26話 君の世界に居たいのに:後編①
扉をノックして、返事も待たないまま押し開ける。中には、ローブを深く被った魔女様が鎮座している。
昼に来た時も異様な雰囲気があったけれど、夜の方が恐ろしさが増す。
「――無礼者」
「申し訳ございません」
私は勢いよく頭を下げると、早口で事の次第を説明した。
「アリス・エヴァンスです。以前、ヴィクター様と一緒に来ました」
「迷える領主の娘か。こんな夜更けに、何の用だ」
「ヴィクター様が、魔獣に襲われて……!」
頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、口での説明が間に合わない。きっと、私の言葉は支離滅裂で魔女様には十分の一も伝わっていないことだろう。
「高熱が出て、とても苦しそうなんです。お願いします、助けてください……」
祈るような気持ちでそう告げて、深々と頭を下げると魔女は黙って私を見つめていた。
長い沈黙が流れたあと、魔女はふうと息を吐いた。
「……わかった」
「ほ、本当ですか」
「本当も嘘もあるか。はやく案内せい」
魔女様は、カバンの中に乱雑に瓶をいくつか放り込んで、ローブを被りなおした。
私と魔女様が二人馬車のなかに並ぶという、普通ではあり得ない状況になんだか緊張してしまう。
「あの、ヴィクター様は大丈夫でしょうか」
「魔獣の毒は、放っておけば命に関わる。特に、今のあの領主は呪いで弱っている」
「でも、助けられますよね?」
「やってみなければわからん」
魔女様の声には、感情が読み取れなかった。
余計なことを考えないようにしようと思い、私は真っ暗な窓の外を見つめていた時、魔女様が口を開いた。
「お前は、あの領主のことが好きなのか」
「え……っ」
私は戸惑った。
なぜ魔女様がそんなことを訊くのか分からなかったけれど、私は真っすぐに魔女様の方を向いて言う。
「はい。――とても好きです」
もう誤魔化すのはやめようと思った。
最初は怖かった。
冷たい態度に、暴言。目の下のクマが濃くて、いつも不機嫌そうで。
けれど、ヴィクター様の優しさを知ってしまっから。
不器用だけれど、いつも私を気にかけてくれる。私が落ち込んでいる時には、ぶっきらぼうな言葉で励ましてくれる。
私のために怒ってくれて、私のために悩んでくれて。
そんなヴィクター様のことを、好きにならないなんて無理だった。
この気持ちは、もう隠せない。隠したくもない。
「ヴィクター様には沢山助けてもらいました。だから、今度は私が助けたいんです!」
魔女様は黙っていた。
けれど、フードの奥から、私を見ているのがわかった。
「お前は、変わった娘だな」
魔女様がぽつりと言った。
「あの領主を恐れもせず、助けようとする。普通なら、逃げ出すところだ」
「ヴィクター様は、怖くなんてありません!」
「……そうか」
魔女様がそう言って、また黙り込んだ。
いつの間にか、馬車が、屋敷に着いた。私は急いで降りて、魔女様を中へ案内した。
◇
部屋の前で待っていたオリバーさんが、魔女様を見て深く頭を下げた。
「魔女様、お願いします。ヴィクター様を助けてください」
魔女様は何も言わずに、慣れたように部屋に入っていく。
私たちも後から続いて入れば、ヴィクター様は先ほどよりもずっと辛そうだった。
額には汗が浮いていて、呼吸が荒い。シーツを握りしめていて、唸っている。
魔女様がベッドに近づいて、ヴィクター様を見下ろした。
「……随分と、やつれたな」
魔女様が呟いて、ヴィクター様の額に手を当てた。
「呪いで体力が落ちているせいで、毒が回ってしまったようだ」
魔女様が鞄から、いくつかの小瓶を取り出した。
「薬を作る。娘、手伝え」
「は、はい」
私は、魔女様の指示通りに瓶の中の液体を調合していく。
順番を間違えないように入れないと、最初からやり直しになってしまうとのことだった。
「……アリス?」
薬を作っていると、ヴィクター様が弱々しい声で、私の名前を呼んだ。
「私はここにいます」
「……よかった」
やがて、私の混ぜ合わせた液体を魔女様に渡す。すると、小瓶から液体を混ぜ合わせて、何か呪文のようなものを唱えている。
ぽんっと瓶から小気味のいい音が聞こえ、ぐつぐつと沸騰したような音が聞こえる。
「これを飲ませろ」
魔女様が小瓶を私に渡した。
私は、ヴィクター様の頭を少し起こして、そのおどろおどろしい液体を彼の口に注いだ。
ヴィクター様は顔をしかめたけれど、全部飲んでくれた。
「……まずい」
「我慢してください」
私がそう言うと、ヴィクター様は小さく笑った。どうやら即効性があるようで、すでに顔色が良くなってきている。
「じゃあ、礼は、後でゆっくり考えろ」
魔女様はそう言って、部屋を出ていく。
私は椅子に座って、ヴィクター様の側にいることにした。
体力を回復するために目を瞑っているけど、こんな状況になっても彼は眠れない。
だから、少しでも安心してもらえるように。
「アリス様、少し休まれた方が」
「大丈夫です。ここにいます」
私がそう言うと、オリバーさんは優しく笑った。
「わかりました。何かあったら、すぐに呼んでください」
オリバーさんが部屋を出ていった。
私は、ヴィクター様の手を取った。まだ熱いけれど、さっきよりは少しだけ温度が下がっている気がする。
「ヴィクター様、大丈夫ですよ」
私は小さく囁いた。
「明日には、きっと良くなります」
ヴィクター様は、目を閉じたまま何も言わなかった。
けれど、私の手を握り返してくれた。
窓の外を見ると、空が少しずつ明るくなり始めていた。
もうすぐ、朝が来る。私は、ヴィクター様の手を握ったまま、そっと目を閉じた。
◇
朝になった。
私はなぜか廊下の床で寝てしまっていたらしく、オリバーさんに起こされた。風邪を引かなかったのは、体が強いおかげである。
「アリス様、朝食の準備ができました」
「ヴィクター様は……?」
「魔女様が先ほど診て、熱は下がってきているそうです」
私はほっとして、オリバーさんに促されるまま、食堂へ向かう。
そして、扉を開けると――なぜか魔女様がいた。
テーブルに座って、もぐもぐとパンを食べている。
「おう、娘。今日まで世話になる」
そういえば、オリバーさんが『先ほど魔女様が診て……』と言っていたことを思い出す。彼女は昨晩帰ったのではないのだろうか。
「私が頼んだのです。万が一、ヴィクター様の容体が急変したら大変ですから、滞在してもらうことになったのです」
「全く、魔女使いの荒い奴め」
魔女様は、呆れたような声でオリバーさんを見上げる。表情は見えないけれども、なんとなく嬉しそうな気がしないこともない。
「魔女様、昨日は、ありがとうございました」
「気にするな。あの領主はもう大丈夫だろう」
魔女様は、パンを食べながらひらひらと手を振った。
急だったのにも関わらず、すぐに飛んできてくれた魔女様には本当に感謝しかない。
「それと、昨日の魔法……綺麗でした」
魔女様の魔法薬の調合は、魅せるような魔法ではなかったものの洗練されていてとても綺麗だった。
私が言うと、魔女様は少し驚いたような顔をした。
「綺麗、か。そんな風に言われたのは初めてだ」
「もっと見てみたいです! なんて言ってみたりして……」
軽い冗談のつもりだったのにも関わらず、魔女様は「ふむ」と少し考えてから言った。
「では、少しだけ見せてやろう」
魔女様が手をかざすと、空中に小さな光の球が浮かんだ。
それがゆっくりと形を変えて、つぼみになり、やがて花開いた。
「わぁ……っ」
私は思わず声を上げてしまう。
花は、ゆっくりと回転しながら、色を変えていき、ぱんっと音を立てて光が飛び散った。
「すごい……私も、こんな魔法を使ってみたいです!」
「お前、魔力無しが魔法を使えたら大変だろう」
私が両手を組んで憧れの眼差を向けると、魔女様は呆れたように冷静に突っ込んだ。
「あ……そうですよね」
私は苦笑いした。
――魔力がなければ、魔法は使えない。当たり前のことだ。
「私だって、ヴィクター様の役に立ちたいのにな」




