15話 名前のない関係①
翌日、私が目を覚ますと居間のソファだった。なぜか毛布にくるまって、熟睡していたらしい。
(……あれ、昨日って私どうやって寝たっけ?)
ヴィクター様と会話しながら眠くなったところまでは覚えているけれど、どうやって寝たのか思い出せない。
もしかしたら、自らソファに横になったのかもしれないと思いながら、私は自室に戻って支度をするのだった。
◇
朝食の時間になるとヴィクター様が書斎からやってきた。
相変わらず前菜だけ食べて、後は手をつけていない。私はそれをありがたくいただいている。
その時、オリバーさんが手紙を持って入ってきた。
「ヴィクター様、王太子殿下からお手紙です」
「捨てとけ」
私は思わず紅茶を吹き出しそうになった。
王太子殿下からの手紙に対して、扱いが雑過ぎやしないか。
「どうせ夜会の誘いだろう。そろそろアイツの誕生日だからな」
ヴィクター様は、心底面倒そうに溜息をついた。
誕生日をちゃんと把握しているから見るに、親しい関係ではありそうだ。
「殿下とはお友達ですか?」
「違う」
即答だった。
「王太子とは、遠い親戚だ」
そういえば、グランハート公爵家は元々王室の分家だと聞いたことがある。
ヴィクター様の悪態に慣れ切ってしまい、高貴な血筋であるとすっかり忘れていた。
「夜会なんぞ、何が楽しいのかわからん」
ヴィクター様は一応手紙を開封して、中身を確認した。それから、つまらなそうにオリバーさんに返す。
「……もったいないです。私なんて誘われたことすらないのに」
私は思わず呟いた。
叔父の屋敷にいた頃、ベアトリスだけが夜会に参加していた。私は部屋に閉じ込められて、一人で過ごしていたのだ。
「夜会なんて行ったことなくて。デビュタントもできないまま、今に至るんです」
憧れだった。
煌めくシャンデリアの下、綺麗なドレスを着て踊ること。貴族の令嬢として、社交界で華やかに過ごすこと。
ベアトリスが着飾って出かけていく姿を、何度も窓から見送った。
「行きたいのか」
ヴィクター様が聞いてきた。
「えっ」
「行きたいのかと聞いてるんだ」
「そりゃ、行ってみたいですが……」
でも、私宛には招待状は来ていない。私が参加する方法はない。
ヴィクター様は少し考えるように黙ってから、面倒くさそうに言った。
「どうしてもと言うなら、連れて行ってやらんこともない」
視界の端で、オリバーさんの顎が外れそうなくらい開いた。
ヴィクター様はよっぽど夜会が嫌いなのだろう。そんな彼が、行く気になってくれているのだ。
これはチャンスである。
「ぜひお願いします!」
私は勢い立ち上がって、思い切り頭を下げる。
けれど、そう言ったものの、すぐに問題点に気がついて顔を上げた。
「あ、でも。私、ダンスも挨拶も遠い昔に習ったきりで忘れてしまったのですが」
「俺は『ご令嬢』のダンスも挨拶も教えられん」
「そうですよね……」
私はがっくりと項垂れた。
男性のエスコートと、女性の振る舞いは違う。ヴィクター様に教えてもらうわけにはいかない。
「そこは、友達にでも聞け」
「えーと……」
私は、頼れそうな人間を思い浮かべようとするけれど誰一人として頭に浮かぶことはなかった。
ヴィクター様のことをからかっていたけれど、私もどうやら彼と同じらしい。
「友達……いません」
私が小さく答えると、ヴィクター様は呆れた顔をした。
「お前もか」
正確には、幼い頃に仲が良かった貴族の友達はいる。けれど、叔父に引き取られてからはめっきり疎遠になってしまった。
十年以上経って、今更連絡するのも憚られる。
その時、オリバーさんがヴィクター様に小声で囁いた。
「これはもう、王太子殿下にお願いするしかないのでは?」
「絶対に嫌だ」
ヴィクター様が即座に拒否した。
「しかし、ヴィクター様、他にアテはあるんですか?」
「それは……」
ヴィクター様は苦虫を噛み潰したような顔をした。
しばらく黙ってから、深いため息をついた。
「……考えておく」
そう言って、ヴィクター様は席を立った。
私は残された朝食を食べながら、夜会のことを想像した。
どんなドレスを着ようか。どんな人たちがいるのだろう。
胸が高鳴って、わくわくが止まらなかった。
◇
数日後。
私たちは王宮へ向かっていた。
馬車が王都の中心部に入ると、目の前に巨大な白い建物が見えてきた。
(あれが、王宮……!)
何本もの尖塔が空に向かって伸びていて、壁には金色の装飾が施されている。門には衛兵が立っていて、私たちの馬車を確認すると敬礼した。
中に入ると、大理石の床が光を反射して眩しい。天井は高くて、シャンデリアがいくつも吊るされていて、歩くだけで膝が震える。
「結局、王宮に来る羽目になってしまった。不本意だ」
ヴィクター様が不機嫌そうに呟いた。
あれから、私の振る舞いを教育すべく人員を探したらしい。けれど、適任者が見つからず、結局王太子殿下に頼ることになったのだ。
ヴィクター様はいつも以上に、眉間に深い皺を寄せている。
(そんなに王太子殿下が嫌いなのかな……?)
使用人に案内された広間は、とても広かった。
床には赤い絨毯が敷かれていて、壁には先代の国王たちの肖像画が飾られている。窓からは庭が見えて、噴水の音が聞こえてきた。
「お、偏屈ジジイじゃん」
明るい声がして、奥から一人の青年が歩いてきた。
「誰がジジイだ。まだ20歳だぞ」
ヴィクター様が低い声で返す。
青年は、私より少し年上に見えた。薄紫の髪に、蜂蜜色の瞳。王冠こそ被っていないけれど、身につけている服は豪華で、王族だとすぐにわかった。
笑顔は軽薄そうだけれど、目は鋭い。頭が切れる人なのだろう。
――彼こそが、きっとルーカス・オブ・ミロリア。この国の王太子だ。
「はじめまして。君が、アリス・エヴァンス嬢かな?」
王太子殿下が、穏やかな笑顔をこちらに向ける。ヴィクター様が影のある美形だとすれば、殿下は光の美形だろう。
彼の笑顔は太陽を見ているかと思うくらい眩しかった。
「殿下、お目にかかることができて光栄です。アリス・エヴァンスと申します」
私は慌てて膝を曲げて、お辞儀をする。王族の方と会話したことなんてないから、とても緊張してしまう。
「大丈夫、楽にしていいよ。見てのとおり僕は全然堅苦しくないから」
「その通りだ。コイツに敬意など払う必要はない。見てくれだけの腹黒だからな」
「酷いなぁ」
そう言って、殿下は眉を下げて笑った。
どうやら、ヴィクター様と殿下は気安く話せる間柄らしい。
「というか、ジジイが夜会に来るなんてどういう風の吹き回し?」
「だからジジイと呼ぶな」
ヴィクター様が苛立ったように言った。
「コイツがどうしても夜会に行きたいというから」
「ははは……」
ヴィクター様が私を指さしたので、苦笑いするしかなかった。
その言い方だと私が我儘を言いまくったみたいではないか。
「へぇ」
ルーカス殿下が澄んだ黄色の目を細めて、じっと、私を見つめてくる。
値踏みするような視線だった。
「あの偏屈公爵が3ヶ月もった婚約者ねぇ……」
殿下が面白そうに笑っているけれど、ヴィクター様は不機嫌そうに腕を組んだまま、こちらに近づいて来て、王太子殿下の肩を引っ張る。
「そこまでにしろ。ソイツが怯えてるだろ」
「ええ? そうかな?」
この国の王太子殿下と筆頭公爵に囲まれて、私はタジタジになってしまう。二人とも身長が高いから、緊張で心臓が持たない。
「俺がここに来たのは、お前とお喋りをするためじゃない。コイツにダンスや振る舞いを教えてもらいたいんだ」
ヴィクター様が助け船を出すように、用件を告げた。
「まあ、話は聞いてるよ。だから、今日は適任者を連れてきてる」
ルーカス殿下が手招きした。
「僕の婚約者はダンスがとても上手いんだ。マリアンヌ、おいで」
その声とともに、奥から一人の女性が現れた。
まるでこの世のものとは思えないほど美しい人だった。
銀色の髪がふわりと揺れて、蜂蜜色の瞳がきらきらと輝いている。白いドレスが、彼女の美しさを引き立てていた。
(――妖精、かと思った)
天使、妖精、女神。そんな単語が思い浮かんでしまうようなご令嬢だ。
「今日もマリアンヌは可愛いね」
ルーカス殿下がマリアンヌ様の手を取って、キスをした。すると、マリアンヌ様は鈴の鳴るような声で応える。
「あらあら、殿下ったら」
「今日も大好きだよ」
「私も殿下のこと大好きよ」
マリアンヌさんが嬉しそうに笑って、殿下に抱き着く。美形というのはやはり絵になる。
美しい二人だけの空間が出来上がってしまい、私はその場から立ち去りたくなってしまった。
「おい、俺はお前たちのイチャつきを見に来たわけじゃないぞ」
横を見ると、ヴィクター様は苦々しい顔をしている。
「……ふふ、ごめんなさいね」
マリアンヌ様がくすくすと笑うだけで、周囲に小さい花が飛んでいるかのように華やかになった。
「マリアンヌは、隣国の姫でね。幼い頃から、教養は完璧だったからきっといい先生になってくれると思う」
「ふふ、私も楽しみだわ」
そんな隣国の高貴な方が、私みたいな貴族の端くれにダンスを教えてくれるなんて、とっても贅沢なことなのではないか。
「じゃあ、アリス。女の子同士で楽しくやりましょう」
「……は、はい」
手をぎゅっと握られて、思わず顔に熱が集まっていく。
もしかすると、本当に綺麗な人は男女関係なく惚れさせてしまうのかもしれないと思った。




