15-3
「――アッシュフォード先生」
「……なんだ」
シルヴェスターの声に、アッシュフォードは酷く覇気のない声で応じた。
「エイデンは魔女です」
「は?」
「フラムスティード家のエイデンという少年は、そもそも架空の人間なんです。本当に生まれていたのは、現在エミリー・ミラーと名乗っている少女でした」
「エミリー・ミラー……? 先ほどフラムスティード家で会った、あの……庶子ではなかったのか?」
アイビーは、困惑しているアッシュフォードを見て首を傾げた。そういえば彼は、エイデンの事情をどこまで知っていたのだろう。
「はい。フラムスティード家先代当主は、エミリーが少年の後継者を演じることが困難になったあと、彼女を実家から勘当しました。そしてフラムスティード家の後継者に近い、あるいはそれよりも鮮やかな赤い髪を持つ少年の孤児を拾ったんです。それが、『司書』という魔女の末裔であり、魔女狩り派の魔術師に一族を奪われた今のエイデンです」
アッシュフォードが目を見開く。「……魔女? あいつが……」と、呆然と口が動いた。
「本名はセシル・セインというそうです。魔女の歴史に詳しい教師であれば、ご存知ですよね。かつて人間の王家に仕えて歴史を編纂していた――あるいはそれ以前から歴史の観測者であった、セイン家の名前は」
シルヴェスターの言葉に、アッシュフォードの目がアイビーの肩に乗ってきたエリオスに向く。
「では、そこの鳥は……不死鳥なのか」
「はい」
アイビーは頷いた。アッシュフォードが、力を失ったように呟く。
「……思っていたよりも、ずいぶんと……慎ましい鳥だったんだな」
エリオスが柔らかく輝いて、アイビーの身体を癒やしてくれる。アイビーは、小型の鷹ほどの大きさのエリオスを撫でた。「ありがとう、エリオス」
「そうか。現フラムスティード家当主は……だからエイデンを守らなかったのか」
アッシュフォードもその理由に思い至ったようで、疲れたように地面に座り込んだ。
「精霊術師の目的は、もともとエイデンの命ではなかった。お前に出されたエイデンの暗殺命令は、精霊術師と魔術師が常に行っている、数ある駆け引きの一つにすぎなかったんだ。……フラムスティード家がエイデンの暗殺を把握して、対応していれば、殺されていたのは魔女のアイビー・エインセルだけだった」
「……え?」
不穏な言葉に戸惑ったアイビーに、シルヴェスターが近づいてくる。
「……エイデンも俺も、それを絶対に許さなかった。起こり得ない話を、さも起きたかもしれない未来のように騙るのは無意味でしょう。その権利があなたにあると思っているなら、傲慢にも程がある」
明らかに怒った声でアッシュフォードを睨み、深く息を吐き出してから、アイビーを見た。
「行こう。車輪は直したから、なんとか走るはずだ」
アイビーは、思わず頷いた。シルヴェスターは、もう一度アッシュフォードを振り返り、付け加えた。
「……生徒の命を守る判断を続けてくださったことには感謝します。ありがとうございました。アッシュフォード先生」
「あ……ありがとうございました。私を殺さずにいてくださって。あと、車を壊してごめんなさい」
アイビーはそれだけ言って、まだ足取りに怒りが垣間見えるシルヴェスターを追った。
どうしてエイデンは守ってくれなかったのか、までは、問う意味がないと思った。
その後ろから、霧の妖精ネブラの声が聞こえてくる。
「あーあ、壊れちゃったね? ベネディクトが大事に大事に抱えてきたもの、全部。魔術師の生徒なら見殺しにしたのに、魔女は殺したくなかったなんて、変なの。ベネディクトは、精霊術師の教師なんでしょ?」
くすくすと笑う声が、霧で包み込むように、どこか優しく、妖しく響いた。
「……そういうのが嫌なら、やらなければいいんじゃない?」
「……大丈夫か?」
直ったらしい車に戻ると、シルヴェスターは助手席に置いてあった鞄を漁っていた。朝、エミリーが持っていた物だ。
「……平気です。エリオスに回復してもらったので」
「それは身体のほうだな。だったらこれを飲んでおけ」
鞄の中から差し出されたのは、学校の購買にも売られている栄養ドリンクだった。魔力回復も高める効果があるとされている、かなり高いやつだ。
瓶を開けて口に含むと、かなりしっかりとしたハーブの苦味と、それを誤魔化すような濃い甘味料の味がした。軟膏で煮込んだ蛇苺のジュース、といったところだろうか。
「アッシュフォード先生は、もう追ってきませんよね?」
「……さっき破壊していたあの車、この車の三倍くらいの価格だからな……」
「えっ……? そんなに? この車とどう違うんですか? 十分な速度出ていますよね?」
「……拘りが違うんだ。一昨年納車されたときのアッシュフォード先生は、珍しく一週間ほどにこやかだった」
「……へぇ……」
アイビーはいそいそと荷台に乗り直して、少しだけ横になることにした。視界に入った毛先の白が、記憶よりも上に広がっていた。それは見なかったことにして、セシルの絨毯が無事かを目視で確認して、安心して寄り添うように目を閉じる。
「パンクの修理方法を、ヴィオラから聞いておいて良かった」
しかし、無事にエンジンをかけて車を動かしたシルヴェスターは、徐に話し始めた。
「ヴィオラは、もう実家では何度も山道を走っているらしくてな。鉱山に向かう山道で酷いパンクをして、自分で荷台にあったゴムを補修材にして穴を塞いだらしい。同じことまではできなかったが、手袋のゴムを当てて、接着はしてある」
アイビーは、意味がわからない三年生たちのパンクの補修方法には突っ込まず、別で気になっていたことを問いかけた。
「……あの、さっきから少し先輩の髪と同じ匂いが、車中に広がっている気がするんですが、それは?」
「持っていたヘアワックスを、タイヤとゴムの接着剤代わりにしたんだ」
「……それで何とかなるんですか?」
「……わからん。だが地面には、タイヤへの加護を命じてある」
アイビーは、起き上がって、換気のつもりで開けた窓から大地を眺めた。
何を言っているんだろう、あの人は。
それでも、しばらくして「……良かった、見えてきた……」と運転席から聞こえてきた声はかなり情けないものだったので、アイビーは居住まいを正してスカートを整えた。
ずっと前からわかっている。シルヴェスターに非は何一つ無い。エミリーやコンラッドと変わらない、青い理想のために自分の家が築く体制に反発して、セシルやクレアやアイビーのために怒っているような、変な人だ。
それでも、まだ腹立たしかった。どんなに魔女たちに献身的でも、シルヴェスター自身は精霊術師という枠組みに守られてきた人で、アイビーはその精霊術師の長たちに殺されかけている。
それなのに、シルヴェスターの手を借りなければ、アイビーたちは生き続けられなかった。だからこそ、自分から頼って甘えて寄りかかりたくないのに、シルヴェスターはずっと勝手にアイビーたちのために怒ったり悲しんだりしているから、アイビーはどんな顔をすればいいのか、やっぱりよくわからないのだ。




