45話 本当に大切なこと③
「おはようございます、ヴィクター様。好きです」
朝、廊下でヴィクター様とすれ違った瞬間、私はそう言った。
「好きです」
「……は?」
ヴィクター様が、ぴしりと固まったまま、目を丸くして、私を見ている。
「いや、ヴィクター様を安心させようかと思いまして」
ずっと部屋に籠りっきりの私だったので、今日からは今までの分を取り返すようにヴィクター様に好きを伝えていくつもりなのだ。
私が笑顔で言うと、ヴィクター様の顔が真っ赤になる。
「朝から、何を言ってるんだ……」
呆れたような顔をしたあと、ローブを被ってそそくさと逃げていくけれど、あれは照れているのだとはっきり分かる。
効果はテキメンのようだった。
(今日はたくさん、「好き」って言うぞ~!)
昨日の『嫌いにならないで欲しい』と言った時のあの不安そうな顔が、忘れられない。
だから、私が、どれだけヴィクター様のことを好きか。
ちゃんと、伝えようと思ったのだ。
◇
ヴィクター様は、今日は書斎に籠りっきりでお仕事らしい。
お昼時、私は厨房に向かった。
「料理長、お願いがあるんですけど」
料理長は、優しそうなおじいさんだ。
住み込みではないものの、長年この屋敷に勤めており、昼時と夕時になるとやってきてくれる。
「なんでしょう、アリス様」
「チョコレートケーキの作り方を教えてください」
料理長は、少し考えてから答える。
「なるほど、公爵様は、甘いものがお好きですからね」
「そうなんです!」
好きというより、栄養補給のためだと彼は言っていたけれど。
毎回の食事でもデザートだけは欠かさず食べているので、嫌いではないと思う。
「作り方、教えていただけますか」
「アリス様が、お作りになるんですか」
「はい! ヴィクター様のために」
前回、夜のお茶会をした時に作ったチョコレートケーキは、レシピも見ずに作ったからなんだかパサパサとしていた。
それも、もちろん美味しかったのだけれど、せっかくなら成功したものも食べさせてあげたい。
「わかりました。それでは、一緒に作りましょう!」
私は、エプロンをつけて、料理長の指示に従う。
卵を割って、砂糖を混ぜて、チョコレートを溶かして。
「アリス様、もう少し優しく混ぜてください」
「はい!」
前回、生地が上手くいかなかった原因は、私が生地を混ぜすぎてしまったから、らしかった。空気が抜けてしまい、ふわふわ感が無くなってしまうのだとか。
料理長は流石の手際で、1時間ほどで、ケーキが焼き上がった。
甘い香りが、厨房中に広がる。
「上出来ですよ、アリス様」
料理長が、優しく微笑んだ。
「ありがとうございました」
「いえいえ、お役に立てたのであれば何よりでございます」
いつの間にか料理長が飾り付けをしてくれていたようで、グラサージュというものをして表面がツヤツヤに仕上がっていた。
私は、ケーキを大切に持って、ヴィクター様の書斎へ向かった。
◇
書斎の扉をノックする。
「入れ」
扉を開けて中に入ると、ヴィクター様は、何か書き物をしているようだった。
彼が顔を上げると、いつもとは違う彼の姿に驚いてしまう。
(……め、眼鏡!)
書類仕事をしているからだろうか、ヴィクター様は銀縁の眼鏡をかけていた。
いつもよりスマートに見える上、クマが目立たないから爽やかさも増して見える気がする。
(かっこいい……)
思わず見とれていると、ヴィクター様が怪訝な顔でこちらを見る。
「どうした、ぼーっと突っ立って」
「いえ、なんでも……」
眼鏡姿のヴィクター様に見とれてました!……なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
私は、ワゴンをからからと押して部屋の中に入った。
「ケーキを作りました。良かったら食べませんか?」
ヴィクター様が、ぱちぱちと瞬きをしてこちらを見つめる。
「お前が、作ったのか」
「はい!」
私が笑顔で答えるとヴィクター様は少し照れくさそうにしながら、立ち上がりソファへと移動した。
テーブルの上にお茶とケーキを並べると、ヴィクター様の向かいに座った。
「なんで向かいなんだ」
「?」
なぜかヴィクター様は、不満気な顔で私のことを見つめていた。
どういう意味かと首を傾げていると、ヴィクター様は溜息をついて私を見つめた。
「隣に座って欲しい」
「……わ、わっかりました!」
ヴィクターが素直にそんな甘々なことを言うものだから、驚いて声が裏返ってしまった。
恐る恐るヴィクター様の隣に座って、ふたりで並んで紅茶とケーキをいただく。
「……美味い」
「へへ、ありがとうございます」
嬉しくなって、ふと隣を見れば、思ったよりも近い距離にヴィクター様の顔があった。
しかも、眼鏡付きで。
「びゃっ!」
「どうした」
からん、とフォークを置いてヴィクター様が心配そうに覗き込んでくる。
さらに距離が近くなってしまい、いよいよ私の心臓が持たなくなってきた。
「熱があるのか?」
「ないっ、ないです!」
おでこに触れようとしてくるヴィクター様を慌てて制止して、私はおずおずと自白した。
「あの、メガネ姿が、格好良くて……」
「へぇ」
なぜか楽しげな笑みを浮かべたヴィクター様は、離れるどころかじりじりと寄ってくる。
いつの間にか、私はソファの背もたれとヴィクター様に挟まれて動けなくなってしまった。
ヴィクター様が、するりと眼鏡を下げる。
「――お前はこういうのが好きなのか」
「〜〜〜っ!?」
いよいよ心臓が爆発してもおかしくなかった。
声にならない声をあげて、私は猛獣に狙われた小動物のように一目散に逃げだした。
「おい」
「あっ、ありがとうございました!」
何に対してのお礼なのか分からないまま頭を下げた後、転げ回りながら書斎から飛び出す。
(返り討ちにあってしまった……!)
どきどきと高鳴る胸を押さえていた私だったが、一番大切なことを言い忘れ「あっ」と声を出してしまう。
私は、来た道を戻ると、再び扉を開けて叫んだ。
「ヴィクター様、大好きです!」
一方的に愛を伝えて再び逃げた。
それから、私は自分の部屋へと戻って熱くなった顔を冷やすのだった。
――私の告白逃げのあと、ヴィクター様が扉の前で顔を真っ赤にいたなんて知らずに。




