49話 残夏の甘さに酔いしれて④
式が終わって、披露宴が始まった。
テーブルには豪華な料理が並んでいて、どれも美味しそうだ。ローストされたお肉に、色とりどりの野菜、繊細な飾りつけのデザート。目移りして、どれから手をつけるか迷ってしまう。
配られたシャンパンを片手に、私が料理を物色していると、ヴィクター様が私の隣に戻ってきた。
「……あ、ヴィクター様。こんなに人がいっぱいいたのに、よく見つけられましたね」
「一生懸命に料理を見てる奴なんて、お前以外いなかったからな」
呆れた顔のヴィクター様は、どこかげんなりとしている。どうやら、私の元に来るまで、様々な貴族に絡まれたらしい。
(……今や、社交界の人気者だからなぁ)
今だって、令嬢たちがヴィクター様に釘付けだ。
私は、ヴィクター様の魅力に自分だけが気付いているということに安心しすぎていたのかもしれないと思う。当の本人は、何一つ気にしていなさそうだが。
ヴィクター様は、私の方をじっと見つめた。
「泣いたのか」
「泣いてません」
「嘘つけ、目が赤い」
すっと、ヴィクター様の指が私の目元をなぞった。
手袋越しでも、その優しい触れ方が分かる。心臓が、大きく跳ねた。
(……ううっ)
顔が熱い。
誤魔化すように、手に持っていたシャンパングラスを一気に傾けた。
「おい、お前、酒なんて飲めたのか?」
「まあ、一応お酒は飲んで大丈夫な歳ですし」
お酒はあまり飲んだことは無かったけれど、喉を通る感覚は思ったより軽くて、頭もくらくらしない。
「意外と強いみたいです!」
「それなら良かった」
ヴィクター様も、ぐいっとグラスを傾ける。彼も意外とお酒を飲む方であるらしい。
そこへ、王太子殿下とマリアンヌ様がやってきた。
「やあ、二人とも。来てくれてよかった」
王太子殿下が、いつもの爽やかな笑顔で言う。
けれど今日は、いつものような裏をかくような瞳ではなくて、ただただ幸せで堪らないという表情だった。
「本当に、おめでとうございます」
殿下とマリアンヌ様の姿を改めて見てしまったから、じわりと目頭が熱くなってくる。
私は、慌てて瞬きをして誤魔化した。
「ありがとう。アリスが来てくれて嬉しいわ」
「ヴィクター、お前も来てくれてよかった」
王太子殿下がヴィクター様に言うと、ヴィクター様は少し不機嫌そうな顔をした。
「……仕方なく来ただけだ」
「相変わらずだな」
その時、侍従が小声で殿下に耳打ちする。他のゲストへの挨拶が控えているらしい。
主役の二人は忙しいのだ。
「時間が取れなくてすまない。またゆっくり話そう」
「アリス、またお茶会しましょうね」
マリアンヌ様が私の手を握る。
「はい、ぜひ」
二人が次の参列者のところへ向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、ふと先日のシャーロット様の言葉が頭をよぎった。
『ヴィクター様は、ご結婚の意思はおありなのかしら?』
(私たちって、結婚するのかな)
隣を見ると、ヴィクター様がグラスを傾けている。婚約者として、半年近くを共に過ごしてきた。
呪いのことも、まだ解決していない。先のことは、分からない。
私は、ヴィクター様を見上げた。
「ヴィクター様」
「なんだ」
「今日、来て良かったですね」
ヴィクター様が、私を見る。
「……まあ、悪くはなかった」
彼がそう答えたと同時くらいだった。
ダンスの時間が始まったようで、遠くで音楽が流れだした。優雅なワルツが、会場全体を包んでいく。
「どうする、ダンスでも――」
ヴィクター様が言いかけた、その時。
私は、ふらりと傾いた。
気がつけば、ヴィクター様の腕にもたれかかっていた。礼装のジャケットが、頬に触れる。
「……お前、大丈夫か」
「大丈夫です、全然へいきで……」
口ではそう言いながら、体がヴィクター様にべったりと寄りかかっていく。
温かい。このまま目を閉じてしまいたい。
「……何が『意外と強い』だ、馬鹿め」
ヴィクター様が、私の腕を掴んで支えてくれる。
「こっちに来い」
手を引いて連れていかれたのは、バルコニーだった。
夜風が頬を撫でて、少し頭が冷える。王都の夜景が、眼下に広がっていた。
無数の光が瞬いていて、綺麗だとは思うのだけれど、なんだかぐるぐると回っている気がする。
「水を飲め」
「ありがとうございます……」
ヴィクター様が、給仕から受け取ったグラスを私に差し出した。
だけど、受け取ろうとすると、指先がうまく動かない。グラスがかたりと揺れて、ヴィクター様がさっと支えてくれた。
「……貸せ」
ヴィクター様が、私の口元にグラスを傾けてくれる。冷たい水が喉を流れていく。
「……どうだ」
「うーん……」
私は、バルコニーの手すりに手をつく。夜風は気持ちいいけれど、足元がふわふわしている。
なんだか悪化している気がする。
「ちょっと、まだくらくらします……」
そう言いながら、またヴィクター様の方へ傾いてしまう。ヴィクター様が舌打ちをして、私の背中を支えてくれた。
「しっかりしろ」
「してます……」
「してないだろ」
しばらく夜風に当たっていたけれど、足元のふわふわはなかなか収まらなかった。
むしろ、夜景の光が異様にきらきらしていて、なんだか気分も悪くなってきた。
「ヴィクター様……眠いです……」
「寝るな」
ヴィクター様が、私の頬を軽く叩く。
「……本当に、どうしようもないな」
ため息をついて、ヴィクター様が何かを取り出した。小さな瓶だ。中に、琥珀色の液体が入っている。
「俺がいつも持ち歩いているものだが……アルコールを分解する薬だ。飲め」
「……はい」
そんな便利なものがあるのかと感心したいところだが、なにせ元気がなかった。
ヴィクター様が、瓶の蓋を開けて、私に差し出すけれど、これまた指がうまく瓶を掴めない。
「……貸せ。口を開けろ」
ヴィクター様が瓶を持ち直して、私の口元に運ぶ。けれど、だらだらと液体が口から零れ落ちてしまい、うまくいかない。
頭では分かっているのに、体が思うように動かないのだ。
ヴィクター様が、静かにため息をついた。
「仕方ない」
そう呟いて、ヴィクター様は何思ったのか、私の顎にそっと手を添えた。
「目を閉じろ」
「え、な、なんで――」
「いいから」
ヴィクター様の声は、いつもより低くて。私は、なんとなく目を閉じた。
真っ暗な視界の中、なぜか彼の気配が、近づいてくる。
それから、唇に柔らかな感触があった。
「……っ」
温かくて。
ぬるりと薬の、ほんのり苦い味が口の中に広がった。
それから数秒して、ふっと頭の靄が晴れていく感覚がした。
ぐるぐると回っていた視界が、すっと落ち着く。足元のふわふわも、嘘のように消えていた。
私は、目を開けた時、ヴィクター様が、ありえないくらい目の前にいた。
鼻と鼻が触れそうな距離だ。
近い。とても近い。
「………」
「………」
しばらく、二人とも動けなかった。
先に我に返ったのは、ヴィクター様だった。さっと顔を背けて、バルコニーの手すりに手をつく。その耳が、夜の暗がりでも分かるくらい、真っ赤になっていた。
「……気分は、どうだ」
声が、僅かに上ずっている。
「は、はい……すっかり、良くなりました」
私も、顔が熱くてたまらない。さっきまでの酔いとは、全く別の種類の熱だ。
「あの……」
私が口を開くと、ヴィクター様が被せるように言った。
「忘れろ」
「え」
「薬を飲ませただけだ」
ヴィクター様が、ようやくこちらを向く。その顔は、いつもの不機嫌そうな顔だ。けれど、耳はまだ赤い。
(『忘れろ』なんて、無理に決まってるよ……!)
いつも私ばかりドキドキさせられている気がする。
私はムッとして、ヴィクター様の顔をじっと見つめた。
「へえ、ヴィクター様は、私に忘れてほしいんですね」
「ち、ちが……っ」
ヴィクター様が、珍しく言葉に詰まる。
「こんな不可抗力じゃなくて、俺はちゃんと――」
言いかけた唇を、私はそっと塞いだ。
触れるだけの、短いキスだった。
それから、私はヴィクター様から背を向けて歩き出す。
「酔いました」
振り返らずにそう言うと、後ろから何かを言いかけるヴィクター様の声が聞こえた気がしたけれど、聞こえないふりをした。
きっと、そんなイタズラをしたくなってしまったのも、お酒のせいだと思う。




