13-3
先ほども通った駅までの綺麗な道を、早足で歩く。
「それにしても、エミリーって結局なんでアパートを持っているの? エミリーの学校も、全寮制だよね?」
アイビーは、人目を気にしながらもやっぱり気になって首を傾げた。
「そうだけど、いろいろ隠したい物が多いからね。私がフラムスティード家の人間だった名残とか……髪もこっそり染めていたし。休みの日には、あの駅からお父様に会いに行くことも多かったのよ。だから都合が良かったの」
エミリーは苦笑して、目的地である駅を指差した。
「なるほど……?」
アイビーは戸惑いながら頷いた。「でも、それで借りられるんだ……?」
エミリーはくすくすと笑った。
「ああ、あれね。私が貸しているほう」
「え?」
「あのアパート全体が、私が所有してるアパートでね。私用に残してるのはあの一室だけで、他の部屋は他の人に住んでもらっているけれど……だから、外泊届を出せば済むのよ。学校側に寮と週末アパートと、二ヶ所も居住申請するのは面倒でしょ?」
「へ」
「うわぁ……すげぇ懐かしい感じする……」
戸惑うアイビーの横で、コンラッドが頭を抱えて呻く。でもその声は、かなり嬉しそうだった。確かに、幼馴染みがエミリーなら、今のエイデンの優しさとはかなり味が違ったことだろう。
「もちろん、大元はお父様のお金よ? でも娘への生活費とお小遣いと慰謝料とか……そういうのだから。お父様の罪悪感とか見栄とかにかこつけて、遠慮なく貰えるだけ貰って、投資のお話とかを聞いて、手続きを手伝ってもらったりしていたの。別に本物の娘だし」
「えっと、うん……」
その結果が、アパートの所有者とは? アイビーは混乱しながら、すれ違う人たちをこっそりと見た。ぴしりと重厚なローブを纏った、いかにも優秀そうな魔術師の男性が、ちょうど似たような他のアパートの玄関に入っていった。……まさかあの人も貸している側なのだろうか?
首を傾げつつ、駅前の公園まで戻ったときだった。
「どこに行くつもりだ?」
前方に、ロマンス・パターソンが立っていた。
「……ちょっと、まさか私の家を知っていたの? ストーカー?」
エミリーが、アイビーを庇うように前に出る。ロマンスの側にいた煤色の妖精シリウスが、ゆっくりと首を横に振る。
「僕が空から視たんだよ。元々、君たちが親しいことを、僕らはわかっていたから。邪魔をしてごめんね」
ロマンスが、苛立ちを抑えるかのように長くため息をつく。
「……お前には興味ない。犯罪者を匿ったことは見逃してやるから、早くアイビー・エインセルを引き渡せ」
「……っ」
アイビーは素早く周囲を見回した。エミリーがムッとしたように腕を組む。
「犯罪者は貴方たちのほうじゃないの? 貴方たちが魔女を殺すのが正しくて、魔女が貴方たちの罪から他人を助けようとするのが犯罪? 笑わせるわね。虚構の王子から愚王気取りに変わったのかしら」
「それは、どういう……?」
シリウスが困惑した反応を見せる。しかしロマンスは、冷めた目で言い放つ。
「……どちらにせよ、安全圏から石を投げる市民には慣れている立場だな。――《ケラウノス》。やれ」
ロマンスの前に、強大な雷の妖精ケラウノスが現れる。不愉快そうな顔をしながらも、手にした鉾を打ち鳴らす。
『お願い、助けて!』
アイビーは咄嗟に近くの木の枝を三人の頭上に伸ばした。バキンと音がして、落雷を受けた細かな枝が降り注ぐ。
レヴィヴィスとアステルが現れて、エミリーとコンラッドをそれぞれ庇う。
「《レヴィヴィス》、手伝って!」
エミリーの言葉に、レヴィヴィスが嬉しそうに微笑んで、剣を構えた。
「ああ、そいつに乗り換えたんだったな」
ロマンスが、呆れたようにレヴィヴィスを見た。そして、新しい妖精の名前を呼んだ。
「《ウルフガル》。お前の相手だ」
瞬間、黒衣の騎士の姿をした妖精が現れた。大剣を持った騎士アシェル・ウルフガル。しかし高名なブルーベルの騎士は、人間だったはずだ。
「――っ!」
妖精ウルフガルが、レヴィヴィスに斬りかかる。通常の二倍の厚みを持つ大剣を軽々と振り回すウルフガルに、レヴィヴィスは斬り結ぶことができずに身を躱した。
「レヴィヴィス!」
エミリーがウルフガルに火の魔術を放つ。それを剣で払ったウルフガルの死角からレヴィヴィスが斬りかかり、しかしそれもウルフガルの厚い籠手に弾かれる。
「どうしてケラウノスさんをまた使っているんですか!」
「俺だって別に使いたくはねぇよ、こんな傲慢な妖精」
ロマンスが顔を顰める。
「でも、俺しか使える奴がいないんだよ」
「だったら使わなきゃいいじゃないですか……!」
雷撃が落ちる。それを枝で受け流す。
「騒ぎが大きくなる! アイビー、逃げたほうが……」
コンラッドが叫ぶ。けれどアイビーは、ケラウノスの攻撃を阻むのに精一杯だった。
「だめ、あの雷の妖精は、強すぎるから……っ」
隙がなくて逃げ切れない。それに、先ほどから視界がじわじわと暗くなっている。ロマンスか雷の妖精か、それともシリウスの力だろうか。わからない。アイビーが雷撃を受けさせた木々の残骸が散らばる。アステルはコンラッドを守りながら、アイビーやエミリーの状況を見て適宜障壁を展開してくれていた。それでも悔しそうにしている。基盤が水属性の彼女は、雷には強く出られないのだ。
けれど、このままでは消耗する一方だ。
「……どうにか……しないと……っ、きゃっ!」
雷の妖精が落とす落雷が、一際強く輝いた。
目が眩む。アイビーが僅かに視界を失った瞬間、すかさずロマンスは魔術を放とうとした。
それを、ふいに現れた不死鳥が牽制する。
「……エリオス! ありがとう……っ、お願い、手伝って!」
アイビーは自分の体内魔力の均衡を確認しながら叫んだ。雪属性の魔法を使わなければ、今ならエリオスの加護にも少しは耐えられるらしい。
「お前、なんで魔女についているんだ?」
ロマンスが目を見開く。
「エイデンを殺した相手に、乗り換えたのか……?」
「……違います! 私はエリオスを、託されたんです! エイデン先輩が……死のうとする前にっ……だから、っ……!」
息が上がる。呼吸が浅くなる。エイデンを死なせたくない。殺したくなかった。だから、今こんなところでこんなことをしている場合ではないのに。
「私には、まだやらなきゃいけないことがあるんです! 通してください!」
「へえ? どんなことを?」
ロマンスがふと攻撃を緩める。けれどアイビーは、躊躇った。
――エイデン・フラムスティードの遺体を盗み出して、魔女と錬金術師で蘇生する。傍目には、そう思われても仕方のないことをする。けれどエリオスは歌ってなくて、だからエイデンが死んでいないはずで――でもそれを訴えて、この人は信じて攻撃を止めてくれるだろうか――?
「それは……っ」
「なんだ、言えないようなことか。戯言で時間を取らせるなよ」
呆れたように、ロマンスが攻撃を再開する。雷鳴が酷く鳴り響き、頭上から落雷が降り注ぐ。
「くっ……!」
後ろから、コンラッドがアイビーの腕を引いた。
「アイビー、こっちに」
「待ってコンラッド! 何を」
なぜかロマンスたちに背を向けて走り出したコンラッドに、アイビーは戸惑った。エリオスやアステルは、今もロマンスやケラウノスの攻撃を止めてくれている。エミリーやレヴィヴィスもウルフガルと交戦を続けている。
「作戦を考えた」
「え?」
走りながら、コンラッドは小声で叫んだ。
「俺たちの火力じゃ、ロマンスとあのケラウノスって妖精には攻撃が通らない。だから、ケラウノスの攻撃を、ロマンスにぶつける!」
「どうやって?」
少し下がった場所で立ち止まり、コンラッドは険しい顔で説明する。
「今からアステルの力で地面に氷の反射鏡を張る。俺たちの足場は感電しないように。だからアイビーは、蔦とエリオスを使って、ロマンスのほうだけアステルの氷を溶かしてほしい」
「……わかった」
アイビーは少し躊躇ってから頷いた。いくらアステルが水鏡と氷の反射能力を持つとはいえ、少しでも氷の維持を失敗すればどうなるか、などとは言っていられなかった。
「ロマンスはケラウノスと契約してるから、多少のことじゃ死にはしない……と思う。あの攻撃を仕掛けてこない妖精もいるし……」
「……うん。あの妖精は……周囲が被害を受けないように、なにかして守ってくれているみたい」
シリウスは、いったいどういう妖精なのだろう。おかげで、周囲の騒ぎはようやく大きくなってきたばかりだった。
「じゃあ、行くね!」
アイビーは、ロマンスのほうへ駆け出した。その直後、コンラッドとアイビーを庇っていたアステルが、落雷を受けて弾き飛ばされる。
コンラッドが叫ぶ。
「アステル! ごめん、地面を凍らせてくれ!」
倒れたアステルが、地面を水浸しにする。そして落雷を水が受ける前に、すぐさま水面を凍らせた。雷が、天地を逆さにして上へ還っていく。
「アイビー、頼む!」
コンラッドがそう叫んで、アステルに駆け寄る。アステルの右腕が外れかけて、美しい皮膚の中の、機械的な構造が見えていた。
あれでは長く氷面を維持できないだろう。
「わかった……っ!」
絶対に、アステルとコンラッドのほうに攻撃を通してはいけない。アイビーは周囲の木々を見回した。ブラックベリーの生け垣が目に留まる。
「……妖精とゴーレムを盾にして逃げるつもりかと思ったが……人が増えてきたな。ケラウノス、さっさとソイツを殺せ」
ロマンスは濡れた足元を嫌がるように、靴をコツコツと鳴らして、地面に透明な結晶めいた障壁を展開した。そして周囲を軽く見回して、苛立ったように告げた。
「っ、私のことは殺そうとするくせに、周囲の人の安全は気にするんですね」
「当然だろう。それが魔術師だ」
「……その妖精を道具で支配しているのも、魔術師だからですか。だったら貴方のように生きても、なにも羨ましくない」
アイビーは息を吸い込んだ。
「エリオス! ケラウノスの拘束具を狙って!」
エリオスに向かって叫ぶ。エリオスが炎を纏いながらケラウノスの喉元に突っ込んでいく。
「ケラウノス、その鳥を撃て!」
『お願い、エリオスを守って!』
アイビーは生け垣のブラックベリーに向かって走った。
棘のある枝が、ずるずると溶けかけた氷の上に枝分かれしながら広がって、その一枝がエリオスの頭上に伸びていく。雷雲が重い音を響かせる。
『あの人を掴まえて!』
濡れたブラックベリーの枝が、ロマンスに絡んだ。
その直後、アイビーは、生け垣から無理やり伸びたブラックベリーの根元の枝に向かって、短剣を振った。ロマンスに絡んだブラックベリーの若い枝が、本体から切り離される。
ブラックベリーの枝を外そうとしたロマンスが目を見開く。ケラウノスの雷雲が、妖しく輝く。
「……ケラウノス! 待て……っ!」
ケラウノスが、残酷な王の顔で唇を歪めた。
エリオスが氷の地面を溶かすように滑空する。雷撃が、エリオスよりもまだ高い位置にあるブラックベリーの枝に落ちる。
雷を落とされたブラックベリーの枝が、その痛みをロマンスに伝えた。
「……ぐっ……!」
ロマンスが苦痛の声を上げて倒れ込む。
「アイビー、大丈夫かっ?」
コンラッドが駆け寄ってくる。アイビーは、エリオスを腕に止まらせると、ロマンスを睨みながら頷いた。
「私は平気。エリオスも。……エミリーたちは?」
「騎士が止まってる。ロマンスが負傷して、命令が上手く機能していないんだと思う」
ロマンスが起き上がろうとして、苦しげにまた崩れ落ちた。それでも顔を上げて、近くに立つ雷の妖精を睨む。
「……ケラウノス、お前……っ」
拘束具にまみれた雷の妖精は、嘲笑うような目で使役者を見下ろしていた。
「……ロマンス。もう止めよう。負傷しているんだろう?」
シリウスがロマンスのほうに近づいて、周囲を見回す。ロマンスが縋るようにシリウスの靴に触れた。それでようやく彼はロマンスの居場所がわかったらしく、しゃがみ込んでロマンスの上体を支え起こす。
「……エイデン・フラムスティードを殺した魔女が、捕まったんだ」
「え?」
アイビーは困惑した。シリウスは光のない瞳でアイビーのほうを見る。
「今日の正午に、文化区裏の歓楽街の先にあるかつての魔女の処刑場で、まともな裁判もなく私刑にされる。今朝決まったことだよ」
「……シリウス。余計なことを言うな」
「アイビー・エインセル。もしも君が犯人なら、彼女は無罪だ。ロマンス、君だってそう考えて急いでいたんだろう?」
「……そんなことはない。魔女なんて全員……」
ロマンスが、そこで言葉を区切り、疲れたように目を閉じた。
「消耗しすぎだよ。いくら君が魔力操作と魔導具の扱いが上手いといっても、ケラウノスとウルフガルを同時に出すなんて無理をしすぎだ」
エミリーが近づいてきて、アイビーの手を握った。
「アイビー、今のうちに行きましょう」
「うん……」
アイビーは頷いて、エミリーに手を引かれながら歩き出した。
「待ってくれ……ブレーウェン……」
黒衣の騎士妖精が、エミリーに寄り添うレヴィヴィスを見て呟く。
「……私は貴方のブルーベルじゃないよ。もうレヴィヴィスだもん」
レヴィヴィスは、ムッとした声で黒い騎士の妖精に答えた。
「レヴィヴィスって、本当にブルーベルの騎士のブレーウェンがモチーフだったのね。なぜかブルースターと呼んで自分の騎士扱いした人のおかげで、かなり逞しくなったけど」
「あのウルフガルって、直接的に人間をモデルにした人工妖精ではないんだな。物語の再生から抽出したのか」
レヴィヴィスの様子を見たエミリーとコンラッドが、そんな感想をこぼす。
戦闘行為が収まったからか、遠巻きだった人々が、じわじわと周辺に集まってきていた。
「あれって噂の魔女じゃないの?」「でも敵対していたのはロマンス・パターソンだろ? あっちが悪いんじゃないか?」「そりゃ魔女狩り派の残党だもの。適当な理由をつけて魔女狩りくらいするわよ」
そんな声が聞こえた。
「エイデン・フラムスティードを殺したんじゃなかったの? なんでこんなところに?」「その犯人はもう捕まったってさ」「あれ、コンラッド・セルビーだよな? じゃあ、あっちが正しいんじゃ?」「ゴーレムで妖精を作ろうとしてるおかしな子でしょ?」
口々にそう囁きながらも、アイビーたちを止めようとはしてこない。
「……他の人が捕まったから、ロマンス以外はアイビーを追ってこなかったのね」
エミリーは深くため息をついた。
「最近さ、アイツ調子に乗りすぎじゃね?」「いいよな、ネリリンのお下がりの妖精をもらって喜んでいるような、実力のいらないお嬢様は」
そんな声を無視して、黙っているアイビーに気遣わしげな声を掛ける。
「ねえアイビー、大丈夫?」
アイビーは、小さく頷いた。本当は、あまり大丈夫ではなかった。
「……助けに行かなきゃ……私のせいで、また魔女が死んじゃう……」
「そうね。行きましょう」
エミリーが、そっと足を速めた。




