14-2
アイビーは、エミリーの後ろで「解散か……」と帰ろうとしたコンラッドの腕を掴んで引き止めた。意外と言うべきか、それとも納得すべきなのか、エミリーは「あの声、魅力的なのよね。羨ましい」と平然と呟いていた。
ようやく人がいなくなった通路を通って、下階に降りる。観衆も劇団長も、既にいなかった。シルヴェスターだけが膝をついて、心配そうにオフィーリアを起こしている。
「怪我は? 体調に問題は?」
「ありません。……お気遣い感謝いたします、シルヴェスター・オーデン様」
オフィーリアは、もう咳き込んではいなかった。拘束具もシルヴェスターに外されたらしく、シルヴェスターのローブを纏ったまま、優雅に礼をする。
「それから、助けていただいたこと、深く御礼を申し上げます」
「当然のことをしたまでです」
シルヴェスターは、立ち上がるオフィーリアを気遣わしげに見守っていたが、突然すっと目を逸らした。そのまま、近づいていたアイビーのほうを向いて、「さっきは助かった」などと真顔で告げてくる。
オフィーリアは、自分の白く張り付いたドレスを見下ろして、軽く顔を顰めた。
「あの……この場で魔法を使って、髪と服を乾かしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
シルヴェスターが頷くと、少女は静かに目を閉じた。
『――叶えて。私たちを暖めて、乾かして』
途端に、精霊たちがオフィーリアの願いを叶えようと、春風のように暖かな空気で周囲を包んだ。オフィーリアは、本物の魔女だった。それも、かなりの実力の。
シルヴェスターは、自分の長い髪がふわりと揺れるのを整えながら、嬉しそうに微笑んだ。
「暖かいですね。助かります」
「しばらくかかりますが、ご了承くださいね」
オフィーリアも頷いて、そっと風に包まれる髪を手で梳きはじめた。赤い髪がさらりと靡いて、赤い瞳が柔らかに細まる。
なんだかんだ冬に水中へ飛び込んだのは寒かったらしく、次第に顔色が良くなってきたシルヴェスターが、珍しくうっとりとした調子で問いかける。
「ところで……貴女は、元々その容姿だったと思うのですが、まさか普段は、他の姿に偽られていたのですか?」
「……へ?」
そう声を上げたのは、誰だっただろう。アイビーは、思わずオフィーリアの本来の姿だという少女をまじまじと見た。あの金髪で妙齢の美しい悪役女優の顔ではない。勝ち気そうな雰囲気は似ているが、全然別の可愛い顔立ちの少女だ。
「ど、どういうこと?」
オフィーリアも驚いたのか、シルヴェスターから一歩後退った。シルヴェスターが、露骨にしゅんと肩を丸めた。
「……あの、すみません。オーデン先輩は、まさかオフィーリア・ローズが、最初から今の姿に見えていたんですか?」
思わずアイビーは、横から確認した。
「そうだが……」
シルヴェスターは困惑した顔で頷いた。それから、弱ったようにオフィーリアを窺う。
「まさか、何らかの魔法で容姿を変更されていたのですか? 申し訳ありません。私は、そういう幻覚の類いがほぼ効かない体質らしく……」
「は……?」
アイビーには何一つシルヴェスターの言っていることがわからなかったが、それでも一つだけ腑に落ちた。劇場でシルヴェスターが抱えていたピンクの薔薇の花束は、目の前の可憐な少女に合わせて選ばれていたものだったらしい。
「……じゃあ貴方は、やっぱり私が貴方好みのオフィーリアだから助けたんですか?」
オフィーリアは動揺したように呟いた。途端にシルヴェスターがきょとんとした表情になる。
「貴女が魔女で無実だから助けるべきだと考えたのであり、私が個人的に貴女を素晴らしい舞台女優だと思っていることとは無関係ですが、それが何か……?」
「わぁ……」と、アイビーの隣でエミリーが呟いた。「九十点」エミリーのハードルは高いらしい。
「……クレアです。クレア・セイン。私の本名。オフィーリアは偽名です」
オフィーリア――クレアは、そう言ってシルヴェスターを見つめると、泣きそうな顔で微笑んだ。
「殺された、あなた方の言うエイデン・フラムスティードは、私の実の兄でした。私は、赤い鳥の妖精を連れているという噂のエイデンが、もしや自分が生き別れた兄ではないかと思って調べていたために、兄の死後に不審な動きをしていた者として劇団員たちに通報されて、そのまま魔女の血筋だと知られてしまったのです」
アイビーは目を伏せた。「……やっぱり、そうだったんですね」
印象的な赤い髪も、近づいて見えた赤い瞳も顔立ちも、クレアには明らかにエイデンの面影がある。
しかしシルヴェスターは、驚いたように目を瞬かせた。
「そうだったのか?」
クレアも首を傾げる。
「そういえば、私の顔が見えていたくせに、なぜ気づいていなかったのですか?」
「その……舞台化粧が……濃くて……」
珍しくシルヴェスターが言い淀み、そして開き直ったように真っ直ぐに言った。
「それに、エイデンはもっと穏やかな顔立ちでしたので」
「……わ、私の顔に文句つけてます?」
クレアは、ぐっとシルヴェスターに向かって身を乗り出した。シルヴェスターが珍しく頬を赤くして慌て始める。
「違います! 貴女の凛々しい顔立ちは魅力的です! ただ、もちろんエイデンの顔立ちに魅力がないわけではなく、友人として好印象だったというだけで……?」
「……あの、すみません。そろそろよろしいでしょうか」
アイビーは、二人にそう声を掛けて割り込んだ。こちらもあまり時間がないのだ。
「ええ」クレアは、鮮やかな赤い瞳で、アイビーと、その横に現れた不死鳥を見た。
「どうしてエリオスが、あなたの側にいるの? 事情があるなら、説明して」
「……そうか。……まだ、間に合う可能性はあるのか。……よかった……」
シルヴェスターが、噛み締めるように呟く。その隣で、クレアは感情の行き場を失ったように座り込んだ。
「……私、お兄ちゃんにまた会えるの……?」
「棺の中がどうなっているのかは未知数だけどな。でも、俺とアイビーでなんとかできると思う」
アイビーとともに説明をしてくれたコンラッドが、そう言い添える。
アイビーは、俯いたまま頷いた。自分の罪深さと我が儘さは、何度話しても申し訳なくなる。
「エリオスが正式に歌うまでは間に合うはずよ」と、エミリーがアイビーの肩を叩いた。
「今からコンラッドの家に移動して、しっかりと計画を練りましょう? 闇雲に動くよりは、明日を決行日にしたほうがいいと思うわ。タイムリミットは怖いけれど、他の誰かが犠牲になっても意味がないし、たぶん誰か一人が捕まれば、総崩れする計画だもの」
「ありがとう、エミリー。でも……オーデン先輩。私たちは、先ほどパターソン先輩に攻撃されました。だから、魔女狩り派の人たちは、私のことを探しているかもしれません。それと、ケラウノスがまたパターソン先輩の手に渡っていて、さらにウルフガルという人工妖精も増えていました」
シルヴェスターは眉を寄せた。考えるように顎に手を添えて、軽く頷く。
「……そうか、わかった。ケラウノスに関しては、学内監理局の不手際で、再び行方不明になっていたとは聞いていたが……その使役者がロマンスで変わらないということは、もう魔女狩り派にまともな指導者も実力者も残っていないということだ。……元々あまりいなかったんだがな。構成員のほとんどの者よりも、ロマンスのほうが優秀だったはずだ。だが、高校生に一番強い妖精を預けられる器量の者もいなかったんだ」
シルヴェスターは、そう言って肩を竦めた。ロマンス・パターソンの実力は、シルヴェスターも認めるものであったらしい。
「だから、今はよほど追い詰められているのだろう。……もう、ファルメール派で表立って動いているのは、ロマンスだけの可能性もある」
「え……じゃあ、あの人は何のために頑張っていたんですか?」
アイビーは思わず呟いた。それならロマンス・パターソンは、誰のために、誰に認められようとして、一番側にいる味方から顔を背けていたのだろう。
「……そんなの、私と同じみたい……」
「違うでしょ。アイビーは、エイデンもロマンスも現実で殺そうとしなかった。大きな違いだよ」
間髪入れず、エミリーにぎゅっと両肩を掴まれて諭される。
「……うん」
周りに期待されていれば。エイデンのことが好きでなければ。――そのとき自分がどうしていたかなんて、今は考えている場合ではないのだ。




