47話 残夏の甘さに酔いしれて②
「アリス様、最近、楽しそうですね」
「はいっ」
オリバーさんの声を聞きながら、もぐもぐといつものようにパンを押し込んで食べる。
魔法学校に勤め始めて、はや1か月が経とうとしている。先日、入学式が執り行われ、例の双子――リオとリラも無事に魔法学校の生徒となった。
「風の噂でも聞きますよ。アリス先生はとっても優しくて話しやすいって」
「へへ……」
自画自賛するわけではないが、休み時間には生徒がやってきてお話をしたり、一緒にご飯を食べたりしている。
好かれている自信はそれなりにあった。
「それに比べ、ヴィクター様は……」
「なんだ。俺はただの講師だぞ。生徒に優しくする義理もない」
「うわあ……」
ヴィクター様は、生徒に対して愛想なんて微塵もない。
だが、厳しい分魔法の授業はわかりやすいらしく、一部の生徒から熱烈な支持を得ていることも知った。
オリバーさんは、若干引いた目でヴィクター様を見つめている。
「そんな正反対なアリス様とヴィクター様に、王宮からお手紙です」
「王宮……?」
オリバーさんの差し出してきた手紙は、普段王太子殿下やマリアンヌ様から届くものよりもずっと上質だ。
光の加減によって輝く魔法紙が使われており、きっと、これだけで服一着は買えてしまうだろう。
間違って破らないように慎重に開いていけば、中から一枚の厚紙が出てきた。
そこには、王太子殿下とマリアンヌ様の連名で私宛てにメッセージが綴られていた。
「結婚式の招待状だ!」
私は、思わず叫んだ。
王太子殿下とマリアンヌ様が近々結婚するとは聞いていたものの、実際にこうやって知らされると嬉しいものだ。
「良かったぁ……」
「なんでもう泣いてるんだ」
オリバーさんから受け取ったハンカチを目に当てていると、呆れ顔のヴィクター様が目に入る。
「ヴィクター様、もちろん出席しますよね」
「別に、仕方ないから行くだけだ」
と言いつつ、ヴィクター様の表情は少し嬉しそうで。
「そういうの、『つんでれ』って言うんですよ」
「は?」
「最近、2年生の子に教えてもらいました」
実は内心はデレデレなのに、恥ずかしいからツンツンしている――その略称だ。最近の恋愛小説の流行はもっぱら『つんでれ』らしい。
まさに、ヴィクター様を現したような単語である。
「誰が、『つんでれ』だ。行くぞ」
「はあい」
私はヴィクター様の後を追って、いつものように魔法学校へと向かった。
◇
その日、魔法学校には異常なほど華やかな空気が漂っていた。
廊下を歩いていると、見慣れない顔がちらほらと目につく。華やかなドレスを纏った令嬢たちが、教師の案内でゆっくりと校内を歩いている。
「今日は貴族のご令嬢方の視察日なのよ」
備品庫で一緒に作業をしていたレイア先生が、私の耳元でそっと教えてくれた。
「ご子息を魔法学校に入学させるかどうか、親御さんたちが判断するための見学なの。それにご令嬢方も同行してるのよ」
「この前、入学式があったばかりなのに……」
「ほんとよ、忙しくて嫌になっちゃうわよね?」
どおりで、今日はいつもより学内が賑やかなわけだ。
備品庫の貸し出し窓口から身を乗り出せば、令嬢たちの話し声が聞こえてきた。
「グランハート公爵様って、ここで講義をされているんですって」
「本当に? 見てみたいわぁ」
「社交界で噂になってるもの。あんなに素敵な方が独身なんて、信じられないって」
どうやら、ヴィクター様の人気は相当なものらしい。
舞踏会の一件以来、社交界でのヴィクター様の評判は目に見えて上がっていた。
魔獣から街を守る領主として、優秀な魔法使いとして。そして、婚約者を守るために真っ向から立ち向かった男として。
(あまりに美化され過ぎな気はするけど……)
私は、苦笑いしながら魔道具の手入れを続ける。
しばらくして、備品庫の貸し出しの窓口に令嬢たちが数人やってきた。視察の一環で、備品庫も見学するらしい。
「まあ、こちらで魔道具の管理をされているんですか?」
令嬢の一人が、物珍しそうに私を見る。
「はい。こういう作業は、魔力がない私の方が向いているんです」
私が説明すると、令嬢たちはへえ、と感心したような顔をした。
その時、一人の令嬢が私に向かって言った。
「あなた、公爵様の婚約者なんでしょう?」
「……はい」
「羨ましいわ」
なんとなく値踏みをされていることがわかり、私は複雑な気持ちになった。
「グランハート公爵様って、本当に素敵な方よね。魔法の腕前もさることながら、あの佇まいといったら」
「ええ、本当に。昔のご評判が嘘みたいだわ」
令嬢たちが、うっとりとした顔で話している。
もやもやする。別に、ヴィクター様が褒められるのは嬉しいことのはずなのに。
(なんで、私、もやもやしてるんだろう)
その時、令嬢たちの輪の中から一人が進み出た。
品のある薄茶色の髪に、落ち着いた佇まい。年齢は私より少し上だろうか。
「グランハート公爵様って、本当に素敵な方ね。昔から、特別な方だと思っていたわ」
その言葉に、隣にいたレイア先生が私の肩をそっと叩く。
「シャーロット・アシュフォード嬢よ」
レイア先生が、静かに言った。
シャーロット様といえば、アシュフォード家の娘で――ヴィクター様の元婚約者の一人だ。
私と同じように王太子命で婚約したものの、怖いと言って、初日で屋敷を逃げ出したと聞いている。
「公爵様とは、もう半年以上一緒に暮らされているんですって?」
「……はい」
私がそう頷けば、シャーロット様はくすりと笑った。
「ヴィクター様は、ご結婚の意思はおありなのかしら? 王太子殿下とマリアンヌ様は、出会って3ヶ月でプロポーズしたそうですし……」
「な……」
まさか、こうも真正面から喧嘩を売られるなんて思わず、返す言葉に困る。
その時、レイア先生がすっと私の前に出た。
「あら、シャーロット嬢。ちょうどよかったわ」
レイア先生は、にっこりと微笑む。
その笑顔は、いつものように美しくて、けれどどこか底が見えない。
「備品庫の奥に、珍しい魔道具が入ってきたばかりなの。視察のご参考にいかがかしら」
「あら、ぜひお願いしますわ!」
レイア先生が、棚の奥からするりと細長い箱を取り出した。
蓋を開けると、中には精巧な蛇の置物が入っている。銀色の鱗が光を受けてきらりと光っていて、作りが細かい。
「これは、魔力感知型の魔道具なの。魔力に反応して動くのよ」
レイア先生が箱をシャーロット嬢の前に差し出した瞬間、蛇がゆっくりとぐねりと動いた。
「きゃあああっ!!」
シャーロット様が、飛び上がって後ずさった。その拍子に、後ろにいた令嬢たちも悲鳴を上げる。
「あら、ごめんなさいね。魔力が強い方に特に反応するから、びっくりさせてしまったわ」
レイア先生が優雅に微笑む。どう見ても、反省している顔ではなかった。
「レ、レイア先生……」
私が思わず呼びかけると、レイア先生がこちらを振り返った。
「あら、どうかした?」
レイア先生は涼しい顔で私を見つめた。やっぱりこの人、怖い。
シャーロット嬢は、まだ胸を押さえながら息を整えている。その様子を横目に、私はそっとため息をついた。
その時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
シャーロット嬢がはっとして顔を上げる。
ちょうど講義を終えたヴィクター様が歩いてくるところだった。さっきまでの動揺が嘘のように、その表情がぱっと華やぐ。
令嬢たちの間に、黄色いざわめきが走った。
だが、ヴィクター様は視察の令嬢たちに気づいても足を止めない。いつもの不機嫌そうな顔で、廊下をまっすぐに歩いている。
「あら、今日もご立派で……」
シャーロット嬢が、うっとりした表情を滲ませて一歩前に出る。
「公爵様、ご無沙汰しております」
背筋を伸ばして、丁寧にお辞儀をする。その所作は、さすがに育ちが良いと分かる美しさだった。
ヴィクター様は、シャーロット嬢をちらりと見た。
そして、一言も返事をせずに歩き続けた。
(む、無視!?)
令嬢たちが、息を呑む。
ヴィクター様は、私の前まで来るとカウンターに肘をついた。
「……仕事は終わったか」
「はい、今日の分は一応……」
私が答えると、ヴィクター様は私の手首を掴んでぐいっと引っ張った。
「なら、帰るぞ」
「えっ、いや……ちょっと!」
令嬢たちの視線が、私たちに集まっている。シャーロット様も、少し驚いた顔でこちらを見ていた。
ヴィクター様に引っ張られるまま廊下を歩きながら、私は小声で言う。
「シャーロット様のこと、気づいてましたか」
「ああ」
「何も言わなくて、よかったんですか」
ヴィクター様が、私を見下ろす。その赤い瞳が、まっすぐに私を捉える。
「なんで会話する必要がある」
「も、元婚約者なんですよね?」
ヴィクター様が、少し呆れたような顔をする。過去のことなど、どうでもいいとでも言いたげな顔だ。
「俺が好きなのはアリスだけだ」
「な、なんですか急に」
「お前だって、いつも言ってるだろ」
確かに言っている。毎朝言っている。
だが、こうも真正面から返ってくると、心の準備というものが必要だ。
廊下の端から、「おぉ……」という声が聞こえてきた。
視線を向けると、生徒たちが私たちをじっと見ている。その中で、双子のリオとリラが顔を真っ赤にしているのを見つけて、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「王太子殿下の結婚式でシャーロット様に会ったら、どんな顔をすればいいんでしょう……」
「別に堂々としてればいいだろ」
ヴィクター様が、当たり前のように言う。
「俺の婚約者は、お前だけだ」
私は、顔が熱くなるのを感じながら、ヴィクター様の隣を歩いた。さっきまでのもやもやが、跡形もなく消えていた。
私は、ヴィクター様にぎゅっと腕を絡ませた。
「帰ったら、結婚式に着ていくドレス一緒に選んでください」
「面倒だ」
「そんなこと言いつつ、悩んでくれるって知ってますよ」
私とヴィクター様は仲良く歩いて帰った。
――もうすぐ、王太子殿下とマリアンヌ様の結婚式だ。




