53話 あなたを呪ったのは④
屋敷に戻る途中、なぜか頭に花冠を乗っけたヴィクター様がげんなりした顔で歩いていた。
「……なんですか、それ」
私が聞くと、ヴィクター様はますます不機嫌そうな顔をする。
「生徒たちに乗せられてしまったらしい」
どうやら、先ほどの一件でいつの間にか花冠を作ってくれた生徒たちに、乗せられてしまったらしい。野の花を丁寧に編み込んだ冠が、黒髪の上にちょこんと乗っている。
「本当に散々な目にあった……」
そう言いながら、ヴィクター様は木陰に腰を下ろした。
ここは、以前魔法を披露してくれた場所だった。まっさらな広場。空が広くて、遠くまで見渡せる。草が風に揺れて、さわさわと優しい音を立てている。
私も、隣に座る。
「愛されてるじゃないですか、ヴィクター先生!」
私が笑うと、ヴィクター様は嫌そうに目を細める。
「馬鹿にしてるのか……」
そう言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいて。
「まあ、でも」
ヴィクター様が、ゆっくりと目を瞑る。
風が吹いて、花冠が揺れた。黒髪の上に乗った花の輪が、光を受けてふわりと揺れている。
「悪い気はしなかった」
その声は、いつもより穏やかだった。
「好きですよ、ヴィクター様」
口から、自然に言葉が出た。
挨拶みたいに言い慣れてしまった言葉だけれど、今日は少し違う気持ちで言えた気がしたのだ。
「はいはい。もう分かった」
ヴィクター様が、素っ気なく答える。けれど、その声はどこか柔らかい。
「……ありがとう」
小さな声だった。聞き逃しそうなくらい、小さな声。
「ずっと自分のことが嫌いだった。出来損ないだって、思ってた」
ヴィクター様が、静かに言う。草の上に手をついて、空を見上げている。
私は、黙って聞いていた。
「でも……そんな自分のことも少しだけ」
ヴィクター様が、小さく笑う。
「好きだと思えた」
「……!」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
ヴィクター様は、頭も良くて魔法の技術もあって、私なんかよりずっと何でもできるのに、ずっと自分のことを嫌っていた。
そんな彼が、自分を好きだと思えるのは、とっても尊くて素晴らしいことだと思うのだ。
ヴィクター様が、深く息を吐いた。
「ああ、気持ちいいな」
目を瞑った彼の顔は、とても穏やかで。
眉間の皺も、いつもの鋭さも、今は影を潜めている。
(……あ)
ヴィクター様の呼吸が、段々とゆっくりになり、胸が、規則正しく上下している。
花冠の花びらが、風に吹かれて飛んでいった。
「ヴィクター様……?」
「……」
呼びかけても返事は無い。ただ、こてんと私の肩に頭を預けて、気持ちよさそうに目を瞑っている。
これは、もしかして。
(ああ、ヴィクター様は……やっと……)
ぶわりと涙が溢れだしそうなる。
「――呪いが解けたようだな」
見上げると、稀代の魔女様が立っていた。
「ま、魔女様……」
私が驚いて見上げると、魔女様は口元をにやりと吊り上げる。
「『真実の愛』とは――己を愛すること。かの男は、無意識のうちに自分で自分に呪いをかけおったらしい」
魔女様が、しゃがみこんでヴィクター様を見つめた。彼女は、表情はわからないけれど、どこか慈しむような色をしていた。
「『出来損ないの自分』は昼も夜も、人の役に立たねばならん。とな」
「そう、だったんだ……」
ヴィクター様の横顔を見る。穏やかに眠っている、その顔を。
ずっとずっと、自分を責め続けていたこの人が、十年以上も自分を縛っていて、やっと自分のことを好きになれたんだ。
「魔女様は、あえて言わないでくれたんですか?」
「何の話だ」
「『自分を好きになれ』なんて言っても、ヴィクター様には逆効果だと知っていたから……だから、ずっと黙っていてくれたんですか」
魔女様は、少しの間黙っていた。風が吹いて、草が揺れる。
「さあな」
魔女様が、ゆっくりと立ち上がる。ローブの裾が、風に揺れた。
「領主のこと、頼んだぞ、アリス」
それだけ言って、魔女様は歩き出した。
木々の向こうに、その背中が消えていく。
「……うっ、うぅ……」
私は、魔女様の背中を見ながら、声を殺して泣いた。
誰よりも努力して、誰よりも強くて、誰よりも優しい人がやっと報われた気がして。
(こんなに、嬉しいことはない)
涙が、次々と溢れてくる。胸の中がいっぱいで、うまく整理できないまま、私はただ泣いた。
泣きじゃくったまま、空を見上げると虹がかかっていた。
魔法じゃない、自然の虹がまるで祝福するかのように大きく弧を描いていた。
グランハート領では、晴れの日が少なくて虹なんて滅多にお目にかかれない。
どうやら、世界は案外、優しいらしい。
そっと、ヴィクター様の手を握る。温かい。大きくて、温かい手が、私の手をそっと包んでいる。
「ゆっくり、おやすみなさい。ヴィクター様」
これからは、一緒に眠って、一緒に朝を迎えられる。
そう思うと、また涙が溢れてきた。
◇
しばらく歩いたわたしは、ローブを取って深く息をついた。
黒髪がさらりと風に揺れる。
「これで、物語はめでたしめでたしか」
くるりと振り返ると、小さくなった兄と、その婚約者の姿が見える。
「稀代の魔女」なんて呼ばれて、はや5年。
公には、わたしは死んだことになっている。
もう公爵家に戻る気もないし、顔を出す権利もないと思っている。
「……呪いが解けて本当に良かった」
そう口にすると、堰を切ったように涙が溢れだして止まらなくなった。
大好きなお兄ちゃんなのに、わたしには、何もできなかったから。
虐げられていても、不眠に悩んでいても、わたしは何一つしてあげられなかったから。
「ありがとう、アリス。――お兄ちゃん、お幸せに!」
これでもう、グランハート領に滞在する理由はなくなってしまった。
夢だった世界旅行にでも行こうかと、大きく伸びをした。




