15-2
それでもほとんど一本道なのか、速度が安定し始めると、アイビーもそれほど怖くはなくなってきて、セシルにしがみつくことは止められた。
警戒して魔力を抑える腕輪を外していたシルヴェスターも、運転に慣れてきたと言わんばかりに落ち着いた声で呟く。
「よし。あと一息で着く――」
その瞬間、後ろから酷く嫌な感覚がした。
『守って!』
アイビーは咄嗟に叫んだ。車体の背面に伸ばされた木の枝に、大きな水の塊がぶつかる。
『土よ均せ!』
シルヴェスターが叫ぶ。その直後、車体の下から何かが突き上がったかのように跳ねて、制御不能に陥ったように激しく揺れて停車する。
パチンと、自分の表皮を覆うシャボン玉が弾けたような感覚がした。
アイビーは車の後方から窓の外を睨んだ。自分の魔力をふんだんに使った魔法を放ったせいで、モルフェアリスの変装が解けている。そして、折れた木の枝の隙間から、先ほど見たクラシックカーが見えた。
「……アッシュフォード先生」
バタンと前方からドアが閉じる音がして、同じく変装を失ったシルヴェスターが歩いていくのが、横窓から見えた。直接対峙するつもりらしい。アイビーは少し迷ってから、セシルを包んだ絨毯を見下ろした。
「……待っていてくださいね」
そう声をかけて、そっと車を降りる。車道は、デコボコに歪んでいた。どうやら地中からの攻撃を、シルヴェスターが抑えつけたらしい。それでも発生した魔法そのものを完全に無効化するまでには至らなかったようだ。前方のタイヤが一つ、尖った岩に穿たれている。――いや、ベネディクト・アッシュフォードは、時間差でシルヴェスターが地面を均した直後に岩を突き出したのかもしれない。
「……シルヴェスター・オーデン。何をしている」
アッシュフォードが類い稀な精霊術師の生徒会長を睨む。シルヴェスターは、生徒会顧問に向かって胸を張って答える。
「生徒会長として在校生を守る行動を取っているだけですが、何か」
アイビーは、予備のタイヤが荷台に無いかを確認した。このままでは走行は不能だろう。
「その盗んだ車で不法運転をすることに正当性を見出すとは残念だ、生徒会長」
「先生の愛車は随分と手が掛かっているんですね。俺も残念です。まさか生徒を補導するためにクラシック車を改造するような下品な趣味があったとは」
「……お前が、俺の隙を窺うとはな。正しいことをしていると思っているのなら、堂々としたらどうだ」
「先生が、この国を正しい者が必ず堂々とできる場所だと考えていたとは、驚きですね。そんな人間はせいぜい幼児までですよ。俺の弟のエヴァレットは今年七つになりますが、なんの非もなく年相応に優秀で周囲に愛される存在なのに、もう俺の弟だということを気にし始めました」
アイビーは、仕方なくシルヴェスターに近づいた。シルヴェスターは、さすがにアッシュフォードから目を逸らす余裕はないらしく、話し続けている。
「俺はそれが許せません。だからといって、兄が優秀であることを気にするなとは言えない。この国でこの名前で生きる限りは、一生ついて回る問題ですから」
「……何が言いたい?」
「十世代は権力を持ち続けている精霊術師の家系ですら、誰もが堂々とは生きていません。それでも俺は、正しい者を殺させたくない」
アイビーはそっとシルヴェスターの袖を引いた。
「あの、すみません。代わってください。先輩は、車の修理をお願いします。私が先生と話しますから」
シルヴェスターは、アッシュフォードを睨んだまま、肩を竦めて頷いた。
「……わかった」
「ありがとうございます」
生徒会長は、根本的に先生に歯向かうのは慣れていないのだ。弟のくだりは彼なりの動揺の現れだと思う。
後退するシルヴェスターに代わって、アイビーは前に出た。
「……アッシュフォード先生は、何が目的なんですか?」
「お前たちを止めることだ。エイデンの遺体を持ち出したことは、既にわかっている。馬鹿な真似はよせ」
「……馬鹿なことをしたのは、精霊術師のほうです。気に入らない者を使って、敵の息子を殺そうとするなんて。そんなことをして、歴史にどう書くつもりなんですか?」
アッシュフォードは憐れむように唇を歪めた。
「今の発言は、魔女として落第だぞ、アイビー・エインセル。歴史書に載っている魔女の悪行は、大半が本来は他の派閥の愚行だ」
「……それは」
アイビーは思わず俯いた。しかしアッシュフォードは冷徹に告げた。
『土よ、止めろ』
その瞬間、アイビーが地中で伸ばしていた根が、アッシュフォードが土の精霊に命じた硬すぎる岩に阻まれる。
「悪くはないが、下を確認しすぎだ。エインセル」
『エリオス、一緒に戦って!』
呼び出したエリオスが、一直線にアッシュフォードに飛び掛かる。
『土よ、守れ』
アッシュフォードは正面に岩の壁を作り出した。エリオスが上空に舞い上がり、さらに急降下する。
アイビーは隠し持っていたどんぐりを、車道から離れた地面に投げた。
『お願い、育って!』
オークの木が根を張り、成長し始める。アッシュフォードが舌打ちしながらエリオスの攻撃を躱した。
『土よ、あの木の根を潰せ!』
『お願い、勝って! 地中から栄養を受け取って!』
アイビーは強く願いながら、さらにアッシュフォードの作った岩壁に小さな種を投げつけた。
『戦って、アイビー!』
アッシュフォードの岩壁に、アイビーの蔦が伸びる。アッシュフォードはエリオスの奇襲を避けながら、素早く岩壁を蹴った。途端にアイビーの蔦の成長が止まる。
そのあいだに、アイビーはオークの木の近くにブラックベリーの種子を投げつけた。
『お願い、地面は生物のためにあるの! 破壊するためじゃない!』
オークの木の近くで、ブラックベリーの棘枝が地面を固めるように成長する。
けれど、その瞬間、アイビーの側までアッシュフォードが迫っていた。
「っ……!」
アッシュフォードの脚が、アイビーの身体に向かって振り抜かれる。
アイビーは咄嗟に腕で内臓を庇った。その背後から、不死鳥が飛び掛かる。
「――っ、……あぐっ……!」
勢いよく地面を転がったアイビーの視界で、硬い岩がチラついた。
頭に刺さる――そう目を閉じたが、次の瞬間アイビーが触れたのは、柔らかい土の山だった。
「……あ……」
痛む身体で起き上がる。アッシュフォードは、オークの木とブラックベリーの枝を枯らしていた。
――トドメを刺すつもりは、ないらしい。
「あと十年もすれば、俺に勝てたかもしれないな。エインセル」
アッシュフォードが、立ち上がってふらつくアイビーを見て、諭すように告げる。
「だが、今のお前では勝てない。余計なことはせず、魔女の森で生き延びろ」
「……できません。私はもう、追われた森で大切なものをいくつも奪われたままでは、長くは生きていけません」
アイビーは微笑んだ。家族も知人友人たちも、皆殺されてしまった。そんな森を抜け出したくて、街の学校に憧れて、エイデンと名乗る好きな人や、コンラッドやエミリーたちと友人になった。それをまた失えばいいなんて、正気で語っているとは思えない。
「そんなことをしても、私が死ぬより先に、私が何もなくなってしまう」
アイビーは流れていた涙を拭おうとして、手も腕も砂まみれであることに気づいて止めた。
「死ななければ十分だろう? 戦って勝てない相手に挑む必要はないんだ。頼むから、生き急いでくれるな」
泣きながら、少し笑ってしまう。確かにベネディクト・アッシュフォードは、アイビー・エインセルにトドメを刺さなかった。でも、大半の魔女は負ければ殺されているのだと、どうしてわかっていないのだろう。わかるつもりがないのだろうか。
「……勝てなくても、いいんです。私の願いが叶うなら」
アイビーは目を閉じた。怖くはなかった。自分の中の力が矛盾しているなんて、今更のことだった。
『――ニヴァリス、来て』
地面一帯が雪原になる。アッシュフォードが警戒して自分の足元の雪を払う。
『ニヴァリス、咲いて』
降り積もった雪が、すべて俯いた白い花に変わる。か弱いだけの花の群れに、アッシュフォードは明らかに戸惑った顔をした。
「何をしている? 反対属性を同時に使ったら、お前の内部が……」
アイビーは薄く笑った。頭の中のニヴァリスも笑う。『同時じゃないよね? 循環するんだよ、シンシアの中には花がいるんだから』
『エリオス、花を燃やして! 全部!』
エリオスが強く尾羽で花畑を叩いた。途端に白い花畑が弾けて、赤い絨毯のように燃え散る。
「なっ……?」
アッシュフォードがほんの一瞬だけ怯んだ。ニヴァリスの灰が紛れ込んだ空気を避けようと口元を覆い、自分の前に土壁を立てる。
飛来したエリオスは、燃えた花と炎を、さらに高く巻き上げる。――今だ。
アイビーは駆けだしながら、自分の周囲で燃える花を雪の下に還した。それで空気は冷えて、呼吸が楽になるはずだった。でも――火と雪の魔力の落差で、心臓が痛い。『……もう少しだけなら……』ニヴァリスのひんやりと柔らかな力が、アイビーの身体を侵食する。
アイビーは息を吸い直して、残っていたどんぐりを、アッシュフォードの車の下に向かって投げつけた。
『その車を壊して……!』
すぐさま成長したオークの木の幹が、アイビーの願い通りにアッシュフォードの魔導車の前部を叩き、ボンネットを歪めた。
「待て、何を――」
花の灰を巻き上げる不死鳥の攻撃から身を庇いながら、アッシュフォードが叫ぶ。
『枝を伸ばして!』
アイビーはさらに叫んだ。伸びた枝がボンネットの隙間に引っ掛かり、太くなる。しなって軋むような音を立てる。アッシュフォードの魔導車の前輪が浮き上がる。
バキンッと、何かが壊れる音がした。魔導車のボンネットが開き、前輪が地面に落ちて強く弾んだ。ボンネットの中に、ボロボロと折れた木の枝が降り注ぐ。
『おやすみなさい!』
アイビーはボンネットの中に雪の塊を降らせると、そのままオークの木の枝を叩きつけてボンネットを閉じさせた。
『ごめんなさい!』
みっちりと苦しそうに壊れたボンネットから雪を溢れさせる車の上に、さらに雪の塊が降り注ぐ。
そうしてアッシュフォードを振り返ると、彼はアイビーに攻撃するのも止めて、引き攣った顔で車を見つめていた。……たぶん、故障状態にはできたのだろう。これで追っては来られまい。
アイビーは静かに車から目を逸らして、素早くシルヴェスターに任せた魔導車のほうに戻ることにした。
ちょうど修理が終わったようで、シルヴェスターがこちらに向かってくる。
ちょっと信じられないものを見る顔でアイビーを見て、アッシュフォードのほうに憐憫の情を向けている気がするのは、気の所為だと思いたい。




