いてよ。大丈夫だから」
慌てて騒ぎ出す少年。対してカレンは冷静沈着そのものであった。それもその筈、カレンには落ち着いていられるだけの根拠があった。
「焦るな少年よ。カニというのは横にしか動けないものなのさ。奴らはこっちに真正面を向いてる。てーことはただ街道を横切ってるわけであって、このまま待ってれば過ぎるだけの話よ」
「え?でもだんだん近づいてきてるような気がするけど」
「は!?うわ、本当だ!!」
驚愕した。蟹たちは8本の足を駆使して街道を縦に、つまりはこちらに向けて真っ直ぐに歩み寄ってきている。その堂々たる行軍に感動すら覚えたが、見惚れている場合ではない。彼我の距離はまだ数百メートルあり、蟹の歩みは遅い。とはいえ歩幅は人間と比較にならない程大きい為、距離を詰めるのに数分もかからないだろう。
「あかん、あかんって。潰される〜!早く逃げなきゃ!!」
「落ち着けよ姉ちゃん!親父たちの判断を待つんだ」
「んなこと言って……いや待てよ」
先ほどの話を思い出す。馬車に乗っていた客の殆どは魔女の秘宝とやらを探し求めるトレジャーハンター集団。腕に覚えのある冒険者達。度胸と実力を兼ね備えているであろう彼等にとってはモンスター退治なぞ専門中の専門分野。これぞまさしく不幸中の幸いである。
さて、一国の王女の窮地に居合わせた勇気ある面々はというと。
「オイオイオイマズイって死にたくねえ逃げるぞ!」
「ヒャアアあ!!!!家に帰る!彼女が恋しい!」
「道理で今朝は黒猫を見かけると思ったんだ……!今日は出直すぜ!」
そんな慟哭を残しながら、我先にと元来た道へと駆け出して行く。おいおい、なんて情けない連中だ。見てくれが屈強な男集団なせいで余計に格好の悪さが際立つ。よくもまあそんな肝っ玉で宝探しを決意したものだ。とはいえカレンも人を批判できる立場ではない。一緒に逃げようか。この少年もひとまず連れて行くかと逡巡しているそんな時に、カレンは見つけた。
鉄砲水のような勢いを持って逃げ惑う人の中に。2人だけ、反対方向に歩く者達がいる。濁流を割る大岩のように人の波を割り、悠々と歩を進める様子に迷いはない。
やがて逃げる人もはけ、2人の姿が露わになる。赤髪の少女と茶髪の青年だ。
少女の衣服は袖口の広い白の羽織。背には虎をモデルにした刺繍が施されている。白を基調とした色合いが本人の真紅の髪と身長の割に凛々しい顔立ちを引き立てている。腰には2振りの刀を携えているようだ。あの民族衣装からして、恐らくは東の島国から流れてきた剣士なのだろう。向こうの言葉ではサムライ、とか言ったか。アレ?ニンジャだったっけ。
もう一方の男は少し毛色が違った。くすんだ赤いコートに、使い込まれているが見るからに高そうなブーツ。手には身の丈ほどもある矛を備えている。鋭い目つきと逆だった髪からは高圧的な印象を受けるが、表情自体は穏やかだ。矛はかなりの重量があるだろうにその歩みは軽やかであり、一般的な家屋を凌ぐ身長を誇る大蟹を前にしても不安のようなものは一切感じていない様子だ。
どうやら顔見知り同士らしい2人はヒソヒソと話しながら歩いていたが、カレンの視線に気がつくと手を挙げて軽く応じた。そして、赤髪の少女の跳躍。一陣の風と共に、十数メートルの距離を一瞬で詰められる。
「こんにちは。私、ツバキって言います。あなたも戦うつもりなの?」
「こ、こんにちは。戦うっていうか、逃げるタイミングをなんとなく失ってるっていうか……」
無邪気に破顔する様に気圧される。ツバキ、と名乗った少女は、
「ふうん、でも今はカニ鍋のチャンスなんだよ?私、カニってあんまり食べる習慣なくて。あんな大きいカニで作った鍋がどんな味になるのか楽しみって、そう思わない?」
「はあ〜カニ鍋だあ〜!?」
カレンは驚愕した。この非常時に鍋の話とは。確かに相手は蟹だ。蟹であるからにはあの大木の様に丸々と太った足には肉がみっちりと詰まっているんだろうし、日を照り返して鈍く輝く甲羅の中には蟹味噌がたっぷりと入っているのだろう。何せサイズがサイズだ。普段食卓に並ぶ蟹とは可食部の量が比較にならない訳で。しかも5メートル超にまで成長した蟹の成熟した肉の味が気になるかと問われればそれはもう。
「……ちょっと食べてみたい」
「ね。そうでしょ」
少女の微笑みと共に繰り出される渾身のサムズアップに、思わずカレンも親指を立てて返す。多分、この娘は悪い子じゃないんだろう。サムズアップを交わした瞬間に、カレンは確かな共感と友情の兆しを感じた。そんな様子を茶髪の男は黙って見ていたが、ふとカレンの背後に控える少年に目をやった。
「なあ君、ここの輸送コミュニティの子か?上の人に取り次いでもらいたいんだけどいいかな」
顔の割に優しい声だった。
「いいですけど、何を取り次げばいいんです?」
「俺達3人で蟹軍団を倒すから、馬車で通り抜けるなり、逃げた客を呼び戻すなり好きにしろって伝えてくれ」
「ええ構いませんけど……、3人で!?協力を仰いでで一緒に倒すのではなく?」
「大丈夫だよ。なに、心配するなって。これでも俺達、結構強いんだぜ。あ、あと余った蟹の素材を引き取ってもらえると助かる」
「え!?まあ……そう言うなら。親父達にはそう伝えます。でも、危なくなったら逃げてくださいね」
そう言って少年は馬車の方へ駆け出して行った。何やら大人達の集団に混じって話し始めたのを確認し、男はカレンの方を見る。
「そうそう、俺はアッシュだ。よろしくな」
爽やかにアッシュと名乗った茶髪の男は前に出て矛を振りかぶると、
「『月虹』」
呟き、目にも止まらぬ速度で矛を薙ぎ払う。一閃と共に刃の先端から放たれた白銀の光線は寸分の違いもなく、数十メートル先の大蟹の右足の付け根に突き刺さる。そして響く、洞穴に反響する波のような低音。大蟹は泡を吹き出しながら体勢を崩し、その場に倒れ込む。
「ツバキ〜鍋には残った部分を上手く使うから、脳天かち割って一撃でシメてくれ」
「了解」
いうが早いか、赤髪の少女は大蟹に目掛けて全力ダッシュ。そして残りあと数メートルというところで跳躍し、丁度良く頭を垂れていた蟹の上に舞い上がった瞬間に刀を大上段に構える。
「決まったな。なあアンタ、料理できる?」
「え?できないです」
「じゃあ器材運ぶのと味見頼むわ」
「か、蟹を倒すのは……」
「もう終わったと思うけど」
アッシュが指差す先には、頭を完全に地に伏せて動かない大蟹と、蜘蛛の子を散らすようにどこかへ逃げていく小蟹達。そして、刀を天に振り上げて勝利のポーズ?を決める少女。大の大人達が尻尾を巻いて逃げ出すような巨大モンスターがあっさりと沈黙しているのを認識するのに、カレンはしばしの時間を要した。
そして数十分後、蟹は無事に鍋になった。鳥人の輸送コミュニティから譲り受けた鍋に入る分の肉と蟹味噌、そして甲羅のほんの一部を頂戴し、道の端で囲む。それは側から見たら異様な光景だっただろう。
「所詮は蟹。人間には勝てない」
そう呟いたツバキの言葉が、なんとなく耳に残った。鍋を突きながら聞くところによると、二人も魔女の秘宝とやらを探してグノシェに向かう道中だったらしい。何気なく宝を見つけたらどんな願いをするのかと問いかけると、
「私はこの国で名を上げたい。宝を見つけるのはその手段」
「俺はこいつの保護者役だ。ツバキの願いが叶えばいい」
と、答えになっていないような答えだった。しかしながら、終わらない退屈と鬱屈から抜け出したばかりであるカレンにとって、一見して型に嵌らない様な二人の雰囲気は、非常に魅力的で、端的には面白そうに見えた。
「ねえ、私も仲間に入れて、連れていってよ。私も宝に興味が出てきた」
そんな投げかけをするのも、カレンの思考の中では非常に自然な流れだった。断られたらどうしようかと逡巡したが、それを聞いた2人の表情が変わらず穏やかなままであったことはカレンを安心させた。
「ハハ、俺はいいと思うぜ。こういうのは人が多い方がいい」
「私も構わない。改めてよろしくね、カレン。ところで……」
ツバキは一瞬言葉に詰まったように黙り、まあいいかと思い返した様に言葉を繋げる。
「カレンはなんで旅をしてるの?綺麗な格好してるけど、実は結構偉い人だったりして?」
自らの格好を顧みると、1組の綿状のポンポンが特徴的なポンチョに、毛皮仕立ての真っ白い巨大な帽子。意識していなかったが、一般的なファッションと比べるといささか派手で、小綺麗なものかもしれない。
そして後に、カレンは思い返す。あそこはもっといい受け答えがあっただろうと。いかに自らが危うい立場であるかを分からない自分ではないだろうに、何故あんな軽率な事を言ってしまったのかと。だがこの瞬間にあって、当の本人は気づかない。言ってしまえば、気の許せそうな人間と出会ったこの瞬間に彼女は帝都の窮屈な暮らしから真の意味で解放されたとも捉えられ、連動するように緩んだ警戒心はカレンの言語能力を一時的にダウンさせたのだ。
「実は私、このクルシア帝国の王女でさ。毎日がうんざりで家出しちゃったんだよね」
この瞬間、二人が見せた驚愕と困惑と疑心とその他諸々の感情が入り混じった表情はカレンの脳内にこびりつき、一生涯離れることはなかった。




