12-4
シンシアは目を開いた。
今度は天井を見間違えたりはしなかった。けれど、すぐに胸の上に乗って顔を覗き込んできたエリオスを見て、どうしようもなく涙が溢れた。
「エリオスは、知ってたんだね……。ずっと、エイデン先輩が、あの村で……魔女の村で生きていた頃から、守ってたんだね……」
両手でエリオスを包み、ゆっくりと上体を起こす。
考えてみれば、違和感は随所にあった。
エイデンは、不思議なくらい魔女の生活に詳しかった。シンシアの瞳の色をエウリュ樹の蜜に例えて、森の木漏れ日が好きだと言っていた。魔女がよく使うハーブの味が好きだった。シンシアが魔女のブレスレットを無くしていることを気にしてくれた。
シンシアが魔女として排除されかけると、自分のことのように怒ってくれた。シンシアがエイデンを一目で好きになった理由は、きっとなにも特別なことではなかった。エイデン自身が魔女の血筋だったからだ。
シンシアは最初から、魔女狩りで家族を喪って泣き疲れた少年を愛したかっただけだった。
「……ごめんなさい……」
エリオスの頭が、シンシアの腕に触れる。その仕草に、シンシアはまた泣き出した。エリオスは、エイデンを慰められなかったはずがない。
むしろ、家族を失ったエイデンが唯一甘えられる相手だったことは、想像に難くない。
「どうしよう……私の荷物、ほとんど学校に置いてあるの……。取りに行かなきゃ」
壁際のデスクの隣には、シンシアが星霜祭に行ったときに着ていた上着と一緒に、持っていた鞄も置かれている。おそらくアッシュフォード先生が届けてくれたのだろう。
けれど、彼がシンシアにくれた栞。あれは寮の部屋の、いつも持ち歩く学生鞄の中だ。スケジュール帳に挟んである。
あの栞はきっと、エイデンのために彼の家族が作った物だ。いま思えば美しい不死鳥にも見えるあの意匠は、村に住んでいた人たちの独自の紋様だったのだろう。エイデンは自分の栞を、自分には不要になったからシンシアに譲ったわけではないはずだ。
とても大切な物だったから、持っていてくれそうな者に託したかったのだ。
シンシアは、何度も溜まる涙を指で退けながら、顔を上げた。
「ごめんなさい……私ばっかり、泣いてるね……泣きたいのは、エリオスのほうだよね……」
不死鳥は泣けない。許されているのは愛する一族の死に、手向けの歌を歌うことだけ。
「……あ」
シンシアは、呆然とエリオスの瞳を見つめた。
夢の中で探し求めていた大きな違和感に、ようやく思い至れた気がした。
「……エリオス。あのとき、歌ってなかった……」
夢の中で、エリオスは美しい鎮魂歌を歌っていた。古くから伝わる魔女の哀しみの歌に似た、それよりも古い、原初の歌のようだと思えた。
――でも。
「エイデン先輩のとき、歌ってなかったよね……? 鳴いていたけど……でもっ、歌は、歌っていなかった……!」
エリオスはただ、美しい声で鳴いていただけだ。歌うように響く声だったけれど、それでも具体的な旋律はなかったはずだ。
「どうして? 夢の中では、歌を止められてなかったのに……!」
まだ悲しみを直視するにはつらすぎた小さなエイデンが泣いて懇願していても、エリオスは歌っていた。それが不死鳥の妖精のあり方だからだ。
だとすれば、彼が大切にしていたエイデンと永遠に別れる時には、歌わない理由がない。
「……まだ、死んでないの……?」
シンシアは、願望と紛うような希望を、ゆっくりと口にした。エリオスに触れる手が、酷く震えている。
けれどエリオスは、まっすぐにシンシアを見つめ続けた。
シンシアは、こくんと息を飲んで、問いかけた。
「……――私は、まだ春を呼べるの?」
廊下に出ると、廊下は思っていたよりも長かった。左右に個室を並べているらしく、ドアはたくさんあるが、周囲に人の気配はない。廊下の端にある階段から窓の外を見れば、ここが石造りの大きな建物の一部だとわかった。建物の奥は連なった山ばかりに囲まれているようで、建物はあまり複雑な形状ではない。たぶん、修道院の跡だろう。
そう目星をつけながら、階段を下りる。途端に生活感のある音と話し声が聞こえて来た。何人かの魔女が、広い部屋の暖炉の前で繕い物などをしているようだった。
「おや、おはよう」
そのうちの一人が顔を上げて、シンシアを見た。友好的な笑みに安堵して答える。
「おはようございます。初めまして。……あの、ベリル様はどちらにいらっしゃいますか?」
「来客対応中だよ。そのうち戻ってくると思うから、とりあえず座りな」
そう言って、魔女たちは長いベンチを詰めて、端を開けてくれた。
「あ、ええと……ありがとうございます」
シンシアは、少し躊躇ってから、その言葉に甘えることにした。途端に魔女たちがニコニコとシンシアを見て話し出す。
「ああ、可愛らしいお嬢さんだね。見てあの肌、シミも皺もなくてハリがあるよ」
「綺麗だねぇ、羨ましい。私にもそんな頃があったはずなんだけど、どこに行っちゃったんだろうねぇ」
「まだその辺に落ちてるから拾ってきな。アンタ、髪も艶々だね。ちゃんと手入れしていて偉いよ。冬の保湿はちゃんとエウリュ樹の蜜を使うんだよ」
「うちの子も生きていれば、あなたよりも一回り大きなお姉さんだったのよね……」
「ああ、このお菓子を食べな?」
「もうバカ、この子は病み上がりだよ。それは消化に悪いだろ、こっちにしときな」
「……あ、えっと……あの……?」
シンシアは、口をパクパクさせた。隣に座っている、この中では比較的若そうな、シンシアの母親くらいの歳の魔女が苦笑する。
「ごめんね、ここに若い子が来るのは久しぶりでね、ババ様たちったら盛り上がっちゃって……」
「だって、戦っても戦っても魔女の子供が減っていくんだもの。こんなに大きく育った子がいて嬉しいんだよ」
「最後に良いもんを見たね……もう悔いはないよ」
「そうかい、じゃああんたの秘蔵のブラックベリーの蜜漬けは私がありがたく戴くよ」
「それは困るね、あんたに食われるくらいなら、ちゃんと私が全部食べてから逝くよ。なにせ今年の実は最高だったからね」
「エウリュ樹の蜜でそれが美味しく漬かるのは三年後とかじゃないか」
とても、和気藹々とされている。シンシアが完全に気圧されていると、ふわりとエリオスが現れて、肩にのっしりと乗ってきた。
そうだ、圧倒されている場合ではない。いま知りたいのは、エイデンのことだ。
そう気合いを入れた途端、前に座っている魔女が口を開いた。
「おや……懐かしいね。エリオスかい」
「ご存知なんですか?」
「司書の一族に代々受け継がれていたんだろう? 同級生がそうだったよ。そうか、あいつは亡くなっているんだね。珍しいことではないけれど、悲しいね……」
シンシアも目を伏せた。しかし、数秒待ってから、様子を窺って問いを続ける。
「……あの、すみません。司書の一族ってどういう方々だったんですか? 聞いたことはあるのですが、すみません、詳しくなくて」
「ああ、あそこの村は、書庫を守るために隠れていたからね……長くこの国の歴史を記録していた一族だよ。魔女が政界にいた頃は、中枢でこの国の歴史の編纂を。昔、魔法が使えない人間がたくさんいた頃は、魔法が使えない王族に仕えて、王国史とその裏の歴史も記録していた。ずっとそういう一族だね」
「そうだったんですね……」
エイデンの本好きは、そこに由来していたらしい。
「ああ、マーガレットが戻ってきたね」
別の魔女が言い、コツンコツンとした足音がシンシアの耳にも聞こえた。
「おや……シンシア、そこにいたんだね。おいで。そいつらは取って食うよ」
マーガレットがシンシアを見つけて手招きする。
「酷い、まだ味見しかしてないのにねぇ」
「そうだよ、マーガレットのほうが頭から丸ごといくよ」
そう笑いながら、魔女たちは立ち上がったシンシアに手を振る。
シンシアは、うっかり手を振りかけて、慌てて胸の前で両手を握って微笑むことにした。




