20話 名前のない関係⑥
「ええと……」
エドが戸惑ったように、ヴィクター様と私を交互に見た。
ヴィクター様は相変わらず不機嫌そうな顔で、エドを睨んでいる。
「ヴィクター・グランハートだ」
低い声で名乗ると、エドの顔からだんだんと血が引いて真っ青になっていく。
「し、失礼いたしました! 公爵閣下!」
エドが慌てて深々と頭を下げる。
「まさか、公爵閣下の噂の婚約者って……」
エドが小声で呟いている声が聞こえた。
(ああ、さっき伝え忘れちゃったから……)
完成に私のミスである。
ヴィクター様の腕は、まだ私の腰に回されたままだった。
その手には力が入っているのがわかる。
「で、お前は何者なんだ」
「エドワード・ウィンストンと申します」
エドが緊張した面持ちで答える。
「ああ、子爵家の息子か」
ヴィクター様はそう言って、ようやく少し表情を緩めた。
社交には興味が無さそうなのに、貴族は全部頭に入っているようだから本当にすごい。
「私が小さい頃、良く遊んでいた幼馴染なんです!」
私が説明すると、ヴィクター様は小さく頷いたあと、興味なさそうにエドから視線を外した。
「エド、こんど屋敷にも遊びに来て」
「お、おう」
去り際に私が手を振れば、エドも笑顔で手を振りかえしてくれる。
けれど、その笑顔はどこか引きつっていた。
「行くぞ」
ヴィクター様が私の手を取って、ダンスフロアへ向かう。
広間の中央には、既に何組ものカップルが並んでいた。
「アイツと踊るつもりだったのか?」
「だってヴィクター様がいなくなっちゃうから」
「ふらふらしていたのは、お前のほうだろう」
ヴィクター様が私の腰に手を置いて、もう片方の手で私の手を取った。
音楽に合わせて、ダンスが始まる。
私は緊張しきってしまい、ヴィクター様の動きに合わせるので精一杯だった。
(いち、に、さん、いち、に、さん……)
マリアンヌ様との練習を思い出しながら、ステップを踏んでいく。
ヴィクター様は、思ったよりもダンスが上手だった。
自然にリードしてくれて、私は彼の動きについていくだけでよかった。
「緊張してるのか」
「ちょ、ちょっとだけ」
私が答えると、彼は少し笑った。
「俺の方を見ろ。足元を見るな」
言われた通り、顔を上げる。
(……近い)
ヴィクター様の赤い瞳が、すぐ近くにあった。
心臓が、どくんと跳ねる。
彼の顔をこんなに近くで見たことなかった。
長い睫毛に、整った鼻筋。
少し不機嫌そうな口元も、こうして見ると綺麗で。
「……何をぼーっとしてるんだ」
「す、すみません」
私は慌てて視線を逸らそうとしたけれど、ヴィクター様の手が私の腰をしっかりと支えていて、離れられなかった。
ふわりと、甘い香りが漂ってくる。
深くて落ち着いた香りに、少しだけ甘さが混じっている。
(昨日買った香水、付けてくれたんだ……!)
ヴィクター様の肌から香っているという事実に私は思わず、ドキドキしてしまった。
「お前、また何か変なこと考えてるだろう」
ヴィクター様が疑わしそうに見てくる。
「考えてません!」
「お前は本当に……」
そう言いかけて、ヴィクター様は言葉を切った。
音楽が盛り上がって、ダンスのテンポが速くなる。
ヴィクター様が私をくるりと回した。
スカートが広がって、ふわりと宙に浮いたような感覚になる。
また元の位置に戻ると、ヴィクター様が私をぐっと引き寄せた。
さっきよりも、もっと近い。
顔が触れ合いそうなくらい、ヴィクター様が近くにいる。
「あの……」
「黙ってろ。集中できない」
なんだか彼を見上げられなくなってしまって、私は下を向いた。
きっと、私の顔は真っ赤になっているに違いない。
香水の香りが、また鼻をくすぐった。
(なんだろう、この気持ち……)
胸が苦しくて、頭の中がヴィクター様のことでいっぱいになっていく。
それ以外、何も考えられないくらいに。
ふと、先ほどのマリアンヌ様の言葉が頭を過ぎる。
『ドキドキして胸が苦しくなって、その人のことで頭がいっぱいになるのが恋なの』
『その人の顔も見られなくなるくらい、好きになっちゃうものよ』
音楽がゆっくりと終わりに近づいていく。
最後のステップを踏んで、ダンスが終わると、周りから、わあっと拍手が起こった。
ヴィクター様が手を離して、私から少し距離を取った。
「……下手くそだったな」
ぶっきらぼうにそう言った彼に言い返したいけれど、私は俯いたままヴィクター様の隣を歩いていく。
「どうした、具合が悪いのか」
「違います……」
「じゃあ、何で下を向いている」
私はぎゅっと、ヴィクター様の袖を掴んだ。
「今、顔を上げられないんです」
「は?」
怪訝な声が落ちてくるけれど、こればかりは仕方ない。
今、ヴィクター様の顔を見てしまったら。
彼の瞳を見つめてしまったら。
私は一体どうなってしまうのだろうか。
そんなことを思っていると、私の頬を掴むように彼の手が頬に伸びてきた。
「だから、どうしだんだ……って」
そのまま、ぐいと顔が持ち上げられる。
(あ……)
目と目が合う。視線がぶつかる。
ぱちんと私の中で何かが弾けた音がした。
(……違う。好きなんかじゃない)
綺麗なルビーのような瞳も、不機嫌なのに優しいその表情も。
――好きなんかなりたくなかったのだ。
私とヴィクター様は、 友達でも恋人でも家族でもなくて。
その「名前のない関係」が、とても居心地良くて。
この感情を恋だと認めてしまうと、この関係が壊れてしまいそうで怖かった。
だから、これはきっと気のせいだと思いたかったのに。
「っ……、ごめんなさい!」
「おい!」
私はヴィクター様の手を振り払って、会場を駆け出した。




