54話 これがきっと幸せ①
「そういえば、稀代の魔女様がグランハート領を去られたそうですよ」
「えっ」
私は驚いて顔を上げた。
朝食の席でオリバーさんが、いつものように手際よくパンを並べながら、さらりと言ってのける。
「もともと気まぐれでグランハート領に滞在していらっしゃったようで。ご自由な方なので、飽きたのではないかと」
「……そんな。お礼、言いたかったなぁ」
私は、がっくりと肩を落とした。
魔女様には色々とお世話になった上に、ヴィクター様の呪いを解くために彼に真実を伝えないでいてくれたのだ。
ただ、あの魔女様のことだから、「お礼なんていらん」と言うだろうけれど。
「ところで、ヴィクター様は」
「まだ寝ておられます」
「嘘でしょ」
ヴィクター様は、呪いが解けてからというもの、今まで寝ていなかったのを取り戻すかのように、毎日早寝遅起きだ。
昨日も昨日とて、夕食後すぐに眠ってしまったから、かれこれ10時間以上は寝ている。
「……起こしてきます」
私は朝食を食べる前に、ヴィクター様を呼びに行くことにした。
◇
そっと扉を開けると、ヴィクター様はまだ眠っていた。
カーテンの隙間から朝の光が差し込む中で、横になっているヴィクター様はまるで絵画みたいだった。
「ヴィクター様」
「……」
声をかけても、返事はない。
「ヴィクター様、朝ですよ」
肩を揺すると、ヴィクター様がうっすらと目を開けた。
「わっ」
そして、次の瞬間、ぐっと腕を引っ張られて、私はベッドに引き込まれた。顔がヴィクター様の胸にぎゅっと押し付けられる。
「ちょ、ヴィクター様……!」
「ううん」
ヴィクター様は、思ったより寝起きが悪いらしい。
普段のせっかち几帳面トゲトゲ偏屈公爵とは正反対のゆるゆるの姿に、思わず苦笑してしまう。
「朝ですよ。もうご飯の準備もできてます」
私が言っても、ヴィクター様は目を閉じたままだ。
「仕事、遅れますよ」
「きょうは、休みだ……」
「寝ぼけてるくせに、覚えてるんですか」
「……もう少し、だけ」
ヴィクター様の腕が、私をしっかりと捕まえている。
こうなったら、しばらく逃げられない。
私は諦めて、そのまま天井を見上げた。
◇
午前も終わり掛けになって、ようやくヴィクター様が起き上がった。
食堂で遅すぎる朝食をいただいていると、わざわざ料理長が食堂にやってきた。
「お味はいかがですか?」
「……美味い」
ヴィクター様が素っ気なく答えた。
彼にしては最上級の褒め言葉だろうなと思っていると、突然、料理長がおんおんと泣き出した。
「わたくし、公爵様が甘い物以外も召し上がるようになり、本当に嬉しく……!」
「お、おい……」
「砂糖の摂りすぎで早死してしまうのではないかと心配しており……!」
「それはすまなかった」
料理長の大号泣に、ヴィクター様がたじたじになっている。
あの不機嫌な公爵様が、料理長に泣かれて困り果てている。なんだかおかしくて、私は笑いを堪えるのに必死だった。
料理長がようやく引き上げてから、そんなヴィクター様の顔をじっと見つめていると、怪訝な顔をされた。
「……なんだ」
「すっかり顔色が良くなりましたね」
本当に彼の不健康さは消えてしまった。
目の下のクマは、長年の色素沈着のせいかまだ少し残っているけれど、以前と比べると随分と薄くなっている。顔に血の気が戻って、肌艶も良い。
「そうか」
ヴィクター様が、素っ気なく答える。けれど、その声はどこか穏やかで。
「天気もいいですし、街に出ませんか」
「……まあ、いいだろう」
◇
ノスウィックの街は、とても賑やかだった。
馬車を降りると、冷たい風が頬を撫でる。まだ雪は降っていないが、グランハート領はすっかり冬の気配だった。
「私が婚約者になったばかりの頃も、ここに来ましたね」
「ああ。魔女に会いに行った時か」
馴染みの店を覗きながら歩いていると、仕立て屋の前で店主様が顔を出した。
「あら、アリス様! ヴィクター様も!」
にこにこと手を振ってくれる。
あの雪の日、二人で舞踏会用の衣装を選んだことを思い出して、私は自然と笑顔になった。
今度また夜会があるため、近々お世話になる予定だ。
「ヴィクター様も、すっかり顔色が良くなられて!」
店主様が、目を細める。
ヴィクター様は相変わらず素っ気ない顔をしているけれど、小さく会釈をした。彼女が嬉しそうに胸に手を当てているのを見て、私もなんだか嬉しくなった。
店主様に別れを告げて、また歩き出す。
大通りを抜けて市場の方へ向かう途中で、向こうから見知った顔が歩いてきた。
リオとリラだった。二人とも、仲良く並んでいる。
「あ、アリス先生! ……とヴィクター先生」
「なんで、俺がおまけ扱いなんだ」
ヴィクター様が、呆れたように突っ込む。リオが、しまったという顔をした。
「リオ、リラ! 今日はどうしたの?」
「二人でお出かけです」
リラが、嬉しそうに言う。
もともと快活な彼女だが、なんだか最近さらに明るくなった気がする。
「リラ、先輩との仲は、どう?」
「それは……えと、順調です」
頬が赤い。リオが、やれやれという顔をしている。
「リオも早く好きな人を作ればいいのに。それとも、もう好きな人がいたりとか?」
私が言うと、リオがぎょっとした顔をした。
「い、いませんよ!」
「へえ……?」
じっと見つめていると、リオの耳がじわりと赤くなっていく。そういえば、最近リオだけで備品庫に来る回数が増えた気がする。もしかしたら、私に恋の相談をしたいのかもしれない。
「先生に聞かせてみなさい」
「あ、あんま近寄らないでください!」
その時、すっとヴィクター様が私の隣に並んで、私の腕を引っ張った。
「ちょっと、何するんですか」
「虫よけだ。油断も隙もあったもんじゃない」
「……?」
なぜか、リオがびくりと背筋を伸ばして、そのままさっと視線を逸らした。
「……?」
私は、二人を交互に見た。ヴィクター様は涼しい顔で前を向いていて、リオは石畳の一点を見つめている。二人の間に、私には見えない何かが流れているような、そんな空気だった。
それを察したらしいリラが、苦笑いをしながらリオの腕を引っ張って歩き出す。
「またお会いしましょう、アリス先生!」
「え、ええ、じゃあね?」
双子の後ろ姿を見送っていると、広場の方から子どもたちの声が聞こえてきた。賑やかな笑い声につられて目を向けると、子どもたちが走り回っているのが見える。
その中に、見覚えのある顔があった。
以前、魔獣から庇った時の子どもだ。元気そうに友達と遊んでいたが、こちらに気がつくと、まっすぐに駆け寄ってきた。
「領主様! 僕も魔法使えることが分かったの!」
「そうか」
さっきまでの険しい顔が、ほんの少しだけ和らいでいた。
「領主様みたいな立派な魔法使いになるね!」
「ああ、頑張れ」
声は相変わらず素っ気ない。けれど、子どもの頭を軽く撫でるその手は、とても優しかった。子どもが嬉しそうに友達の元へ駆け戻っていくのを、ヴィクター様はしばらく目で追っていた。
気がつくと、周りに人だかりができていた。子どもに懐かれる領主の姿を、領民たちがにこにこと眺めている。
「……なんで、こんなに見られてるんだ」
ヴィクター様が、居心地悪そうに周囲を見渡す。
「あらあら、ヴィクターも人気者ね」
後ろから声がして振り返ると、レイア先生が立っていた。
街の景色から浮いてしまうほど美しい彼女の登場で、周囲の視線がさらに集まってくる。
ヴィクター様が、盛大にため息をついた。
「勘弁してくださいよ」
「良いじゃないですか。人気者の領主様は!」
私が笑うと、ヴィクター様は不本意そうな顔をした。
「行くぞ」
ヴィクター様は、私の手を引いて駆け出した。




