16話 名前のない関係②
別の部屋に連れてこられて、早速マリアンヌ様とのダンスのレッスンが始まった。
広間の中央で、彼女がステップを教えてくれる。
「こうやって、右足を出して、左足を引いて」
マリアンヌ様の動きは優雅で、まるで蝶が舞っているかのようだった。
私は必死でそれを真似する。最初はぎこちなかったけれど、だんだんとコツがわかってきた。
「そう、上手!」
マリアンヌ様は、褒めるのが上手い。私が少しでも踊れるようになると割れんばかりの拍手をしてくれた。
「才能あるわよ、アリス」
「あ、ありがとうございます!」
私は嬉しくて、思わず笑顔になった。
褒められるとさらにやる気も出るというものだ。
何度もステップを繰り返して、ようやく基本の動きができるようになった頃。
「……じゃあ、休憩しましょっか」
マリアンヌさんがそう言って、ソファに座った。
私もその隣に座る。使用人が紅茶とお菓子を運んできてくれた。
「疲れたでしょう?」
「少し……」
ダンスというのは、思いの外体力を消耗するものらしい。ソファは座ると、どっと疲れが襲ってくる。
私は注がれた紅茶を一口飲んだ。温かくて、ほっとする。
「にしても、こんなに可愛い子と結婚できるなんて、公爵様も幸せね」
「け、結婚……!?」
マリアンヌ様が突然そんなことをいうものだから、私は思わず声が大きくなってしまった。
「いずれ結婚するから、婚約者なんでしょ?」
マリアンヌ様がにこにこしながら言う。
ヴィクター様とは確かに婚約者という立場で一緒に暮らしているが、結婚するという実感は正直全くない。
きっと、ヴィクター様の方も何も考えていないと思う。
「公爵様とどこまでいったの?」
「どこまで……って」
単純に意味がわからず首を傾げると、マリアンヌ様は「ふふっ」と笑い声を上げた。
「キスはした?」
「キ……ッ!? す、するわけないじゃないですか!」
「うふふ、可愛い」
マリアンヌ様が楽しそうに笑った。
どうやら、彼女はこういう「恋バナ」が大好きなようだった。
「じゃあハグは?」
「ないです!」
「じゃあ、手を繋いだことは?」
「ないで――」
「ないです」とそう言おうとして、私は口をつぐんだ。
ノスウィックの祭りの時、手を繋いだことを思い出したのだ。魔力を送るためとはいえ、子どもに指摘までされた例の一件である。
「へえ、あるんだ」
マリアンヌ様がにやにやしながら見つめてくる。「詳しく!」とグイグイとソファの端まで追いつめられる。
「え、あ、その……」
私は顔を真っ赤にして、視線を逸らした。
別に大した話でもないのに、こうやって問い詰められるとすごく恥ずかしい。
「公爵様のこと、好きなの?」
「……正直なところ。あまり、考えたことはないです」
それは本当だ。
私は好き、という感情がよくわからないのだ。
ヴィクター様は、怖い時もあるけれど、優しい人で、こうやって私が夜会で困らないように手配もしてくれている。
一緒にいると楽しいし、彼が喜んでくれると嬉しいとも思うけれど。
「恋……とは、また違うような気もします」
「そう。それでも、公爵様は一緒にいてくれるだけでも嬉しいと思うわ」
「そうなんでしょうか?」
マリアンヌ様は少し真剣な顔になって、紅茶を置いた。
「最近の公爵様の様子はどう? その……呪いの件よ」
呪い、という言葉に私は顔を上げた。
思えば、呪いを解く目的でヴィクター様と婚約することになったのも、王太子殿下のご命令だったのだ。
その婚約者であるマリアンヌ様が、不眠の呪いを知らないわけは無かった。
「ヴィクター様は、まだ眠れてはいないみたいで」
「そう……。『真実の愛』って本当に何なのかしらね」
マリア様が寂しそうに微笑む。
「公爵様はね、敵が多いのよ」
「それは、ヴィクター様が各所に失礼を働いて……?」
ヴィクター様のいつもの横柄な態度を思い出しながら、おずおずと尋ねる。
「ふふっ、もちろんそれもあるけれど」
マリアンヌ様は、優しく笑ったあとに悲しそうな顔をして告げた。
「本当は――グランハート公爵家は妹のエレノア様が継ぐ予定だったの」
「そうなん……ですか?」
通常、貴族の家は長男が継ぐものだ。
女性で爵位を継いではいけないという決まりはないけれど、姉ならともかく妹というのは、あまり聞いたことが無い。
不思議に思いながら、私はマリアンヌ様の話を聞く。
「魔力量はエレノア様の方が多かったのよ。彼女、稀代の天才って言われていたわ。ご両親も、周囲の貴族も、妹の方ばかり持ち上げていたの――兄を差し置いて、ね」
私は、オリバーさんから聞いた話で、ずっと引っかかっていたことがあった。
妹が行方不明になった後に、先代公爵は自暴自棄になり、夫人は病に倒れたと聞いたけれど、ヴィクター様がいるのに、そんなことになるのだろうかと思っていたのだ。
(両親は、きっとエレノア様ばかり可愛がっていたから……)
その時のヴィクター様の気持ちを思うと、胸がぎゅっと苦しくなる。
「エレノア様がいなくなった時、先代は公爵様を大層責められたそうよ。中には、妹を殺したんじゃ?なんてことを言う不届き者もいたみたいだし」
「ひどい……!」
私は思わず声を上げた。
そんな、ひどすぎる。ヴィクター様は必死に戦って、魔獣を封印していたはずなのに。
彼だって、不眠の呪いにかかってなお、ずっと頑張っていたはずなのに。
勝手に比較されて、勝手に失望されて。
『ヴィクター様はああ見えて、寂しがりなんです』というオリバーさんの言葉を今になって思い出して、切ない気持ちになる。
「私や殿下の力では、公爵様を庇いきれなかったの。本当に悔やんでも悔やみきれない」
マリアンヌ様が悲しそうに俯いた。
それから、私の手を取って、真っ直ぐに見つめてきた。
「だから、できれば公爵様の近くにいてあげて欲しいの」
その言葉に、私は頷いた。
「はい」
私は、ヴィクター様の力になりたい。
そう、強く思った。
◇
レッスンが終わり、私とマリアンヌ様は広間に戻った。
すると、ヴィクター様とルーカス殿下が難しそうな顔をして、ソファで話し込んでいた。
「この子、完璧よ。才能あるわ」
マリアンヌ様がそう言うと、ヴィクター様がちらりとこちらを見た。
「……それは良かった」
彼は少しだけ、安心したような顔をした。王太子殿下に「座りなよ」と促されて、私はヴィクター様の隣に座る。
その時、テーブルの上に置かれた本が目に入った。
「あ、その本……」
見覚えのある表紙だった。ヴィクター様がいつも読んでいる革張りの本だ。
じっと見つめてみるが、私の知らない言葉で書かれているようだった。
「これは呪いに関する本だよ。……とは言っても、古い言葉で書かれているから読めないんだけどね」
ルーカス殿下がそう言った。
「なんで言うんだ」
「逆になんで言っちゃいけないの。婚約者でしょ?」
苛立った様子のヴィクター様に、殿下がにやりと笑った。
「僕とヴィクターは、この本の解読を進めているんだ。彼の呪いが早く解けるように」
私は驚いて、二人を交互に見た。
(王太子殿下は、ヴィクター様の味方なんだ……)
先ほどのマリアンヌ様の話でも思ったことだが、ヴィクター様が一人じゃないと思うと、なんだか心が温かくなってくる。
「まあ、ヴィクターも調子良さそうで安心した。しばらく死んでもらったら困るからね」
「誰が死ぬか」
「だってジジイじゃん」
「だから、まだ20歳だ!」
ヴィクター様は叫ぶように答えたけれど、その横顔はなんだか嬉しそうで。
(今日、王宮に来て良かったな)
友達じゃないと言っていたけれど、二人は信頼し合っているのだと思った。




