12-5
「アンタに来客があってね。話し合う必要があるかと思ったんだ」
回廊を渡りながら、マーガレットはそう言った。そして連れられてきたのは、魔女たちの団欒の場よりも天井が高い場所だった。おそらく、かつては修道院の礼拝堂だったのだろう。その入り口に、一人の女性が立っていた。
「……シンシア」
母コーデリアだった。
「……お母さん……」
シンシアは少し戸惑って足を止めた。そんなシンシアに構わず近づいたコーデリアが、ぎゅっと大切そうにシンシアの身体を抱き締める。
「よかった……私、あなたまで喪ったのかと……」
「お母さん、どうしてここに?」
「あの教師に聞いたのよ。あなたをここに匿ったと……以前、精霊術師の都市で、抵抗軍への連絡先を貰っていたの。それを、あなたに何かあったときだけは、あのハーフの教師も使えるようにしていいかと許可を貰って……繋いでおいてよかったわ……本当に……」
「……そうなんだ……」
ベネディクト・アッシュフォードは、そういうところは律儀らしい。たぶん、家族や教師といった役割に、理想の型があるのだろう。
シンシア・ヘイズが精霊術師から命じられて、同世代の少年の暗殺を担うことは、気にしていないようだったのに。
「ごめんなさい。あなたに負担をかけ続けていたのね……私、精霊術師たちを、利用し返すことばかり考えていたわ……」
コーデリアは苦しそうに呟く。
シンシアは、そっと母親の背に腕を回した。
――コーデリア・ヘイズは、とても愛情深い人間だ。
街を追われた魔女の子供として、森で魔女狩りに怯えながら生まれ育ち、それでも学んで森の研究者となり、優しい同世代の天体観測士の父と結婚して子供を産み育てた。努力を重ねて健康と運と才能には恵まれて、日に日に減り続ける魔女たちが望める中では、最大値に近い幸せを得たはずだった。
けれど、その時間も十数年で奪われて、あとは周囲の魔女が全滅した森で、頼る当てもなく幼いシンシアを育てながら、収入を得るために自分を利用する精霊術師を頼った。そんな人生で、夫たちを奪った魔術師への復讐を心の支えにして生き延びてきた母を、シンシアは絶対に嫌いにはなれない。
だってシンシアも、母と同じ立場であれば、きっと同じことをする。同じことをしようとしても母ほど上手くはできないとも思う。
それでも。
「マーガレット様たちは、これから西に向かうそうなの。もうすぐに移動するから、あの教師を中に入れてくれたのね。私たちもついて行ってもいいと、許可を頂いたわ。ちゃんと精霊術師との繋がりは、全部燃やしてきたの。だから……森の家には、もう帰れないかもしれないけれど……生きていけるわ」
コーデリアは一つ一つ、噛み締めるように告げた。
けれどシンシアは、しっかりと首を横に振った。
「あのね、お母さん。私は、お母さんたちとは別行動するね」
「え?」
コーデリアが弾かれたように顔を上げて、シンシアを見つめる。シンシアは微笑みながら、そっとコーデリアから手を離した。
「エイデン先輩は、まだ生きているの。だから、助けに行く。お母さんは、ベリル様と一緒に行って」
「……エイデン・フラムスティードが? どうして……? シンシアは、どうしてその子を助けに行きたいの……?」
コーデリアの蜂蜜色の瞳が、我が子の正気を疑って揺れる。当たり前だろう。フラムスティード家は、新興勢力のように過激な魔女狩りを行う必要すらないほど力を持つ魔術師の名門だ。でも、シンシアの知るエイデンは、そうではない。
「エイデン先輩は、司書の魔女が住んでいた村の出身だったの。エリオスは不死鳥で、エイデン先輩の一族を見守っている妖精だった」
シンシアは必死に話す順番を整理しながら、言葉を続ける。
「それで、エリオスは、一族の人が亡くなったときに鎮魂歌を歌うの。でも、エイデン先輩が亡くなったように見えたときは歌わなかった。だから、エイデン先輩は生きているし……魔女の血筋なんだよ。だから、助けなきゃ」
シンシアは、そう告げながら悔しくなった。本当は、エイデンが魔女ではなく魔術師だったとしても、助けると言いたかった。けれど、魔女相手に一番有効な説得は、エイデンも魔女だと教えることだとわかっている。
「でも……そんな不確かなことで、あなたを死なせるわけにはいかないのよ」
コーデリアは悲痛に声を震わせた。
「いい? シンシア。エイデン・フラムスティードが本当に魔女の血筋なら、フラムスティード家は、それをわかっていてエイデンを死なせたのよ」
「うん、だからそんな酷いことは許せない――」
「あなたも魔女よ。シンシア」
「……うん、……?」
シンシアは、頷きながら困惑した。そして、ようやくコーデリアの意図に気づいた。
「そんな人たちに捕まれば、あなたも酷い目に遭うわ」
つまり、フラムスティード家は、エイデンが魔女の血筋だとわかっていて、あえて見殺した可能性が高い。だからシンシアに、たとえ同胞であってもエイデンを諦めろと言っているのだ。
シンシアは、目を伏せた。胸元の青白い石があまりにも優しく輝く。
「……皆そうだよ。魔女だもん。どこにいても、誰が捕まっても同じだよ」
だからエイデンは犠牲になった。魔女から何もかも奪おうと伸びてくる手を、一時的にでも塞ぐために。本名すら明かせなかった少女を守るために。
「でもね、頼れる友人もいるの」
シンシアは、自分の鞄から、リスのポーチを取り出した。ふわふわのポーチに保護されていたコンパクトカメラを母に見せる。
「このカメラね、魔術師のお友達に貰ったの。私がエイデン先輩と星霜祭に行くときに、たくさん写真を撮ってねって。ちょっとびっくりする金銭感覚をしてるけど、お洒落で優しくていろんなことを知っていて、私にもすぐに教えてくれる、すごく親切で楽しい子なの」
コーデリアが眉を寄せる。「でも」と、不服そうに口籠もる。
「見て。この写真ね、エイデン先輩が撮ってくれたの。実物よりも、かなり可愛いと思う」
コンパクトカメラを起動して、直近の画像を母に見せる。エイデンの視界を切り取ってくれたシンシアの写真は、よく見なくても可愛く撮れているに違いなかった。
そして母に見せるべく拡大してよく見たら、可愛すぎて変な声が出た。
「へぁっ? ……待って、すごい、誰これ……私なの? 可愛すぎるんだけど……?」
シンシアは一人で狼狽えた。そして、見た母が絶句していることに気づいて、写真を切り替えた。
「……あ、あとね、これは私が撮ったエイデン先輩……」
見てほしい。かっこいい。泣けてきた。早く生き返らせないと。
しかし、エイデンの写真を目にしたコーデリアは、深くため息をついた。
「……ああ、そうなのね。……シンシアが楽しみにしていたパーティーも、その子と行ったのね」
「えっ?」
シンシアは焦った。母に嘘をついてしまった罪悪感が、みるみるうちに蘇ってくる。
「……ごめんなさい」
「いいのよ。……私では、もうあなたを幸せにできなかったのね」
「そういうわけじゃ……ないんだけど……」
言葉を探しながら、カメラをポーチにしまう。そのポーチを鞄にしまってから、シンシアはようやく告げた。
「でも、私は、エイデン先輩がいないと嫌なの。失ったら、もう生きていきたくないくらいに」
顔を上げて、コーデリアを見る。
「エイデン先輩がいたら幸せなんじゃないの。エイデン先輩がいないと不幸なの。だって私ね、きっとお母さんの境遇なら、お母さんと同じことをする。でも、私はお母さんじゃないから、まだ……間に合うから……。ごめんなさい」
ごめんなさい。毎晩母が言っていたことだ。あの日、産まれたばかりの弟の世話で忙しかった家で、シンシアがまったく甘えていないことに気づいたコーデリアは、産後の身体が少しだけ動くようになった頃、一日だけ妹と弟の世話を夫にすべて託してシンシアをピクニックに連れ出した。
そうして、コーデリアとシンシアだけが、魔女狩りから逃れた。
仮に一緒にいても、あの日コーデリアができたことは、一家全員で死ぬことだけだっただろう。それでも母は、大切な人を助けたくて泣いていたのだ。
「私は、エイデン先輩を助けに行く。助けるまでは、帰らないから」
そう言い切って、シンシアはコーデリアの横をすり抜けた。
「……そんな……シンシア……」
母は、追ってはこなかった。ただ呆然とした声と、床に座り込むような音が聞こえた。
「コーデリア。あんたはここで少し休みな。一人で頑張り過ぎているよ」
労るように近づくマーガレットの声を聞いて、シンシアはそのまま外に出た。
「おいで。今までつらくなかったとは言わせないよ――」
太陽は、まだ東にあった。けれど、シンシアが目印にできそうな山はなかった。
ここはどこだろうと顔を顰めたシンシアに、オーレル・ヴェリタスが近づいてくる。
「君は、森の力をかなり好き勝手に借りられるようだな」
稔りの秋を思わせるような黄金色の妖精は、シンシアを見て笑った。
「……すみません」
シンシアは目を逸らして謝った。言い返せる要素はとくになかった。
しかしオーレル・ヴェリタスは鷹揚に頷くと、何か小さな革袋を渡してくれた。
「これを持って行くといい」
「え? なんですか?」
「至って普通のどんぐりだ。他に欲しい種はあるか?」
シンシアは、一瞬混乱してから頷いた。青年姿の森の妖精手ずから、いたって普通のどんぐりを貰ってしまったらしい。
「……あ、ありがとうございます……ええと、アイビーの種も頂けるんですか?」
「良いだろう。持っていくといい」
オーレル・ヴェリタスが、シンシアに渡した小袋を開けて、手を翳した。ぱらぱらと小さな音がして、種が増えていた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
いかにも気高くあることを望んでいそうな風貌だが、マーガレットへの接し方といい、とても友好的な妖精らしい。
だが。シンシアはようやく、最初にマーガレットがしれっと言っていた、重大なことに気づいた。あのときは、エイデンのことに加えて英雄マーガレットと会った衝撃で聞き流していたが。
「……あの。ところで先ほど、北東の森を治めていると伺いましたが」
「……まあ……そうだな」
オーレル・ヴェリタスはなぜか渋い顔で頷いた。しかし、それはつまり。
「森の、妖精王様ですか……?」
つまりは、雷の妖精王であるケラウノス級の、権威ある妖精なのでは。
シンシアは、至って普通のどんぐりとアイビーの種がたっぷり入った小袋を両手で握った。
「……森を離れているときも、王と呼ばれるべきであるなら、一応は」
オーレル・ヴェリタスは、妙に低い声で、ゆっくりと噛み締めるように言葉を発した。
なんだろう、哲学的な謙遜だろうか。
そんな会話をしているうちに、マーガレットが外に出てきた。
「オーレルまでその子を孫扱いしてんのかい? まあ、わかるけどね」
そう言って肩を竦めてから、シンシアに向かって言う。
「頑張りなよ、シンシア。コーデリアのことは、私たちが守るからね。やりたいようにやんな」
「ありがとうございます。絶対にエイデン先輩を助けます」
シンシアはしっかりと頷いた。マーガレットは満足そうに微笑んで、空を見上げた。
「ああ、良い日だね。……私も、全部を守れたらいいと、ずっと思っていたんだ」
眩しく輝いている太陽は、もうすぐ訪れる冬に抗うかのように、暖かく大地を包んでいる。
「私は、大局のために恋人を見殺しにしたよ。でも、もう四十六年も前のことさ。今はもう、あんなことはしなくてよくなったんだと思わせてくれ」
マーガレットの穏やかな瞳が、シンシアを映す。
「はい。いってきます」
シンシアは大きく頷いて、歩き出した。
そして数歩進んでから、どうやって最寄り駅まで行けばいいのかだけは聞きに戻った。




