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その日の放課後。
アイビーは、校内にある演練場に来ていた。
そこそこ広めの長方形の演練場を囲むように、階段状に立ち上がった観覧席は、主に錬金術師の生徒で三分の一程度が埋められている。魔女を除いて在校生は錬金術師が一番少ないはずだから、おそらく錬金術師の生徒は来場率が五割を超えている。魔術師と精霊術師は、データ収集に熱心そうな生徒がちらほらいた。数名の教師までいるようだ。
彼らにとっては放課後の貴重な時間を使って見るべき対戦カードなのだ。しかし、若干納得がいかない。
空いていた手前の観覧席から、向かい側に設けられている審判席を眺めながら、隣で意気揚々と準備をするコンラッドに向かって呟く。
「……ねえ。こういうのって、魔女の私が先にするイベントじゃないの?」
「いや、まだアイビーには仕掛けにくいだろ。得体が知れなさすぎて」
制服の袖を普段よりもさらにしっかりと捲り上げたコンラッドは、おそらく入学時に新調したらしい革靴から、かなり傷んだ防水性のブーツに履き替えている。
今朝の食事のあと、教室に向かいながら「そういや今日の放課後さ、三年の先輩に決闘を申し込まれてるんだけど、アイビーも観に来るか?」と事も無げに告げられた。意味がわからなかった。昼食のメニューは何だろうな! の話のあとに続けて振られるような話題ではなかったと思う。
学内での決闘は、規定の手続きを行ってルールを守れば、むしろ推奨されている。大人の社交クラブには、学生時代に五回以上決闘を行っていないと参加できない紳士の会まであるらしい。さすが戦うために魔女を迫害した術師たちだけあって、野蛮である。
「服は着替えなくていいの?」
そんな闘いごとを、真っ先に三年生の先輩に目を付けられてやることになったらしいコンラッドは、靴を履き替えたあとは腕をぐるぐると回して、適当な準備運動をしていた。
「んー、先輩も錬金術師だし、俺らが前に出て戦うことはないからさ」
首を伸ばしているのか傾げているのかわからない感じに身体を傾けながら、そんなことを言う。アイビーは審判席に視線を戻した。
「ああ、錬金術師の独自ルールね」
決闘には三つの方式があって、それぞれ合図と同時に戦闘を開始する時言戦、合図から十秒後に戦闘を開始する律術戦、戦闘準備を終えてから合図で戦闘を始める精錬戦がある。
言霊を操って即座に攻撃を開始できる精霊術師や、契約妖精の呼び出しに時間を必要としない魔術師などが行う、正式な決闘は時言決闘である。律術決闘は未熟な魔術師の戦闘訓練や、集団戦で採用されることが多いらしい。
そして、錬金術師は基本的にゴーレムの生成に時間が掛かる。だからこそ、錬金術師の腕前を競うのであれば精錬戦が基本となる。
「時間をかけて良いものを造るのが錬金術師だからな。まあ見てろよ、俺の錬金術の才能を!」
「そのつもりでここにいるのよ」
気楽そうにそう言って笑うコンラッドに、アイビーは極力模範的な回答を返した。
「だって審判がエイデンだしな?」
「さすがに錬金術師の戦い方を観に来たのよ」
コンラッドが呆れたようにアイビーを見下ろした。
「それにしてはさっきからエイデンのほうを気にしすぎだろ」
「……仕方ないじゃない。いらっしゃるとは思っていなかったんだもの」
審判席にいるエイデンは、慌ただしかったらしい朝よりも、きっちりと髪を結っていた。
それも隙がなさげで素敵だ。赤い瞳に飲み込まれすぎて細かい顔の作りは覚えていなかったが、クールそうな雰囲気とは裏腹に、穏やかとか優しげな甘さを持つバランスで整っていると思う。
あと、昨日コンラッドが言っていた通り、よく見たらローブも他の人とは少し違うデザインで、あまりにも優雅だと思う。
アイビーはコンラッドと話している途中で何度もエイデンに引き寄せられていた視線を、また無理矢理コンラッドに戻した。
「そろそろ時間? 頑張ってね、コンラッド」
「おう! 行ってくる!」
気合い十分、といった様子で、コンラッドが手を振って観覧席の階段を下りていく。
その背中に軽く手を振り返して、アイビーは頬を押さえた。
「……もしかして、今のは友達っぽかった?」
『……なんで浮かれてるのよ?』
「……えへへ」
頭の中のニヴァリスは呆れているけれど、気にしないことにした。昨日の朝は話しかけるなと思っていたはずなのに、朝も昼も放課後も友人ができたと浮かれている自分があまりにも単純すぎると思う。
でもこれは、コンラッドがお節介で面白いのが悪いのだ。
「――今から決闘の宣誓の儀を執り行う。サルマン・ストーン。コンラッド・セルビー。両者、指定の位置につくように」
エイデンの落ち着いた声が、演練場に響き渡る。
審判席の上に掲げられている巨大モニターには、演練場内の様子が四画面に分割して映し出されていて、観覧席の下にいるコンラッドの表情も多少見えていた。どうやら観覧席の手前にある機材が、演練場内の生命体や物質を、自動判別して撮影しているらしい。
反対側の入場口から出てきたサルマン・ストーンというらしい青年は、華やかなベストを着用していてネクタイには緑のピン――寮長章が付いていた。
サルマン・ストーンとコンラッドが、それぞれ演練場の中央に進み出て向かい合う。
「この決闘には精錬決闘が採用される。規定と勝敗は、パルマケイア魔導高等学校の決闘規則に則るものである。立会人エイデン・フラムスティードの見届けのもと、両者の誓いはすべて遵守される。……異論はないか?」
「ない」
エイデンの確認に、険しい表情のサルマン・ストーンが即座に言い放つ。どうやら審判席だけでなく、演練場内にも観覧席にまで届く拡声の魔道具が仕込まれているらしい。
「……ありません」
コンラッドは先輩を見上げ、少し躊躇うように頷いた。
「決闘は、両者の術式構築が終わったのちに、審判の合図により開始される。では、これより精錬の時間となる。――始め」
その指示の直後、頷いたコンラッドがゴーレムを召喚する。
「――《アステル》」
ほんの一瞬だった。
それは、瑠璃色の光を纏う黒髪を長く靡かせる、美しい女性の姿をしていた。
人が造り出したゴーレムというよりは、自然界の美しさに象られた妖精のような造形だった。上から下にゆったりと広がりながら濃紺を群青へと染め変える夜空色のホルターネックドレスからは、白く美しい腕がしなやかに伸びている。
その背に妖精らしい翅はなかったが、項から落ちるリボンの隙間から、滑らかに可動する骨と肉と関節を覆う、薄い肌の繊細さが窺えた。
アステルが、パッチリと目を開ける。輝かしい金色の瞳が、前方を見て、まだ召喚術式を組み上げている敵をじっと見て、くるりと周囲を見回して、コンラッドを見た。軽やかなドレスの裾が、ひらりと翻って空気を弄ぶ。足元はドレスと同じリボン付きの、踵が高い青のサンダルだった。
「……あれが、コンラッドのゴーレムなんだ?」
もっとこう、なんとなく暴れん坊な感じのゴーレムだと思っていた。アイビーは困惑した。コンラッドが、ちょっと歳上の綺麗なお姉さん派だったとは。
『あのゴーレムを造れるなら、この学校の錬金術師で一番強いのは、もうコンラッドじゃない?』
ニヴァリスが怪訝そうに呟く。
アステルはコンラッドに近づくと、にっこりと微笑んで、ぱちんと両手を合わせた。その手を開くと、右手には光り輝く金の花、左手には氷のように透き通った銀の花が乗せられていた。それをコンラッドに選ばせるように差し出して、柔らかな水面に花を落としたかのように、無音で笑った。
それでも、まるで彼女は生きているみたいだった。ゴーレムは、精錬術でただ必要な素材を組み合わせた人形のはずなのに、アステルは完全に自律して、そして、妖精魔法を使っている。
コンラッドが苦笑して金の花を指差すと、アステルは銀の花をパッと消して、金の花をコンラッドの制服の胸元に飾った。そしてちょっとだけ離れて、小首を傾げてコンラッドの姿を確認して、楽しそうに指で丸を作ってみせた。コンラッドは、困ったように眉を下げて、それでも嬉しそうに目を細めている。その姿はゴーレムとその主というよりは、まるで小さな弟を可愛がる姉のようだった。
それからアステルは、ようやくゴーレムの生成を終えた相手を振り返って――残酷なほど、つまらなさそうな表情を浮かべた。
相手のゴーレムは、全身に鋼の鎧を纏った、巨大な人形だった。時間を掛けて造れる一番強力なゴーレムを造り出したのだろう。
その光景を見て、アイビーは、ようやく理解した。
コンラッドは、アイビーがいなければ、この学校で一番特異な存在なのだ。だから、アイビーに話しかけてくれた。
コンラッド・セルビーは、おそらくゴーレムの生成に、本物の妖精の《核》を使っている。《核》は人間の魂のようなものだ。それを譲り受ける錬金術師も、使いこなせる錬金術師も、ほぼ存在しないから。
……だから、それを上手く使いこなしたくて、魔女に興味を持ったのだ。
「――ゴーレムを指定の位置へ」
エイデンの言葉に、アステルは頷いて前に出た。
「行け、《エクエス・カリュプス》」
相手がゴーレムに簡単な指示を出す。それは巨大な鋼の塊のようだった。兜と鎧を着込んだ騎士のような人形が、右手に大剣、左手に大槍を携えている。アステルの十倍以上の重量があるだろう。その大きさの人型ゴーレムを精密に動かせるのであれば、相手も相当優秀なのは間違いなかった。
相手のゴーレムが指定位置――演練場の中央線から左右に十五メートルずつ離れた位置に対峙する、術師の指定位置との中間の線――に立つ。
エイデンが制御装置に魔力を込めた。赤い輝きが演練場の周囲を駆け巡り、立ち上がった透明の防壁が審判席や観覧席と演練場内を隔てる。
「――決闘開始」
エイデンの声とともに、動いたのはエクエス・カリュプスのほうだった。まだその場に立ったままのアステルに向かって、素早く剣を振る。小さな姿が、剣に吹き飛ばされる。――そう思わせるだけの速度と迫力だった。
振り抜いた瞬間、アステルはそこにいなかった。代わりに飛び散ったのは砂混じりの水飛沫だった。アステルはエクエス・カリュプスの巨体の真裏に移動していた。対戦相手のサルマン・ストーンの真正面に立ち、ひらりと右手を振る。その足元が、いつの間にか水溜まりに――いや、演練場内のすべてがごく浅い水場になっていた。
先ほどコンラッドが真新しい革靴から防水ブーツに履き替えていた理由がわかった。
アイビーが納得している間に、アステルは微笑みながらサルマン・ストーンに向かって銀の花を差し出した。サルマンは苛立ったように跳ね除けるような仕草をした。当たり前である。アステルの頭上からエクエス・カリュプスの槍が落ちてくる。
銀の花が散る。その破片が光の粒子になってキラキラと舞い上がる。アステルは、コンラッドの前に立っていた。水を媒介に瞬間移動できる能力があるらしい。それは妖精の能力であり、ゴーレムの能力ではないはずだ。アステルは、自身の独壇場となっている広い水面を、トンとサンダルの爪先で揺らした。
エクエス・カリュプスの足元が凍りつく。
「えっ……?」
アイビーは一瞬困惑して、それから気づいた。今のは妖精の能力ではなく、錬金術師が与えたゴーレムの能力だ。混ぜられると若干ややこしいが、妖精は自分の存在理由に従って無から有を生み出し、錬金術師は有を別の物質へと変化させる。
水の妖精は水を生み出し、氷の妖精はそのまま氷を生み出す。水を氷に変えるような思考は、自然に直接は干渉できない人間の分野だ。
つまりコンラッドとアステルというゴーレムは、できることが多すぎるらしい。
足を止められたエクエス・カリュプスが、凍りついた地面に剣を振り下ろす。衝撃波とともに、剣に刻まれていた術印が輝く。飛び散る氷の破片が、軌道を修正されて、すべてアステルに向かう。――相手は補正が上手いらしい。それも大概な技能だ。
けれど、いつの間にかアステルの後ろに術印が刻まれた大鏡があった。コンラッドが造ったらしい。
「えっ、氷水と光を材料にして……?」
アイビーは身を乗り出した。アステルが光の粒を生み出す。星のような輝きが、水面と鏡に反射して、無数のものとなる。
そして――幾星霜の煌めきが。
「お前が魔女か」
「え? ……はい」
突然横から話しかけられて、アイビーは咄嗟に顔をそちらに向けた。誰かが近づいてきているのはわかっていたが、まさか試合中に話しかけられるとは思っていなかった。




