15-1
「……シルヴェスター様? 免許を取得されたのはいつですか?」
エミリーが上擦った声で問いかける。
「今年の夏だ。俺は七月生まれだからな」
「……そうでしたか。その後、訓練とかは?」
「さすがにここで運転することになるとは思っていなかったからな。していない」
「……そうでしたか」
助手席にいるエミリーは、後部座席にいるアイビーからでもわかるほど、沈痛な面持ちをしていた。
エミリーと合流した先は、高級な家具屋だった。設定はこうだ。お金持ちの少女には、最近、素敵な他校の彼氏ができた。だから、週末だけ学園都市の学生寮を出て、素敵なアパートに二人で住むことにした。
だから大型家具を買い込み、レンタカーを借りて、友人に引っ越し作業を手伝ってもらうことになった。だって配送業者に二人の愛の巣を知られるのは恥ずかしいから。
そして、もちろんエミリーは、突然コンラッドと同棲を始めるわけもなく、むしろ運搬作業員を雇って、後継者を失って勘当した自分を呼び戻すことになった実家の私室に、自分好みの家具を搬入する我が儘お嬢様、としてフラムスティード家に乗り込むという大胆な作戦を立てていた。
そして、その作業員――シルヴェスターは、唯一免許を取得している十七歳以上でありながら、実は誕生日が学年末付近だったため、今年の夏休みに取得してから一切運転をしていないまま、普通免許で乗れる最大の作業車を運転させられているのだった。おまけにアイビーとエミリーもそれに同乗させられる羽目になっていた。
ちなみにコンラッドとクレアは、一足先にエリオスの聖堂に行って準備を整える係として家具屋付近で別れた。コンラッドは実家に置いてあった十六歳から乗れる普通の小型スクーターにクレアを乗せて、爽やかに去っていった。アイビーでも羨ましいのだから、まあ前方の二人は羨ましかっただろう。
やがてエミリーが、どこか遠くを見ながら呟く。
「……シルヴェスター様にも、可愛げってあったんですね……」
「えっ」
アイビーは思わず変な声を出してしまってから、慌てて口を押さえた。エミリーの可愛げの基準がわからない。
しかしシルヴェスターは大真面目に頷いた。
「ああ、よく驚かれる」
どういう会話だ。アイビーは、運転席の後ろに必死に掴まりながら内心悪態をついた。途端に車体が大きく揺れる。
「わあぁっ?」
「すまない。ここで良いのか?」
「大丈夫。お疲れ様」
着いたらしい。アイビーは、これから侵入者になるというのに安堵した。エミリーの家の敷地に入ってから、シルヴェスターがわざわざ乗り慣れていない車を若干加速させた意味が、わからないけどわかった。
「広い……」
私有地が。門から車で三分だった。
そして家ももちろん大きい。全貌が見えない。
先に車を降りたエミリーは、表に出てきた使用人や執事みたいな人たちと、何やら話をしている。
「リリー。行くぞ」
「あ、はい。エヴァン先輩」
とりあえず偽名で呼ぶことになったシルヴェスターに頷いて、アイビーも車を降りた。どうやらエミリーは、事前に家具の搬入があることを伝えていたらしく、最初から裏手に車を回したらしかった。……その裏手の入り口が、アイビーの森の家の何倍もあるような気がするが。
「じゃあ私の部屋に運び入れちゃって。レヴィヴィス、案内してあげてくれる?」
エミリーが戻ってきて、レヴィヴィスを呼んだ。ふわりと現れたレヴィヴィスが大きく頷く。
「わかった! では、お手伝いしますね!」
「ありがとう」と言って、シルヴェスターは車の荷台を開けて、若干苦い顔をした。
「……これを全部運ぶのか」
「何往復かしたほうが、安全ですからね。もちろん無理はしなくて構いません。ではよろしくお願いします」
エミリーはにこやかに微笑んで、ちゃんとしたお嬢様っぽく屋敷の中に入っていった。
これからしばらくのあいだ、エミリーは、フラムスティード家の当主である父親や上級使用人たちを足止めしてくれることになっていた。
レヴィヴィスに案内されたエミリーの部屋は、可愛らしくて当然のように大きな部屋だった。シルヴェスターとともに精霊に頼んで軽くした荷物を運び入れながら、アイビーは建物の造りや使用人たちの動きなど、屋敷の内部を観察していく。
「……ここは?」
荷物を置いて、次の荷物のために車に戻ろうとして、アイビーはふと扉が開いている部屋を見つけて首を傾げた。レヴィヴィスが近づいてきて、小さな声で囁く。
「そちらはエイデンさんが帰省したときのお部屋だそうです。あまり物は置いてありませんが……」
アイビーは、思わず中に足を踏み入れた。
落ち着いた赤い壁紙とダークブラウンの木製家具で纏められている部屋は、その重厚さとは裏腹に、確かに物が少なく殺風景な印象だった。
けれどくるりと見回すと、入り口の扉の壁側にひっそりと掛かっている一枚の緑の絵が、アイビーの目を引いた。
「森の絵?」
「それは、エイデンが去年描いた絵だな」
後ろから近づいてきたシルヴェスターが、画面の端を示す。エイデン・Fとサインが入っていた。
「コンクールで良いところまでいったんだが、表彰には至らなくてな。モチーフがやや魔女の自然崇拝的だという理由で減点されたらしい」
アイビーは嘆息した。こんなに美しい森と、それを描ける人を、人はどうして排除してしまえたのだろう。
「あのときは、珍しく俺に、フラムスティード家の当主の前で褒めてほしいと頼んできたんだが……そうか。この森を捨てられずに飾るためか」
シルヴェスターは感慨深げに呟くと、そのまま淡々とアイビーに囁いた。
「お嬢様がほとんどの使用人を集めたらしいな。リリー、これを持ってレヴィヴィスと一緒に先に行け。俺はこの手の屋敷の構造ならわかっているから、念のため後から行く」
「わかりました」
アイビーは、精霊に軽くしてもらった中厚手の絨毯を受け取って、頷いた。
「こちらです」
レヴィヴィスに先導されて辿り着いたのは、地下階の一室だった。術師たちの名家では、家人が亡くなると、この部屋に一週間ほど安置して、遠方から訪問客を迎えながら、華々しい葬儀の用意をするのだ。
アイビーは息を吸って、そっと扉を開いた。
とても静かな空間だった。静謐とも寒々しいともいえるその部屋の中心に、美しいガラスの棺が置かれている。
「……っ……」
側面の下から擦りガラスが透明に変わるような冷たい箱に納められて、エイデン・フラムスティード――セシル・セインは、静かに目を閉じていた。
ふわりと現れたエリオスが、セシルの棺に止まり、静かに見下ろす。
アイビーは絨毯を床に置いて、震える足で棺に近づいた。何も言えなくなったアイビーの代わりに、レヴィヴィスが囁く。
「……生きていらっしゃいますよね? こんなに顔色がよろしいのですから」
「うん。……うん……眠っているだけみたい……死んでない、絶対に死んでないよ……」
触れた棺は冷たい。それでもそう言い聞かせる。
「すぐに開けますからね」
中にある身体も冷たいことは、もうわかっている。だから触れるのは怖い。それでも、急がなければならない。
「……大丈夫」
棺の蓋をそっと持ち上げる。重い。遺体を美しく保つための冷気が漂ってくる。けれど、死者の匂いはしなかった。アイビーの勘違いでなければ、セシル・セインはまだ生きている。
「手伝います」
レヴィヴィスが蓋に手を添えて、一緒に外してくれる。後方で、足音が聞こえる。シルヴェスターの足音のように聞こえるが、それでも警戒したくなる。蓋を下ろしたレヴィヴィスが、アイビーが死角になる位置まで進み出る。
「俺だ」
常人には真似ることなどできないであろう本能的に安心させる声がして、シルヴェスターが姿を現す。
「急いだほうがいい。先ほど、火急の知らせを受けたと言っている者がいた。エミリーがどこまで当主の気を逸らせるかもうわからない」
険しい顔でそう告げてから、シルヴェスターは開けたセシルの棺に近づいて、泣き笑いのような表情を見せた。
「……少し乱暴に動かすが、我慢しろよ。文句はお前が起きたら聞いてやる」
優しい声でそう言って、セシルの身体を手早く抱き起こす。アイビーが慌てて広げた絨毯に横たえると、エリオスが物言いたげにセシルの胸の上に乗った。表情の動かないセシルの顔を、じっと見ながらもどかしそうに何度も翼を広げ、ふわりと跳ねてセシルの肩口に着地すると、首を伸ばしてセシルの頬を擦る。
その短い愛憐の間に、アイビーは黙って棺の蓋を閉めた。こんな物は空でいいのだ。
エリオスがアイビーの肩に乗る。やっぱり乗り心地が悪いようで、何度も脚の置き場を探すように動くエリオスを、片手で軽く撫でる。
「こんな運び方で悪いな。正面から取り返すには、力が足りなかったんだ」
シルヴェスターが、セシルの身体を隠すために丁寧に絨毯を巻き始める。アイビーも手伝って、平紐で結んで閉じ込めた。
レヴィヴィスに先導を任せて、シルヴェスターと共に絨毯を持ち出す。
「……この道をまっすぐ行けば、車に戻れます」
レヴィヴィスが告げる。けれど、ふと立ち止まり、アイビーを振り返った。
「――エミリーに呼ばれました。お二人ともお気をつけて」
次の瞬間、レヴィヴィスは姿を消した。エミリーのところに移動したらしい。
「……エミリーが、レヴィヴィスの居場所を聞かれたのか。まずいな」
シルヴェスターの言葉に、少しだけ焦りが窺えた。そのまま絨毯を持って外に出ると、運搬車からそう遠くない場所に、来たときはなかったクラシックな型の車が止まっていた。
「アッシュフォード先生の車だ……」
シルヴェスターの言葉に、アイビーは頬を引き攣らせた。急いで丁寧に手早く大切にセシルの絨毯を荷台に乗せていると、エミリーから解放されてしまったらしい使用人が近くを通り掛かった。シルヴェスターが、あんまり見たことがないにこやかさで言った。
「搬入が終わりましたので、俺たちはこれで失礼します!」
「し、失礼します! ありがとうございました!」
アイビーも荷台に乗り込み、セシルの絨毯の隣に座る。そして、絨毯ごと転がらないように、手早く荷台固定用のベルトを巻き付けていると、運転席に座ったシルヴェスターが、真顔で呟いた。
「大丈夫だ。俺はアクセルを踏める」
「ぶ、ブレーキはっ?」
「踏める」
「なら良いです! お願いします!」
シルヴェスターが魔導車のエンジンを起動する。
「……しっかり掴まっているように」
「敷地を出るまでは安全運転ですからね! 街中も!」
「任せてほしい」
アイビーは、セシルの絨毯をそっと押さえた。心臓がバクバクする。
「だ、大丈夫ですからね、私が守りますから……!」
何からだろう。シルヴェスターの運転からだろうか。
とはいえさすがは生徒会長ということで、シルヴェスターは無事にエミリーの邸宅を抜け、街中を抜けて、広い幹線道路に入った。
「そろそろ良いか」
途端に不穏なことを言ったシルヴェスターに、アイビーは素早く身構えた。
エンジンがフル稼働する音が聞こえてきた。直後、ガタンと車体が揺れて、大きく身体が揺さぶられる。
「あわわわわ」
「あまり話さないほうがいい。舌を噛むかもしれない!」
アイビーは、セシルの絨毯にしがみつきながら黙った。もはや絨毯を抑えているのか、自分が掴まっているのかすらわからない。




