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スノードロップは不死鳥を殺せない ―暗殺を命じられた魔女は、標的の少年に恋をした―  作者: 鶴川紫野
二・人工の花

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7/20

2-1

 コンラッド・セルビー。

 それは裏切り者の名前である。


 アイビーは深く溜め息をついた。この休日に街を案内してくれるはずだったコンラッドは、突然実家に呼び出されて、昨晩帰ってしまった。

 なんでもコンラッドの母親が胃腸風邪をひいてしまい、少数精鋭の工房が回っていないらしい。だから休日の二日間は手伝いに行くのだという。


 それはアイビーとて心からお大事にと送り出したのだが、それはそれとして荒んでいた。


 だって、コンラッドは昨日事情を伝えてきたあと「じゃあ、代わりにエイデンを誘ってみるからさ!」と軽く言ってきたのだ。


 もちろん誘ってみて無理だったなら仕方ない。でも、今朝になって連絡したら「あっ、忘れてた!」だったのだ。酷いと思う。期待させないでほしい。自分のことで忙しいのに、わざわざ気遣って上げてきて、結局落とすなんて。


 アイビーはとりあえず昨日三着しかないのに散々悩んで選び抜いて必死に毛玉を取った紺色のワンピースを着て、膨れっ面になっている自分の顔を鏡で睨み、エイデンに見せられない表情など作っている場合ではないと思い直して、普通の顔に戻した。

 ……会えないけれど。……まだ若干目つきが悪い気がするが、これは虚しさと緊張のせいだろう。


 街には行きたい。でも怖い。森には街なんてなかったのだから、当たり前だろう。そして優秀な魔女は、入学を許可された学校内ならば同世代の生徒に襲われても逃げ切れる可能性は高いが、外で魔女を憎む大人に囲まれたら普通に殺される。


 一目では魔女だとわからない古着のワンピースを着ているとしても、学園都市に馴染んでいない新入生というだけならともかく、そもそも都市そのものに馴染みがない人間は、きっと多くない。


「……でも、行きたいし……」

 死ぬ前にやりたいことの中で、できそうなことくらいはやっておきたい。


 手癖でいつも通りに横髪を編んで白いリボンを付けようとして、止めた。全部纏めてくるくると巻き上げて、リボンで止める。今回は目立たないようにしたい。アイビーの白い毛先は、そこそこ珍しいはずだ。


 昨晩必死に磨いたブーツを履いて、全身を確かめる。……おかしくはない、と思う。むしろ、いつもよりも大人っぽい、はずだ。


「……コンラッドが来てくれたらなぁ」

 せめて客観的なコメントが欲しかった。初日はうるさいと思ったけれど、全部必要な言葉だった。魔女が魔女らしくしていなくてもいいときは。


「……反省する……ごめんなさい……はぁ」

 お土産とか、買ってみてもいいだろうか。なんだかんだでうるさくて忙しなくて気遣い屋のコンラッドは、どうせ実家に帰っても働き詰めだろうから、なんとなく疲れが取れそうなやつ。


「コンラッドが好きそうな食べ物……昨日はカスタードプティングが山盛りだったし……ケーキとか、チョコレート、とか……あっ、雑誌で特集していた、バナナケーキ……?」


 どれもアイビーにはほとんど馴染みのないものだ。森でも作れる魔女のお菓子といえばキャロットケーキや糖蜜タルトなどだけで、異国から種や苗を仕入れたものは、魔術師や錬金術師の農園でないと育てられないのだ。そういえば、エイデンは何が好きなのだろうか。


 当たり前のように思考が想い人――兼、暗殺対象――へ飛んで、アイビーはぶんぶんと首を横に振った。でも次に会ったら聞いてみたい。



 パルマケイア魔導学校は、学園都市ネフェロニカの中央に監理区画を置いて、大まかに東西南北の四つに分けた区画の中で、西側の中心にある。


 北に学術研究区画、東に学園都市在住者のための居住区と保育施設や初等部や中等部が用意され、西と南にこの国に住む十五から十八歳の八割程度が集まる全寮制の高等部が置かれている。


 さほど広いわけではない国土の、大半が豊かな自然であるこの術師たちの国の秩序は、大人の力を持つ前の子供たちを一度集めて保護監理教育をしなければ保てないらしい。

 ずっと昔、まだ魔女よりも人間のほうが多かった時代の人間の王国ですら、刃物一つで暴れまわる者が問題になっていたというのだ。

 精霊や妖精やゴーレムに命令するだけで幾つもの術を放つことができる術師たちが、国という秩序を求めるのであれば、自分が振るう力を理解していない者の選別は必要なのだろう。


 アイビーはパルマケイア魔導高等学校の門を出て、直ぐ側にある公共交通機関に乗り込んだ。

 西と南の中間の区画に、この学園都市内の学校のいずれかに在籍する生徒たちのための商業施設が集まっている。

 買い物客のほとんどは、アイビーと同世代のどこかの学校の生徒だ。たまに見かける大人も学校関係者ばかりらしく、ちょくちょく生徒たちに声を掛けられて足を止めている様子がうかがえた。治安は悪くない。少なくとも表通りは。


「ええと、この薬草屋は……こっち?」

 慣れない地図に首を捻りながら、何度か道を曲がる。女性向けの衣料品を扱う通りに入った。そうなると男性の姿はほぼない。高級品を取り扱っているようで、少女の姿も少ない。もっと大人っぽい、たぶん学術研究区画の女性が何人か堂々と買い物している。薬草屋は、ここからもう一本奥にあるようだ。


 アイビーは、自分が着ているワンピースよりもずっと上質そうな生地のアンダードレスやコルセットやドロワーズ、繊細そうなレースで作り上げられた豪奢なネグリジェなどが飾られたショーウィンドウを、そわそわと横目に通り過ぎていった。


 そして、ふわふわとした優雅な空間に似つかわしくない、金切り声を聞いた。


「――察しが悪いのよアンタは! どうして私の気持ちがわからないの!」

 ビクリと足を止める。森の奥育ちは、人間をよく思わない妖精の嗤い声や獣の唸り声には慣れていたけれど、人間の怒声や罵声には慣れていなかった。


 声は、前方の路地から聞こえてきているようだった。アイビーは、一呼吸分躊躇ってから、走り出した。何か酷いことが起きているのを、看過することも怖かった。


 急いで路地を曲がる。その先で、小柄な青みのあるピンク髪の少女が、少女の姿をした青紫の髪の妖精を殴っていた。


「あ……、……え?」

 一瞬、何をしているのかわからなかった。

 青紫の妖精が殴られた胸を押さえて俯く。ふわりと花の香りが弱々しい風に乗って微かに漂った気がしたが、すぐに掻き消えた。背を丸めて縮こまる妖精に向かって、ピンク髪の少女がさらに拳を振り上げる。


「っ――!」

 アイビーは慌てて駆け出した。魔術師は、妖精と契約して、力を借りている。なのに、その妖精を殴るなんて。意味がわからない。


 飛び込むようにして、ピンク髪の少女の腕を掴む。そのまま振り下ろされた手を、アイビーは全身で抱え込んで、妖精に当たらないように下げさせた。


「なっ……ちょっと何すんのよ!」

 ピンク髪の少女に噛みつく勢いで怒鳴られる。けれど、怯んでいる場合ではなかった。


「そ、そっちこそ、何をしてるんですか……っ?」

「ハァ? アンタには関係ないでしょ!」


 顔が怖い。たぶん、他人を怒鳴りつけることに慣れている。腕を振りほどかれそうになったけれど、そのまま妖精を殴り出したら嫌なので、捕まえておく。


「か、関係あります! この国に住んでいる以上、妖精と人間の問題は、全員に関係があります! 妖精の協力なしでは、この国は平和を維持できないんですよ! だからえっと……暴行は駄目です!」


 必死に入学試験にも使える模範解答を口にする。実際に、一部の魔術師が妖精に行う仕打ちは、精霊術師と錬金術師と魔女から問題視されているのだ。

 それに、妖精を殴られているのを見るとつらいなんて理由が通じる相手なら、妖精を殴ったりしないだろうということはわかる。


「……うっさいわね!」

「っ……?」

 薄い水色の目に、キッと睨みつけられる。かと思えば、ゴツッと鳩尾に衝撃が走った。

 少女に頭突きされたのだ。思わず手が離れる。

 ――妖精に暴力的な者は、当然人にも暴力的なのだ。わかっていたのに、わかっていなかった。

 たたらを踏んで後ずさると、後ろから身体を掴まれた。しまった、とアイビーは一瞬身を固くしたが、泣きそうな妖精の声がした。


「ご、ごめんなさい……だ、大丈夫……じゃないですよね……」

 背中を支えてくれただけらしい。


「大丈夫ですよ、これくらい」慌てて強がって姿勢を直してから、この妖精もされていたことだと思い直す。本当は、大丈夫じゃないことのはずだった。「……でも、いつもこんなことをされているんですか? 毎回は酷いと思います」


「い、いつもは、ここまでは……たまに失敗したときに、叩かれるだけで……」

 妖精が怯えた顔のまま首を横に振る。すると少女はなぜか勝ち誇った表情を浮かべた。


「ほらね? アンタが見たのは、たまたまこの子が酷い失敗をしたから、私がこの子のために叱ってあげていたときだったってだけよ」

「えっ……じゃあ、殴るのが、あなたの愛情ってことなんですか?」


 この人は、何を言っているのだろう。自分の文句を押し付けるための暴力を正当化する手段として、愛情を語るなんて。そんなの、おかしいのに。


「な、なによ、なんか文句あるわけ? 本当に、アンタたちのせいで気分も予定も台無し! 責任取ってよね!」

 少女はさらに怒り顔をずいっと近づけてきた。たぶん、こうすれば相手が黙ると思ってやっているのだろう。


 アイビーは辟易しながら顔を顰めた。ここで黙っては相手が勝ち誇るだけだとわかるのに、早くも言い返す気力が尽きそうになる。暴力的な人は怖いが、話が通じない人だって、意味がわからなくて疲れるものらしい。


 じわりと、胸の中で滲むように、静かな故郷が懐かしくなる。――こんな不快な人が住む場所に、どうして来てしまったのだろう。森に帰りたい。妖精しか話す相手がいない、こういう酷い人が住み着かない場所に帰りたい。――魔術師なんて、どうせ皆この程度だって、わかっていたはずなのに。


 案の定、少女が勝ち誇った笑みを向けてくる。アイビーは発する言葉がもったいなくて黙り込んだ。そのとき、横から明るい声がした。


「なんの責任を取らせるの? ここ、監視カメラが全部撮ってると思うけど。監理局に連絡しようか?」

 栗色の髪を軽やかなミディアムヘアに整えた少女が、快活そうに近づいてくる。上品な白いブラウスと、華やかに広がるテラコッタのレーススカートと、キラキラした淡いシャンパンゴールドのカーディガンを姿勢良く着こなしていて、森育ちのアイビーでも一目でお洒落だとわかる子だった。


 栗色の髪の少女は、くるりと丸い赤茶色の瞳で、ゆっくりとアイビーとピンク髪の少女と妖精を見回した。

 そして、露骨に心配そうな表情を浮かべた。


「あれ? 君たち、怪我をしているのね? ――大変、《ルルミア》癒してあげて!」

 栗色の髪の少女はそう言って、自分の足元についてきていた、もふもふとした赤い長毛の猫のような動物を見た。猫のようといっても耳や尻尾は大きくて、猫のサイズにしたリスにも見える。額には真っ赤な宝石が生えている。


 ルルミアは軽やかにアイビーの前で跳ね上がり、「るるるっ」と鳴いて額の宝石を光らせた。よく見れば、背中にはパタパタと動く小さな光の翼が生えている。すごい、可愛い。


 温かい光がアイビーを包み、鳩尾の痛みと気持ち悪さがすっと消えていく。

「もう痛みは大丈夫?」

「あ……ありがとうございます」


 突然現れた明るい救世主に、アイビーはぎこちなく頷いた。親しげに話しかけてくれる同世代の女の子というものに、まったく慣れていなかった。


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