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スノードロップは不死鳥を殺せない ―暗殺を命じられた魔女は、標的の少年に恋をした―  作者: 鶴川紫野
一・魔女は恋をした

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1-6

 精霊術師女子寮の一階は、まず玄関と寮管理人のいる受付があって、その次に上階に割り当てられた個室に向かう階段とエレベーターが備え付けられたホールがある。その奥は、寮生が集まるための綺麗なキッチンと華やかなソファダイニングのスペースである。


 個室の割り当ては、一年生は二階、二年生は三階、三年生は四階で、二年生はどうやら三年生が許可したとき以外は、エレベーターに乗らず階段で上がるものらしかった。なお一年生の二階には、そもそもエレベーターは停まらない。

 未使用のエレベーターは、三年生が使うべき時まで待機しているもの、らしい。


 そんな複雑怪奇なルールがあるこの寮で、三年生らしき生徒たちが寛ぐ一階のキッチンダイニングに乗り込む無謀な勇気など、アイビーにも他の一年生にもなかった。


 だから当然、眠る前のお茶を飲むために向かった二階の給湯室からは、先輩たちの目から逃れた同級生たちの、楽しそうな笑い声が響いていた。


 けれどアイビーが立ち入ると、その声はシンと静かになった。


『……でも、魔女はお茶を飲むものよ』

 脳内のニヴァリスがそう言うのを聞きながら、アイビーはなるべく落ち着いて、備え付けのティーバッグの中から、カモミールとレモンバームとラベンダーをブレンドした、よく眠れそうなハーブティーを選んだ。


 最新式らしい魔導保温ケトルのお湯を沸かし直して、持参したマグカップにハーブティーを淹れる。

 入学前に、旧式とはいえケトルや洗濯機の使い方を一通り学べていて良かった。どれも基礎の機能は同じのようだった。そんなことを考えながら、ふわりと湯気とともに広がるハーブの香りに心を休める。


 備え付けの紅茶は種類が豊富でどれも美味しくて、さすがに代々の精霊術師の卒業生たちが、娘たちのために金と力を入れているだけはあった。それだけは素直に褒めることにして、アイビーは給湯室を後にした。


 十秒ほど経ってから、気を取り直すような笑い声が聞こえてきた。



 自室に戻って、まだ熱いハーブティーを啜る。口内と喉を通る熱さが、冷めた頭と矛盾するように際立って、ふわりと入学前に言われたことが蘇ってきた。


 ——生きていたなら、もっと早くに合流できていれば良かったわね。


 母コーデリアに連れられて行った、精霊術師の都市にある日陰の古い街並み。風通しの悪い、似たような石造りの建物が壁のように並ぶ息苦しい路地裏の一角には、精霊術師の庇護を求めた異端の魔女たちが、小さく寄り集まっていた。


 出迎えてくれた魔女たちは、そう言ってアイビーの肩を抱いた。でも、その手の温かさと、知らない匂いが、アイビーには少し怖かった。


 彼女たちは、ささやかに街の暮らしをしていた。森とは違う、錬金術師の発明品や、魔術師の魔導具。そして精霊術師が使い続けていた、かつて魔女が開発した物などが、たくさんあった。

 バターも小麦粉も砂糖も塩もたっぷりと使われた食事や菓子を与えられて、アイビーはそこで日用魔導具の使い方や、今の地理や情勢を教わった。


 それから連れて行かれた小さな教会の跡地は、かつて非魔法使いが神という存在を信仰して、祈りを捧げた場所だった。

 廃教会となった今でも、街に住む者たちの一時的な救貧院として運用されているらしいそこは、よく手入れされているようだった。


 白い水仙の花が咲いていた入り口の庭を通って、アイビーは精霊術師の女性アントニア・ウォーレイに引き合わされた。

 身分のありそうな紫のデイ・ドレスを着た、母よりも一回り年上に見えるその人は、優しく微笑んでこう言った。


「今までよく生きていてくれましたね。あら、警戒しているのかしら。さすが、お母様に似て聡明な子なのね。でも、安心してくれると嬉しいわ。私はあなたたちの味方なのよ」


 宗教的な象徴は取り払われたあとの、白いガラスの高窓から差し込む逆光で、たぶんあまり表情は見えなかったと思う。


「もちろん精霊術師の大半は、まだ魔女を警戒することでしょう。でも、それはこれからあなたたち自身が変えていけることよ」


 それでも優しい声色で、彼女はさらに言い募った。


「私は、その支援をしたいの。もちろん、私のことを簡単に信じろとは言いません」


「……なぜ」

 アイビーは、戸惑って呟いた。

「なぜ、あなたは魔女を支援しようとするのですか?」


 アントニア・ウォーレイは、微笑むのを止めた。


「私はね。魔術師に息子を殺されたのよ」

 母に似た真っ直ぐな目で、彼女は泣きそうな顔をした。


「魔女狩りを止めようとした息子を、殺されたの」

 その言葉は、アイビーには嘘偽りがないように思えた。



 少し湯気の落ち着いたハーブティーを、アイビーは多めに口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。眠る前に考えすぎるのは、良くない。


「……エイデン先輩って、どれくらいの肉付きの人が好きなんだろう……」

 そういう問題でもない。わかっている。ここ数か月、今まで食べられなかった都会の食事とお菓子を食べて、少しばかりふっくらしたことなんて、今は関係ない。


『太ったというより、普通に近づいただけじゃない?』

「それはそうだけど」

 ニヴァリスが訂正してくれるけれど、いままで少しずつ直して着ていた子供向けのワンピースが、急にほとんど着られなくなったことに、思うところはあるわけで。


『体力も増えたでしょ。身体が重くなる以上に体調良くなってるよ』

「……うん。街にも学校にも、来られて良かった……」

 そのために、まずいことをしているのはわかっているつもりだ。アイビーはマグカップを置いて、ベッドに仰向けになった。


 この姿勢は駄目だ。今日も疲れてる。歯磨きをしなきゃ。それもわかっているけれど。



「……本当に? 私は、学校に行っていいんですか?」

 そう言ったのは、今の学力を測るためと言われて、過去の同世代の子供たちが受けたというテストの問題を軽く解いて。

 それから目を見張ったアントニア・ウォーレイと魔女たちに、魔女だとバレなければ殺されないと、精霊術師の子供が集まる謎の会場に送り込まれて、偽名でテストを受けさせられた、数日後のことだ。


「あなたの学力なら、大丈夫ですよ。非常に良い成績を収めていましたからね」

 あのときのアントニア・ウォーレイは、とても優しげに微笑んでいた。


「だけど、一つだけ、試練を与えねばなりません」

 そう言って、彼女は一枚の写真を取り出した。複数の若い男女が、制服のようなローブを着て、姿勢良く並んで映っていた。

 中央の堂々とした金髪の少女の左側には、青髪の生真面目そうな青年と、さらに横に黒髪のすらりとした少女。右側には落ち着きのある紫髪の青年と、柔和そうに控える亜麻色の髪の少女。


 そして——

 アントニア・ウォーレイは、さらに一番右側に並んでいる少年を指差した。集団の中では隣の亜麻色の髪の少女と同じくまだ若そうな、赤い髪の少年だった。


「これは九月からあなたが入学する学校の、現在の優秀な生徒を集めた生徒会の写真です。この少年は優秀な魔術師の生徒で、あなたが入学する新学年では生徒会の副会長になるはずです」

「……そうなのですか」

 アイビーは、話の意図が見つけられず、困惑しながら頷いた。


「……ええ。あなたにとって、とてもつらいことになるとわかっています」

 嫌な前置きをされて、けれど淡々とした声が続けられた。


「この少年を消しなさい。これは精霊術師の長であるセオドリック・オーデン直々の命令です」


 ……しばらく、何を言われたのかわからなかった。


「え? ……消す?」

 呆然と問い返したアイビーに、アントニア・ウォーレイは、何でもないことのように微笑んだ。

「そうすれば、精霊術師の上層部はあなたがたの庇護を認めるでしょう」

「で、でも、そんなこと」

「諦めますか?」

「……え」


 アントニア・ウォーレイは、穏やかに、ゆっくりと口を動かした。

「魔女たちの悲願は、あなたの行動一つで叶うのですよ」


 そして、少しばかり悲しそうに、眉を寄せた。

「そうですね。私はあなたに期待を背負わせすぎたようです」


 アイビーは答えを探して、写真の中の少年を見下ろした。心臓がぎゅっと硬くなったような気がして、それが悔しくなる。

 ……彼は、誰かに期待され続けているのだろうか。きっとそうに違いない。


「あなたの望みは、何かあるのですか?」

 アントニア・ウォーレイの声が、温度を無くしたように、耳に届いた。


「……学校に、行きたいです」

 アイビーは掠れた声で告げた。

 だって、こんなことを言われなくても当たり前のように在籍できる人たちを、間近で見てみたかった。



『歯磨き』

 ニヴァリスが、呆れたように起こしてきて、アイビーは渋々瞼を開けた。

「わかってるよ……」


 緩慢にベッドから起き上がり、ついでにマグカップを洗うために手に取った。ベッドとデスクとクローゼットだけの個室は、故郷の森にあるアイビーの部屋と同じくらいの広さで、綺麗で都会的で無機質だ。滑らかに加工されすぎた硬い木のデスクの上には、入学早々に図書館から借りてきた本が、置きっぱなしになっていた。今の流行りらしい少女向けの小説と、学園都市内の商店街紹介雑誌である。


 明日返そうと本と雑誌を鞄の側に寄せて、歯を磨きに向かう。水回りが共有部なのは、やっぱり気が重い。


『私がいて良かったね?』

 頭の中のニヴァリスが、いつもよりも冗談っぽく笑う。

 うん。良かった。と声に出さないまま同意して、アイビーは洗面室に入った。

 幸いにして、いたのは大人しそうな子が二人だけだった。明日もこの時間にしてみようか。


 軽く髪をまとめながら、アイビーは目を伏せて、鏡を見ないことにした。


 ……ニヴァリスがいなかったら、アイビーは警戒と反証を続けられなかったかもしれない。

 アントニア・ウォーレイや精霊術師の街に住む魔女たちのことを、もっと縋って好きになっていたと思う。


『付き合う人は、選んだほうがいいよ。きっと皆、森の魔女ほど優しくないから』

 蛇口を捻ると、綺麗な水がたっぷりと出てきた。


第一章をお読みいただき、ありがとうございました。

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