第二十話 不文律
亮に見放された。その重圧がじわりと蓮の胸に広がってくる。
虚無感に浸食される蓮のことなどに構わず、亮は続けた。
「しかし将軍は人がいいからな。あいつの顔で月龍に嘘が発覚する恐れがある。彼にはおれからも蓮が危険だと言い含めておく。だからお前もそのつもりでいろ」
扁に真実を告げずに、ある意味騙して連れて行くと言っているのか。
裏を返せば、それだけ蓮の生死が月龍を動かすのだという二人の認識を物語っている。
御意、と短く返答する蒼龍に、亮は片眉を上げた。
「さて。ではおれはすぐにも手配に入る。――蒼龍」
一瞥を受けた蒼龍が、はいと返事する。それから、今までは完全に蚊帳の外に置かれていた蓮へと向き直った。
「蓮、邸へ送って行く」
「えっ――」
あの一瞥だけで二人は通じたのか。蓮がここにいることが邪魔なのだと――次の行動に移るときの、枷なのだと。
――けれど。
「でも蒼龍――亮さま――」
当事者でありながらなにもできない、理解すら追いついていないのかもしれない。
湧き上がるのは無力感だろうか。それとも二人が言うように、本当に月龍が死んでしまったら、そう考えることへの恐怖か。
――あるいは、絶望にも似た罪悪感か。
蓮の呼びかけに、亮は振り向きもしない。髪を結い上げ、身支度に入っている。それを見れば先ほど彼自身が言っていた通り、「すぐにも」手配のために動くのだろう。
「――蓮」
蒼龍の声は優しかった。その分、有無を言わせぬ響きがあるのもまた、事実だった。
「ああそうだ、蒼龍」
優しい手つきで、けれど拒否を許さぬ力強さで、蒼龍は蓮の背を押す。それを呼び止めるような声を発したのは亮だった。
この期に及んで、呼びかけは蓮を相手ではない。気づかぬわけもなかったが、それでも蓮はわずかな期待を胸に振り返る。
亮はこちらを向いていなかった。飄々とした手つきのまま、身支度を整えている。鏡越しに目が合うも一瞬、それさえも逸らされた。
「もし月龍が抵抗して、お前が先ほど言っていたように縛りつけて帰る羽目に陥った場合だが――猿轡も噛ませておけよ。舌を噛み切りかねん」
発せられたのは、ごく単純な指示。まるで何事もないかのように告げられたその恐ろしさに、蓮は自分の身が竦むのを感じていた。
月龍は決して、罪人ではない。けれども、縛り上げ、まして猿轡まで噛ませてでも連れ帰る必要があると――そうでもしなければ自決をしかねない、少なくとも蒼龍と亮がそう考えていることを知る。
月龍の想いが、決意が強いのだと。
二重、三重の恐れと罪悪感が、波のように押し寄せてくる。
「――畏まりました」
背中に手を当てていたから、蓮の体が小さく震えたことに気づいたはずだ。だからだろうか、亮の呼びかけには恭しく答え、蓮に対しては痛ましげな目線を送ってくる。
――蓮はもう、堪えられなかった。
「亮さま、でも、それでは――!」
足を止めるだけではなく、亮に向かって踏み出す。だが二歩目を出すよりも早く、蒼龍に掴まれた。
「蓮、行こう」
「でも――亮さま!」
亮を呼ぶ声は、自分の耳にも悲鳴じみて聞こえた。
蒼龍が蓮を見る目に、憐憫が浮いている。それでも蓮の肩を抱く手から力は抜けなかった。ここに留まることはできないのだと、無言のうちに語る。
蓮は、未練の残る亮の部屋を出て行かざるを得なかった。




