14-5
大人数の夕食は、なんだか楽しかった。
頭の片隅には、こんなことをしている場合ではないという考えが何度も浮かび上がるものの、現実的には栄養を摂って休息を取ることが必須だった。とはいえ無闇に思い詰めている場合ではないと思考を切るのは、正しくても間違っているようで、アイビーは何度もムーンストーンのネックレスに触れ直していた。
料理を楽しんでいたクレアが、にんまりと笑って「それ、もしかしてお兄ちゃんが贈ったやつ?」と聞いてきて、気づいたらダンスパーティーや決闘で助けられたことから一目惚れしたことまで話す羽目になったけれど。
「ところで、食事の前に君が購入してくれた着替えの服を確認したんだが、なぜあんなに俺の好みがわかったんだ?」
食後のコーヒーを飲みながら、シルヴェスターがエミリーに向かって問いかける。エミリーはにこやかに微笑んだ。
「簡単よ。シルヴェスター様がいま着ている服のお店に行って、彼氏にここの服をプレゼントしたいです。彼は結構イケメンで、あの有名なシルヴェスター様くらい高身長なんです。あっ、これ先日シルヴェスター様が着ていたの見ましたよ、さすが似合っていましたね。こう言ってから、おすすめはありますか? って聞いたら、シルヴェスター様に似合いそうな服が一式出てきたから、そのまま包んでもらっただけ」
「……そ、そうなのか」
シルヴェスターは困惑したように自分の服を見つめた。
「ブランドを当てられたことはあるが、架空のマネキン買いをされて渡されたのは、さすがに初めてだな……」
「これでも私、幼少期は男装だったんですからね。というかシルヴェスター様、子供の頃からよくそこの服を着てましたよね?」
エミリーが、シルヴェスターの服を指差す。しかし、精霊術師らしいローブを脱いでいる彼は、シンプルな無地のシャツとセーター、スラックスを着用している。どこに特徴があるというのだろう。
「ああ、なるほど」
「納得するんですね……」
アイビーには何もわからないが、何かが違うのだろう、たぶん。
エミリーは満足げな表情になると、そのままコンラッドに視線を向けた。
「ねえ、コンラッド。結局、私のことってまだ好き?」
アイビーは落ち着くために飲もうとしていた温かいマグカップを、そっとテーブルの上に置いた。けれどコーヒーの水面は、アイビーの動揺によって、平面に置いてもまだぐわんぐわんと波打っている。
クレアとシルヴェスターすら黙り込んだ中で、コンラッドが顔を真っ赤にして頷いた。
「……おう」
「よかった。じゃあ明日の朝、ちょっとついてきてくれない? しばらく私の隣で、私のこと好きだなって思いながら頷いているだけでいいから」
エミリーは、キラキラと目を輝かせてそう言い放った。
コンラッドは、もう無言で頷いてしまっていた。
夜は、セルビー家の客間を借りて寝ることになった。けれど、エミリーはまだ明日の下準備が終わっていないと言って、フラムスティード家に行ってしまった。
大きめのベッドが二台用意されている部屋を、なんとなくクレアと半分で分かれるように使い、交代でシャワー室を借りる。
頭から心地良いお湯を浴びながら、アイビーは頭の中に問いかける。
「……ニヴァリス、私、明日どれくらい魔法を使えるのかな」
『ネブラに誤魔化して貰っていた部分を、アデライドさんに調整して貰えたから……私の力とエリオスと同時に使わなければ、ちょっとなら大丈夫かも』
「元々の私の木属性の魔法を使うだけなら、そんなに危なくないよね」
『うん。それだけなら、私の力もほとんど使わないから』
もちろん、錬金術師が研究中に主に魔力を一定に保つために使う、魔力調整器を貸してくれたアデライドには「私は金属の専門家であって人体は専門外だからね」と注意されている。でも、絶対に一つも魔法を使わなくて済むとは限らない。使わないと決めておくほうがいざというときに危ない。
濡れた髪を拭きながら部屋に戻ると、先にシャワーを浴びてベッドに座っていたクレアが立ち上がって、櫛を持って手招きした。「そこに座って。乾かしてあげる」
アイビーは礼を言って、指定されたドレッサーの前に腰掛けた。
筆頭錬金術師の邸宅には、いかにも高性能そうなドライヤーも置かれていたが、今日は同い年の魔女の少女に甘えたい気分だった。
「……私ね。魔女狩りに森の村を焼かれたとき、逃げ惑って、川に落ちたの。それで、運良く下流まで生きて流れ着いたんだけど、ほら、私ってけっこう可愛いじゃない? だから、人買いに捕まって、あの劇団の養成所に買われたの」
精霊の温風でアイビーの髪を包みながら、クレアはぼんやりと呟いた。
「それで……孤児や貧しい子供をたくさん集めている施設がね、劇団の支援者の一部を相手に、酷い接待をさせていることに気づいて……まあ、しばらくは気づかなかったんだけど。自分の番になって、ようやくわかって、逃げ出したの」
アイビーは鏡越しにクレアの顔を見た。目が合って、クレアが苦笑する。
「故郷の川に落ちたときに、死ぬべきだったんだなって思ったの。それで、その川と繋がっている湖に入ろうとしたら、劇団に取り憑いている妖精に、声をかけられたんだ。モルフェアリスっていうんだけど……俺のクリスティーヌになるか、そこでオフィーリアになるかって。偉そうに」
アイビーは少し悩んでから、納得した。どちらも有名な演劇のヒロインの名前だ。でもクレアは、妖精の理想のクリスティーヌにも死んだオフィーリアにもならなかったらしい。
「……クレアちゃんが生きてくれていて、嬉しい」
「そうでしょ? 私もそう思う。さすがに今日は、駄目かと思ったんだけど……もう水では溺れ死ぬ気がしないかも」
クレアはくすくすと肩を震わせて笑った。
「でも……なんだか、まだ実感が湧かないわ……。お兄ちゃんね、もう私の中で二回も死んだのよ。森で見失ったときと、エイデン・フラムスティードが死んだと聞いたときに。なのに、生きてるのかもって思うのも二回目なんて……」
アイビーは、目を伏せた。
「ごめんなさい」
「ん? なにが?」
クレアがアイビーの髪を梳く手を止める。
「……クレアちゃんの、お兄さんを……殺そうとしました」
クレアは黙って櫛を置いた。そして。
「ひぇ?」
突然両頬を引っ張られて、アイビーは混乱してクレアの様子を窺った。
「うーん、お兄ちゃんの好み、こうなんだ……。……私と似てなくない?」
そういう問題なのだろうか。それと、今のアイビーは、誰にも似ていない顔になっている。
「なんか、怒ってはいるんだけど、結局アイビーちゃんって何も悪いことしてなくない? って思えて……腹立つ」
「ふぇっ?」
アイビーは動揺した。やっぱり怒っているし腹を立てられているらしい。いや、甘んじて受け入れるつもりだが、クレアの怒りの源泉がどこかわからない。アイビーの顔を、木の実をたっぷりもらったルルミアみたいにするだけで済む問題ではなかろうに。
「アイビーちゃんは、結局お兄ちゃんに守られてるじゃん! 悪い人に使われそうになっても……! 自分が消えようとしても……! ちゃんとギリギリで助けてくれる人がいて、それがアイビーちゃんの人望で得たものっぽいから、狡いと思えなくて狡いの!」
……これは、本当に怒られているのだろうか。
「クレアちゃん、えっと」
アイビーは、ようやく離してもらった頬を押さえながら、クレアを振り返った。
クレアは、気が済んだと言わんばかりに自分のベッドに戻っていく。
「まあ、私も同じだけどね。……シルヴェスターさんが、毎回お花やお菓子を贈ってくれたから、演劇界を支援してくださる高貴な御方のお気に入りならって、悪役女優でもあまり下手なことはできないと思われて、悪い人には直接手を出されずに済んでいたの」
「そうだったんだ」
アイビーもドレッサーから離れて自分のベッドに座った。髪は、今まで見たことないくらいに艶々と綺麗に乾かされていた。
「そうよ。そうじゃなければ、私はもっと荒んでいたし、病気や怪我をしていたかもしれない。そもそも、もっと早くに殺されていたかも」
クレアはベッドに寝転がると、天井を見上げて、深く息を吐いた。
「まあ、演劇にだって、良いところもたくさんあるんだけどね。良くも悪くも道楽で大きなお金が動くから。素敵な芸術としての側面もあるにはあるのよ」
そう言って横向きになって、アイビーのほうを見る。
「……ねえ、アイビーちゃんは、お兄ちゃんのどんなところが好きなの?」
「え?」
アイビーは、上掛け布を引っ張りかけたまま硬直して、しどろもどろになった。
「……ぜ、全部……」
「具体的に! 優しいとか、見た目とか、色々あるでしょ?」
「……具体的に……? や、優しいし、顔も好きだし、瞳も好きだし、声も素敵だし、気遣いも丁寧だし、たまにエリオスに甘えていて、可愛いし……優しすぎてちょっと心配になるけど、でもそんなところも好き、だしっ」
仕方なく、指を折りながらあげていく。
「あ、あと強くて、頭も良いし、勉強を教えてくれるときも……ずっとかっこいいし、落ち着きがあって大人っぽくて、でもちょっとだけ、たまに子供っぽいところもあって、そういうところを見られるのも嬉しいし、あっ、あと意外と食べてるときに口が大きいときがあって、ドキドキする……?」
そこまで言って、アイビーはハッとした。好きな人の妹に、好きな人のことをこんなに語って良いんだろうか。「い、今の、無しで……」
「アイビーちゃんってさ……」
クレアはじっと鮮やかな赤い瞳で、アイビーを見て笑った。
「可愛いよね。お兄ちゃんが大事にしたくなったの、なんかわかるもん」
アイビーは、もぞもぞと上掛け布の中に隠れることにした。少なくとも、セシルから、可愛いと思われて大事にされていたことは、否定しない。
クレアはひとしきり笑ってから、まだくすくすと笑い声混じりに言った。
「ねえ、じゃあお兄ちゃんの嫌いなところはある?」
「……平気そうな顔で犠牲になろうとするところは、よくないと思う……」
アイビーは上掛け布に潜ったまま答えた。どんな顔で言えばいいのかはわからなかったが、言いたくもなる。
「そりゃ、好きな子が平気じゃない顔で犠牲になろうとしていたらね……頑張りたくもなるよ。だって私のお兄ちゃんだし?」
クレアは呆れたようにまた笑って、パチンと明かりを消した。窓からの薄明かりだけになった部屋に、静かな声が落ちる。
「おやすみ、アイビーちゃん。……明日、頑張ろうね」
「うん。……おやすみなさい」
アイビーは、上掛け布から顔を出して、しっかりと寝ることにした。こういう寂しい夜だけは、悲しいことを考えないほうがいいに決まっている。
しかし、アイビーがゆっくりと微睡みはじめた頃、突然クレアの声が聞こえた。
「……ねえ、アイビーちゃん」
アイビーが目を開けて、クレアを見た。クレアはガバリと身を起こして、ベッドに座った。
「悪いんだけど、一緒に寝てくれない?」
一瞬戸惑ってから、気づいた。クレアが溺死させられかけたのは、ほんの数時間前のことだ。
「……眠れないの?」
「うん」
アイビーは自分のベッドを少し開けて、上掛け布を開いた。
クレアはほっと息をついて、アイビーのベッドに入ってくる。
「……悪役ばっかり演じて嫌われるのも、キモい奴らにそういう女だと思われて身体を見られるのも、魔女がバレたらどうなるかわからない生活を送るのも、慣れたら平気……ではないけどさ、案外耐えられちゃうよね」
アイビーは、小さく首を横に振った。耐えられているのではない。擦り減りながら生きているだけだ。
「でも、笑いながら殺していい存在だと思われるのは、無理だよ。二回目だし」
横になったクレアが声を震わせる。アイビーは、思わずクレアの手を握った。
シャワーを浴びてからそんなに経っていないはずなのに、クレアの手は冷たかった。
次第に温まって、震えも収まってきたクレアが、ぎゅっとアイビーの手を握り返してくれる。そして、大きな声で呟いた。
「……あーあ、あのとき動揺して怯えてないで、全員ぶん殴っておけばよかった! 人を見世物扱いする醜い馬鹿が、綺麗で可愛くて天才女優で村のお姫様育ちの魔女の私を殺していいわけないでしょって……シルヴェスターさんに任せていたの、おかしかったよね? やっぱり自分でやらなきゃいけなかったのに……悔しい……」
クレアの震え方が変わっている。アイビーは、クレアの手を両手で包み直した。
「……クレアちゃんって……」
「気が強い?」
「うん。うまく言えないけれど……すごいと思う」
クレアがくすくすと笑い出す。心地良い揺れに、アイビーは安心して目を閉じた。
「……悔しいこと、もう耐えたくないね」
「うん。……ありがと、アイビーちゃん。そろそろ、眠れそう……」
「私も。おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
そう呟いたあとは、どうやらぐっすりと眠れたらしかった。
明け方、アイビーが目を覚ますと、クレアはまだすやすやと寝息を立てていた。アイビーは窓の外を見た。太陽は既に昇っている。心地良い朝だ。
「おはよう、クレアちゃん」
「……んん……もう、朝……?」
「朝だよ。起きて」
「……うん」
そっと揺り起こすと、クレアはまだ眠たげに薄く目を開けた。
「……夜型なのよ。公演が、いつも夜だから……」
むにむにと不満そうに口を動かして、それから、はぁと息を吐いて目を開ける。
「でも、お兄ちゃんを助けに行くんだもんね。気合いを入れないと」
それから、身支度をして、昨夜エミリーが用意してくれた買い置きの朝食を囲む。
その後が問題だった。クレアはモルフェアリスを呼び出して、シルヴェスターとアイビーを自分の前に立たせる。モルフェアリスは、燕尾服と、黒くだらりと長いマントに身を包み、白い仮面をつけた幽鬼のような男性姿の妖精だった。そして、シルヴェスターをとても嫌っているようだった。まあ、そこまでは良いのだが。
「……本当にこれでいいのか?」
「う、うん、大丈夫、全然わかんない……っあは、っ、んんっ……!」
モルフェアリスは、クレアの要求をわりと忠実に叶えてくれた。ただしそれはたぶん、内容が『威圧感があり過ぎて人目につくシルヴェスターを、普通の青年に変装させる』ことだったからだ。
普通の運搬作業員らしく見えそうな服を着込んだシルヴェスターは、誰の目にもまったく別人に見えていた。爽やかで感じが良くても駄目。かといって記憶に残るほど不審でも駄目。そんな地味な人間に徹するために、シルヴェスターはわざわざ作業服の下の腕に、うっかり自分の変装を無効化しないように、魔力制限装置を嵌めている。
その結果、普通の青年に仮装をしている天上人という、そこはかとなく奇妙な存在が目の前に誕生していた。
「ぼ、帽子、もう少し深めに……っやばい、全然シルヴェスターさんに見えない……っ!」
先ほどからずっと笑い通しているクレアに、シルヴェスターは憮然とした顔で呻く。
「それなら良いんだが……良いんだが……」
「あの、大丈夫です。表情はシルヴェスター先輩だとわかりますよ」
どうやら推し女優に笑われるのはさすがに堪えるらしいシルヴェスターに、アイビーはどうにか助け舟を出そうとした。しかし、クレアの笑いは止まらない。
「ひょ、っ表情、と、声だけ、シルヴェスターさんのまま……っんふふ……っ声だけ、良すぎる……っ」
「……表情と声にも気をつけるべきか……」
もう笑っておいたほうがいいかもしれない。そう考えはじめたアイビーに、ようやく少し笑いを収めたクレアが向き直る。
「あ、アイビーちゃんは、大人っぽくしておくね。――モルフェアリス、やって」
モルフェアリスが無表情の仮面でアイビーに近づいて、マントをバサリと動かした。上から布を被せられるような奇妙な感覚がした。アイビーは、シルヴェスターの後輩運搬作業員という設定である。
クレアが満足そうに頷く。
「うん。良い感じに元気なお姉さんに見える」
「あ、ありがと……?」
「もっと元気に振る舞って!」
アイビーは慌てて飛び跳ねた。
「う、うん! わかった! ……こんな感じ?」
「そうそう。じゃあ、そろそろ」
行こう。そう言いかけたクレアの声を遮るように、戸を叩く音が響いた。
「あれ、母さん? どうかした?」
コンラッドが戸を開ける。アデライドは険しい顔で息子を見た。
「……アッシュフォード先生がご来客よ」
アイビーは息を呑んだ。
「コンラッド。裏口から出なさい。あと、最近の授業に不安は?」
「わかった。一年の前期授業に不安はあんまりない! けど……アッシュフォード先生は、捏造史を教えるより、歴史の教科書の編纂者になったほうがいいと思う! あっ、あと授業前後のツカミの小ネタが面白くて評判良いよ! いってきます!」
コンラッドが答えながらアイビーたちを手招きする。アイビーは、アデライドにお礼を言って廊下に出た。
「ご迷惑をおかけしてすみません、ありがとうございました!」
「気をつけて、いってらっしゃい」
アデライドは少しだけ笑ってくれた。




