21話 名前のない関係⑦
その後、私は一人バルコニーで涼んでいた。
夜風が気持ちよくて、火照った頬を冷やしてくれる。石の手すりに手を置くと、ひんやりとした感触が心地よい。
(ヴィクター様に変な風に思われちゃったかな)
ダンスの余韻が、まだ胸に残っている。
ヴィクター様の手の温かさ、香水の香り。
全部が鮮明に思い出される。あんなに近くで顔を見て、心臓がドキドキして。
(……よし、切り替えよう)
ぱしんと両手で頬を叩く。気合を入れて、会場へ向かった。
広間に入ると、相変わらずの賑やかさだった。
これは、ヴィクター様を探すのも苦労しそうだ。
ぐるりと会場を見渡した時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、まさかアリス?」
振り返ると、そこには従妹のベアトリスが立っていた。
自慢げに金色の巻き毛を揺らしながら歩いている彼女は、可愛らしいピンク色のドレスを着ている。
「ベアトリス……」
「やっぱりアリスじゃない。こんなところで何してるの?」
ベアトリスが嫌味ったらしく笑った。
「それは、」
「魔力無しのくせに、よく舞踏会なんかに来られたわね」
その言葉で、せっかく忘れていた嫌な思い出たちが、私の脳内を駆け巡っていく。
毎日のように浴びせられた罵倒、冷たい視線、粗末な食事の数々。
「あの子、魔力無し……?」
「ご令嬢でそんなことってあるの?」
じりじりと周りからの視線が痛い。心が焼け焦げていくような感覚すらする。
「可哀想だわ。グランハート公爵も、魔力無しなんて引き取って」
ベアトリスの言葉に、黙って俯いた。
エヴァンス伯爵家のお荷物である私が、体よく家を追い出されただけなのだと周囲から見ても明らかなはず。
ぎゅっとドレスを掴んだまま、私は動けなくなってしまった。
(消えてしまいたい……)
せっかく楽しい気持ちになっていたというのに、どうしていつも私はツイていないのだろうか。
涙が滲みそうになったその時だった。
「――コイツを馬鹿にするな」
突然、低い声が響いた。
振り返ると、ヴィクター様が立っていた。
その顔は、さっきよりもずっと怖くて。
赤い瞳が、鋭くベアトリスたちを睨んでいる。
「ヴィクター様……」
「お前は引っ込んでろ」
そう言って、私を引っ張ると庇うように前に立った。
「あ、あら、公爵様。でも事実ですわ。この子は魔力が全く無いんです」
「そんなことは知っている。だから何だ?」
ヴィクター様は冷たく言い放った。
周囲の貴族たちが逃げ出しそうになるほどの威圧感が放たれる。
「魔力が無いからと言って、人を馬鹿にする理由にはならない」
「で、でも……」
「では、お前はそのご自慢の魔力で何ができる?」
ヴィクター様が一歩前に出た。
「魔獣を倒せるのか? 人を守れるのか? それとも、ただ魔力があるというだけで偉そうにしているだけか?」
ベアトリスが言葉に詰まる。
すると、いつの間にか様子を見ていた叔父が慌てて口を挟んだ。
「公爵閣下、しかし魔力が無いというのは貴族としていかがなものかと……」
「貴族として?」
ヴィクター様が叔父は一瞥すると、つまらなさそうに鼻で笑った。
「貴族として大切なのは、魔力の有無ではない。己の責任を果たせるかどうかだ」
もう、口論では勝てないことが分かってしまったのだろう。
だんだんと、叔父の顔が青ざめていく。
「アリスは、俺の屋敷で魔道具の管理をしている。魔力が無いからこそ、できる仕事だ」
ちらりと、ヴィクター様がちらりと振り返って私を見つめる。
周囲の人が怖がるほど、声色も表情も冷たいのに、私に向けられる赤い瞳はとっても優しくて。
思わず泣きそうな気持ちになってしまう。
「それに」
ヴィクター様が続けた。
「アリスは俺の婚約者だ。文句があるなら、俺に言え」
叔父も、ベアトリスも完全に言葉を失った。
その時、人混みが割れた。
その中から歩いてきたのは、王太子殿下とマリアンヌ様だった。
「おや、何か揉め事ですか?」
王太子殿下はキラキラと輝くような爽やかな笑顔を振りまいている。けれど、その目は全く笑っていなかった。
「お、王太子殿下……何でもありません」
叔父が慌てて頭を下げた。
「そうですか。それなら良いのですが」
王太子殿下がベアトリスと叔父をちらりと見遣った。
「僕の誕生日の舞踏会で、揉め事を起こされるのは困りますからね」
ほっと叔父が胸を撫でおろした時だった。くるりと王太子殿下が叔父の方を向いた。
「エヴァンス伯爵」
「は、はい」
「グランハート公爵は、王国にとって非常に重要な人物です。自分の家の者であっても、その婚約者を侮辱するということは、王家を侮辱するのと同じですよ」
叔父の顔が、真っ青になりカタカタと震えている。
「も、申し訳ございませんでした……」
叔父が深々と頭を下げたあと、王太子殿下がパンパンと手を叩いた。
「さあ、楽しい舞踏会を続けましょう。音楽隊、次の曲をお願いします」
彼の仕切り直しにより音楽が再び流れ始めて、人々はそれぞれの会話に戻っていった。
(さ、さすが、王太子殿下)
私がぼーっとしている間に、ベアトリスたちは、そそくさとその場を離れていった。
「大丈夫?」
「マリアンヌ様……」
マリアンヌ様は、私の元へ来て、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「魔力の有無なんて、関係ないの。大切なのは、その人がどう生きるかだわ」
「マリアンヌ様」
「貴方は、私の大切なお友達よ」
マリアンヌ様の言葉に、私は思わず涙が出そうになった。
独りぼっちだったのに、今はこうやって守ってくれる人たちがいる。
それが言葉で言い表せない程嬉しくて仕方がない。
マリアンヌ様がゆっくりと離れると、私の周囲に令嬢たちが集まっていることに気が付いた。
ベアトリスの友人が報復にでも来たのだろうかと思わず身構える。
「あの、アリス様」
「な、なんでしょう……?」
「あ、あの! 私たちもアリス様とお話してみたいのですが!」
1人の令嬢が声を上げた言葉に、私は目が点になった。
この子は、今、私と話したいとそう言っただろうか。
聞き間違いかと思っていると、他の令嬢たちも私に向かって半ば叫ぶように話しかけてきた。
「酷いことを言われても凛としていて、とっても素敵でしたわ!」
「私、ずっとドレスが可愛らしいって思っておりましたの!」
「わ、私もお話したいわ!」
1人がこちらに駆け寄ってきたことを皮切りにして、わっと他の子たちも次々に私に押し寄せてくる。
令嬢たちにむぎゅむぎゅと揉まれ、私は何が起こっているのかわからなくなった。
「み、みなさん……?」
――どうやら、先ほどのベアトリスとのやり取りをばっちりみた彼女たちは、私と仲良くしたいと思っているらしい。
マリアンヌ様は、「人気者ね」とくすくす笑っているだったけれど。
「え、ええ……っ!?」
なんだか、思いもよらない事態になってしまった気がする。
困っている私にマリアンヌ様が助け船を出してくれ、後日みんなでお茶会をする約束をして、私はやっと解放されたのだった。
◇
「ヴィクター様、疲れました……」
馬車の内壁にもたれ掛るようにして、私はそう言った。
髪はボサボサだし、メイクも落ちてきている。
口から魂が抜けていきそうだった。
「勝手に傍を離れるからだ。お前がちょろちょろしてるから、面倒ごとに巻き込まれる」
「おっしゃる通りでございます……」
こればかりは、ヴィクター様が全面的に正しい。
彼の隣をぴったり付いて歩いていれば、きっと誰からも声をかけられなかったに違いない。
「助けてくれてありがとうございました。嬉しかったです」
「別に。腹が立ったから、当たり前のことを言っただけだ」
ヴィクター様は、少し照れくさそうにそっぽを向いた。
「……お前、あんな扱いを毎日受けてたのか」
「……そうです」
私は実家での扱いをヴィクター様にきちんと話してはないが、何となく察してはいてくれているらしい。
きっと、「お前が何かやらかしたんだろう」とか「なんで反論しなかった」とかのお説教が飛んでくるんだろうなとぼんやり思っていたのだけれど。
「大変だったろ。よく耐えたな」
彼から返ってきたのは、ひどく優しい肯定の言葉で。
私は思わず目を伏せて、その言葉を噛みしめた。
ヴィクター様は、素っ気ないし、怖いけれど、人の痛みが分かる強い人なのだろう。
二人の間に少しの間、沈黙が落ちる。
「どうだった。はじめての夜会は。つまらなかっただろ」
話題を変えるように、ヴィクター様にそう問われたから、私は笑顔で答えた。
「とっても楽しかったですよ!」
綺麗なドレスを着て、美味しい料理を食べて、幼馴染にも再会できて、ダンスも踊れた。
友人もできたし、何より、ヴィクター様が守ってくれたことが本当に嬉しかった。
「私、ひとつ確信したんです」
「なんだ?」
「――ヴィクター様が、婚約者で良かったです」!
もしかしたら、この感情は恋なのかもしれない。
けれど、確信が持てるその時まで、今はこのままの「婚約者」という曖昧な関係でいたい。
「俺は毎日騒がしくて大変だ」
「賑やかって言ってください!」
そう言うと、ヴィクター様が珍しく声を上げて笑ってくれて。
改めて、素敵な舞踏会だったと確信するのだった。




