14-1
以前来た立派な劇場や、美術館などが並ぶ大通りから、走って五分。夜は華やかな歓楽街であるらしい区画は、昼間に来る場所ではないとでも言いたげにゴミが散乱していた。
すえた臭いと汚い建物に、アイビーは顔を顰める。
「本当にこっちであってるの?」
「そもそもなんでコンラッドが歓楽街の位置を知ってるのよ!」
「俺だって、先輩に聞かされただけだからっ、全然知らないって、こんな場所!」
そう叫ぶとおり、走っているせいだけではなく顔が真っ赤になっているらしいコンラッドは、大通りからの方角を教えてくれたあとは、キョロキョロしながら一番広い道を走っているだけである。
しかし、それで問題はなかったらしい。曲がりくねっていた道の前方に、妙な人混みが見えてくる。他の道にはほとんど誰もいないのに、その場所にだけ人が集まっていく。
古代の温泉施設を、かつて魔女たちが改築して水の妖精のための憩いの場にしていたというその処刑場は、歓楽街の外れに、古い街並みの一つとして溶け込んでいた。
「えっと、ごめんね二人とも、私、ちょっとだけ先に行くね!」
普段から体型を整えるためだけに運動しているらしいエミリーと、研究のためだけに体力を消費しているコンラッドが、少しずつアイビーの後方に下がっていく。
アイビーは二人よりも先行することにして、その建物の中に駆け込んだ。
入り口のホールを抜けると、そこは回廊のようになっていた。長方形の枠のような壁と通路の中央が抜けていて、人々は柵を掴み、一様に地下階を覗き込んでいる。アイビーは詰めかける人々を掻き分け、なんとか前方の隙間に潜り込んで、皆が見つめている場所を見た。
そこは広い池のようだった。長方形に掘り下げられたプールのような場所が、深く青い水に満たされている。水は入れ替えたようだが、周囲は長く手入れがされていなかったのか、苔や蔦が生えていた。そのプールの脇にも、観衆が押し寄せている。
そして、彼らよりも一段高い位置に、魔力封じの拘束をされた少女が立たされていた。少女は赤く長い髪の一部を編み込み、その間に花冠のように白薔薇を挿していた。そして着ているのは、豪奢な白のドレスだ。
寂れて蔦が絡んだ古代様式の水辺に佇む、美しい姿の少女。それはまるで、亡国の王女であるかのようだった。
彼女を嘲笑う観衆たちも含めて。
「――オフィーリア・ローズは魔女である!」
少女を捕らえている奇抜な身なりの男が、芝居がかった調子で叫ぶ。
その瞬間に、罵声にも満たない楽しげな咆哮が、そこかしこから響いた。
アイビーは、両耳を抑えながら困惑した。――オフィーリア・ローズ? でも、姿が違う。
「彼女は姿を変えて劇団に入り込み、人々を欺き、そして――魔術師フラムスティード家の嫡子を殺害した!」
男は大袈裟に手を動かしながら、周囲を煽った。その瞬間、猿轡を噛まされている少女は身を捩って頭を振った。私はやっていない、と言いたげに。
「……私のせい……」
アイビーは、唇を噛み締めた。けれど、どうやったら彼女を助けられるのだろうか。代わりに名を挙げても、彼女は見逃されることはなく、アイビーともども纏めて殺されるだろう。魔女とはいえ、死刑の執行にこれだけの観衆が集まっているなんて、思ってもみなかった。
「悪女を殺せ――!」
誰かが叫ぶ。途端に蜂の巣でも突いたかのように、罵声が四方八方から飛び交う。
「やっぱり魔女だった!」
「俺たちを騙した魔女を始末しろ!」
「魔術師殺しを許すな!」
「オフィーリアを殺せ!」
奇抜な身なりの男が、その声に応えて座長のように一礼をする。そして、オフィーリアの腰縄を引いた。よろけたオフィーリアのドレスに隠れた足元で、じゃらりと鎖の音が鳴る。
けれど。オフィーリアはそのまま、ふわりとドレスのスカートを翻した。手足の拘束具の重みを感じさせない足取りで、引き摺ろうとした男よりも前に出ると、そのまま踊るようにプールに落ちた。
「……え?」
一瞬、観衆のすべてが沈黙した。そのあいだに、オフィーリアは一切抵抗することもなく、仰向けに沈んでいった。オフィーリアの白いドレスが水面に広がって、すぐに水を吸って落ちていく。少女の赤い髪に飾っていた白薔薇が外れて、冷たい水面に咲き誇る。
「あ……」
アイビーは、真っ白になった頭で、反射的に周囲一帯の植物に魔力を注いだ。今すぐにオフィーリアを引き上げなければ――
『道を開けてくれ!』
聞き覚えのある声が、後方から聞こえた。アイビーの周囲にいた観衆が、弾かれたようにその場を離れる。
振り返りかけたアイビーのすぐ横を、青い人影が走り抜けた。長い手足が手摺りを軽々と乗り越えて、ひらりと下階に落ちていく。
「…………えっ?」
彼は空中で姿勢を変えて、頭からプールに消えた。トプンと水面に僅かな泡が立ち、波が輝く。幽玄の世界に沈もうとする白いドレスを、青い精霊術師の儀礼ローブが追いかける。
そして――シルヴェスター・オーデンは、魔女の少女を抱えて、自身を拒まない水中から浮上した。
「っ……水を吐いてくれ! 頼む!」
周囲の誰にも構わずに、シルヴェスターは腕の中のオフィーリアに向かって叫んだ。必死に猿轡を取り去ると、オフィーリアは苦しそうに咳き込みはじめた。
「……良かった……」
安堵した声で、シルヴェスターは水を吐くオフィーリアを肩口で支えると、ようやく顔を上げた。
アイビーは、シルヴェスターがわかるように、建物に絡んでいたアイビーの蔦を、数本束ねながらプールの中に伸ばした。
シルヴェスターはすぐに自分に近づいてくるアイビーの蔦に気づくと、周囲を見回して二階にいるアイビーを見た。軽く頷いて、アイビーの蔦に掴まる。
シルヴェスターは、そのまま奇抜な身なりの男性のほうに上がろうと動いた。アイビーは蔦を引き寄せて、そちらに向かえるようにした。
「何をなさっているのですか? いくらオーデン家のご子息といえど、このように魔女を助けるような行いは……!」
奇抜な身なりの男性が、シルヴェスターとオフィーリアに近づく。しかしシルヴェスターは、男性の顔は見ずに、そっと腕の中のオフィーリアを横たえようとして、一瞬だけ固まった。それから自分の濡れたローブを脱いで、まだ苦しげに息を吐くオフィーリアに纏わせる。
「俺は、シルヴェスター・オーデン個人の名前で君の劇団を支援していたのだがな。覚えてもらえていないようで、残念だ。現トワイライト・パラゴン劇団長殿」
周囲は静まり返って、シルヴェスターの動向に注視していた。その中で、シルヴェスターは堂々と立ち上がると、煩わしそうに髪を掻き上げながら、ようやく劇団長と呼んだ男性に向き合う。
「こ、この者は、魔女ですぞ! いくら貴方が個人的にお気に召していた女に変装していた娘とはいえ、お戯れが過ぎる!」
「君は、個人的に気に入った女性を不適切に贔屓するのかもしれないが。なぜ俺も同じだと思ったんだ?」
シルヴェスターは心底呆れたように告げた。
「それに、無実の魔女よりも、無実の魔女に濡れ衣を着せて処刑しようとする者たちのほうが、よほど罪深い」
「し、しかし、その娘は、オフィーリア・ローズという名前で我が劇団に潜り込み、エイデン・フラムスティードを殺害した魔女で……!」
「彼女がエイデン・フラムスティードを殺した証拠はあるのか?」
「彼女は……魔女で……」
劇団長の声が、まだ若い青年に気圧されたように小さくなる。
しかしシルヴェスターは、微塵にも嬉しそうな顔はせずに告げた。
「エイデンは……自殺だ。私の手元に遺書が届いている。間違いなく、彼の筆跡と魔力痕だった」
アイビーは、その瞬間に手摺りを飛び越えたくなって、目を閉じた。エイデンは、本当にシルヴェスターを信頼していたらしい。
「それに、君たちが身元不明の少女たちを人攫いから買って、戸籍を偽造していたことは調べがついている。魔女も君が自ら不当に買ったんだ。……非常に残念だよ、劇団長。あなたの称号は、すべてなくなってしまいそうだ」
シルヴェスターの声に、怒りが滲みはじめる。本人も気づいているのか、一呼吸を置いてから、張りのある声で周囲に向かって叫んだ。
「それと、あらかた目星はついているが……誰が彼女を犯人だと断定して、この場での処刑を決めた? 『手を挙げろ』」
途端に一人の紳士的な身なりの人物が、アイビーからそう遠くない位置で手を挙げた。
「ああ、クラリッサ・スターリングのパトロンね。単純すぎるわ」
いつの間にか、アイビーの隣にエミリーが来ていた。
「皆は、この場で無実の少女を溺れ死なせるために集まっているのか?」
シルヴェスターは手を挙げてしまった紳士風の男性や、その周囲を睨み、深くため息をついた。そして、館内中に響く『声』で命じた。
『彼女は犯人ではない。無実の者を出自などで殺すべきではない。彼女は見世物ではない。……解散してくれ』




