1−5
「俺は錬金術師の三年生、グスタフ・スレイドだ」
「……はぁ……」
大柄で筋肉質な青年に、アイビーは仕方なく相槌を打った。今は、コンラッドの試合が良いところのはずなのだが。しかし微妙な反応を示すアイビーに、グスタフ・スレイドは憮然とした表情を浮かべた。
「なぜ話しかけているのか、わかっていないようだな」
わからないし、わかりたくない気がする。堂々と自分の都合で観戦の邪魔をすることを良しと思っている相手の言葉なんて。アイビーは内心苛立ちながらも、一応聞く姿勢を見せた。このまま無視したら、何をされるかわからないからだ。
「コンラッドを誑かさないでほしい」
はたしてグスタフ・スレイドは、そう言った。
「アイツはまだ一年生だが、素晴らしい錬金術の才能を持っているんだ。魔女のような女と関わらせて、堕落させるのは忍びない」
とりあえず、魔女は単なる流派であり魔法使いの祖型なので、もちろん男性もいるのだが――コンラッドが仲良くなったのが、もしも男性の魔女だった場合はどうするつもりだったのだろうか。
「悪いな、わかってくれ。魔女」
アイビーの脳内が些か脱線している間にも、まるでとても素晴らしいことを口にしたかのように、グスタフは満足げに笑った。別にアイビーは楽しい気分ではないのに。
ちらりと演練場に視線を向ける。歓声が聞こえる。エイデンの声が、試合終了を告げた。勝者はコンラッド・セルビー。
「……それは、コンラッドが決めることです」
アイビーは、自分の鞄を持って立ち上がった。なぜかアイビーの隣に置き去られているコンラッドの鞄も、それとなく掴んでおく。
「うん?」
「コンラッドが、どうするのかは、私が決めることではありません」
怪訝そうな顔で一歩近づいてきたグスタフに、アイビーはコンラッドの鞄も持ち上げて、一歩分後退った。
「君が離れればいいだけだろう」
「隣の席なので……無理です。私に話しかけてくれたのも、コンラッドのほうですし」
今ならわかる。コンラッドは、やっぱり、あのゴーレムであるアステルのために、賢者の石を造りたいのだ。だから魔女であるアイビーにすら話しかけた。どう考えたって、自分から進んで深淵に踏み込んでしまう人間だろう。そんなことも理解せずにアイビーのほうに異議を申し立ててくる人は、コンラッドのことを絶対にわかっていない。
だから、コンラッドのためなんて言葉はおかしい。
「……あなたは、そんなことを言えるほど、コンラッドに友人だと思われているんですか?」
グスタフが、苛立ったようにアイビーを睨んだ。
しかし、ふいに、観覧席の少し上を見ると、顔を顰めて踵を返す。
アイビーは困惑してグスタフが見ていたほうに視線を向けた。階段の上に、生徒会長シルヴェスター・オーデンが立っていた。しかも、こちらに近づいてくる。
「大丈夫だったか?」
シルヴェスターは去っていくグスタフの背を一瞥し、明確にアイビーを見てからそう言った。
「えっ?」とアイビーは困惑してシルヴェスターを見上げた。身長が高くて無駄に迫力がある。それよりも、今なんと。まさか心配しているのだろうか、魔女を。精霊術師の長の孫が。
「グスタフ・スレイドに、一方的に話しかけられていたように見えた。錬金術師三年の彼が、新学期早々、魔女である一年生の君に適切な質問を投げかけているとは思えなかったのだが……余計な世話だっただろうか?」
「いいえ……。助かりました。ありがとうございました」
おそらくシルヴェスターが来なければ、グスタフはまだアイビーに絡んでいただろう。怒らせてしまったから、けっこう危なかったかもしれない。
シルヴェスターは頷いて、困ったように眉を下げた。
「本来ならば未然に防がなければならないことだったが……難しいな。もしも何かあれば、俺でも生徒会メンバーでも信頼できる教師にでも、すぐに相談してくれ」
「え? ありがとうございます?」
良い人だ。アイビーは内心怯えた。まさかこの生徒会長は、魔女の新入生を相手に正義感を平等分配しているのだろうか。王道も極めれば変人になるのかもしれない。
「時間を取らせてしまったな。すまない、コンラッドのところに行ってやってくれ」
「え? あ、ええと」
「それはコンラッドの鞄だろう? ああ、演練場に下りる階段がわからないのであれば、案内するが」
「あ……わかります。その、ありがとうございました」
予想外の気遣いの連打に、アイビーは眉を寄せながらも微笑むことにした。まともな返答ができたとは言い難いが、きっと生徒会長に緊張する一年生らしい振る舞いにはなっただろう。
……果たしてシルヴェスター・オーデンは、無数の魔女の屍の上で自分の地位を得ていることに、気づいているのだろうか。
……受け入れて、なおも堂々と振る舞っている気がする。
アイビーは腹を立てることもできないままシルヴェスターをすり抜けて、コンラッドに鞄を届けることにした。
後ろ盾を何一つ持たない新入生の魔女にとって、三年生の大柄な男子生徒は普通に怖いのだ。
演練場に降りると、ちょうど出入り口付近にいたコンラッドが、アイビーに手を振ってくれた。
「なんでシルヴェスター先輩と話してたんだ? あっ、鞄持ってきてくれたのか! ありがとな」
「うん。ええと、錬金術師の先輩に話しかけられたの。それで、心配してくれたみたい……?」
駆け寄ってきたコンラッドに鞄を渡す。アステルはもう還ったようで、姿はなかった。
その代わりに、コンラッドの後方から、エイデンが近づいてくるのが見えた。アイビーの視点は、すぐさまそちらに固定された。
「あ、あのっ、おっおはようございますっ!」
「もう夕方だぞ、アイビー」
勢い余ったアイビーの挨拶とコンラッドのさりげない突っ込みを聞いたエイデンは、ゆったりと笑った。
「うん。おはよう」
「……っ……!」
アイビーは胸を押さえた。さっきまでいろいろあったような気がしていたが、いま決まった。今日はとても良い日だ。
「あああっ、あのっ、わ、わた、わたし……っ」
勝手に舞い上がっているアイビーに、エイデンが小首を傾げる。鮮やかな赤い瞳が、アイビーを映す。
それを見て、アイビーは一番聞かなければならないことを思い出した。
「え、エイデン先輩はっ、どんな魔術をお使いになられるんですか!」
「僕の魔術? 属性は、火と光だよ。火のほうが得意かな。それと、剣も使えるよ」
「かっこいい……あっ、その、素敵です!」
アイビーはうっかり素直な感想を呟いた口を覆った。暗殺のための情報を集めようとして、ただ惚れ直してしまうところだった。だって魔術師の中には、使役する妖精に命令をするだけで棒立ちの者も多いのだ。
「ありがとう。だから水属性への対策はしている、かな」
エイデンは、照れたように微笑みながら、左腕を水平にした。
「エリオス、来てくれる?」
エイデンの側でふわりと赤い光が灯る。それはすぐに鳥の形になって、エイデンの腕に止まった。
「……鳥……なんですね……」
まさか、呼んでくれるとは。アイビーは、小型の鷹のような大きさの、美しい赤の羽毛を持つ鳥の妖精を見つめた。襟や冠や尾が、柔らかな炎のように揺れている。明らかに火属性だとわかる彼は、金色の瞳でアイビーをじっと見てから、無言でエイデンに向き直った。どうやらあまり口うるさい性格ではないらしい。ゴーレムはともかく、大抵の妖精は人語か妖精言語を話すはずだが。
「……アイビー? なんか、大丈夫か?」
隣から、コンラッドが心配そうに聞いてきた。アイビーは、両手を胸元で握り合わせたまま呟いた。
「……大丈夫じゃないかも」
だってエイデンの側にいるだけで、なんだか頭がぼうっとして心地良い気分になれるようなのだ。
「私……エイデン先輩とお話しできて、今、感動でくらくらしてるみたい……」
「おいエイデンは引いてるぞ今」
コンラッドの辛辣な声掛けに、エイデンが苦笑する。
「早めに慣れてくれるほうが嬉しい、かな。くらくらされると、さすがにどうしたらいいのかわからない」
駄目だ、エイデンの言っていることが優しすぎて、なかなか正気に戻れない。
エリオスがふわりとエイデンの腕を離れる。そして軽く飛翔して、アイビーの肩に乗ってきた。
のっしりとした重みと共に、通常の生物よりも高い体温が伝わってきた。けれど、熱くはなかった。むしろ、温かくて安心する。
「エリオスも、君を気に入ったみたいだ」
「も……?」
エイデンの言葉にコンラッドが首を傾げたが、アイビーはそれどころではなかった。
「いいなぁ……」
「まあエリオスは、どう見ても協力的な火属性の妖精の中でかなり格上っぽいんだよな」
「ううん、そうじゃなくて……なんでもない」
アイビーは余計なことを言いかけて、ようやく我に返って口を噤んだ。エリオスのようにずっとエイデンの側で彼を守れたらなんて、うっかり思ってしまったのだ。




