12-1
ぼんやりと目を開ける。見慣れた木目に似た、美しいイチイの天井に、森の生家に帰ってきたのだと思った。
アイビーは緩慢に息を吐き、働かない頭で考える。
……なんだか、とても長い夢を見ていた気がする。
ここは森の中のアイビーの家の一室で、母コーデリアと二人暮らし。今の季節はよくわからないけれど、朝食は温かいスープから。着る服はシンプルなチュニックで、今日も家事をして、全部終わったら、そうだ、エイデンから借りた参考書の続きが読みたい――。
「あれ、思ったより早く起きたじゃない。おはよう」
突然、眼前に少女の顔が現れた。
「……わ、……!」
「そんなに驚く? 新鮮な反応ね。ネブラよ。覚えているわよね?」
薄霧の中に薄紫の瞳をインクのように一滴落としたような少女は、波打つ髪をゆらゆらと不可思議に揺らしながら、ニンマリと笑った。
「……ここは……? 私の家じゃないの……?」
「何も覚えてないの? それならそのほうが幸せかもね。ちなみにベネディクトがアナタを保護して、ここに運んだわ」
ネブラはそう言って、ことりと首を傾げた。
その瞬間、アイビーは気づいた。さっきから頭の中に掠めている、なんだか酷く冷たくて悲しかった記憶は、もしかして、夢じゃない……?
「……あ……」
掛けられていた毛布を握り締めて起き上がる。そこは懐かしい魔女の森の家の雰囲気はあれど、まったく別の空間だった。アイビーの生家に置いてきた、お気に入りだったぬいぐるみ一つ窓辺に見当たらない、綺麗で簡素な部屋。
そして、アイビーのベッド横のサイドテーブルには、エリオスが羽を休めながら、アイビーを見ていた。
「エリオス……? なんで、ここにいるの……? エイデン先輩は……?」
「亡くなったんでしょ?」
「……っ、……!」
ネブラが淡々と告げる。その瞬間、アイビーは太ももに自分のナイフが無いことを確認して、周囲に何か手軽に自分が死ねるものがないかを探した。なかったので、自分の心臓に手のひらを当てる。これが今ものうのうと動いている意味がわからない。
ニヴァリスに雪の魔法を願おうとする。その瞬間、エリオスが飛んでアイビーの頭に乗った。ネブラが呆れた声を出す。
「別に止める義理はないけれど、アナタが死んだら、何のためにそのエイデンって子は犠牲になったのよ」
わからない。わかりたくない。自分のためなんかにエイデンがいなくなったなんて、どうしてなのか全然わからない。
「……っ、うぅ……っ……」
アイビーを置き去りにするため? アイビーを悲しませるため? 違う。……エイデンは、気づいていたのだ。アイビーが、エイデンの命を狙って学校に入学していたことを。だから、エイデンは、アイビーを殺せばいいだけだった。なのに、殺さなかった。アイビーを助けるために、自分を殺した。
「ひ……っ、う、うぁ……っ」
わからない。どうしてアイビーが悪いのに、アイビーを非難してくれなかったのかなんて、全然わからない。毛布に顔を埋めた。エリオスが頭から離れていく。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……っ……」
胸元で、何かが擦れる。ムーンストーンのネックレスだ。エイデンがこれをアイビー以外の誰かに贈るなんてことは、絶対にないとわかる。だからアイビーは、ちゃんとエイデンの命の代わりに、自分がいなくならなければいけなかったのに。
泣いた分だけ、思考が重く纏まらなくなる。悲しい自分にさえ疲れ果てて、アイビーはゆっくりと呼吸を整えた。
「そろそろ泣くのも飽きた? じゃあ話を進めるわね」
「……はい」
淡々と話を進めたいらしいネブラに頷く。エリオスが肩に乗って、ほんのりと温かい魔法を使ってくれた。起き抜けで泣きじゃくった倦怠感が、すっと楽になる。楽にされてしまった。エリオスと契約していたはずのエイデンは、もうエリオスに細かな指示を出していないのに。
「ここは、魔女の基地よ。秘密のね」
「……魔女の、基地……?」
さすがに聞き捨てならないネブラの言葉に、アイビーは、もう一度周囲を見回した。木材をふんだんに使ったシンプルな部屋は、やっぱり基地という物々しい印象はなく、普通の魔女の家に見える。
「どういう、こと? 私は、どうすればいいの?」
「さあ? とりあえず休養じゃない? 酷い顔だもの」
ネブラは大袈裟に肩を竦めた。白いドレスの裾がふわりふわりと揺蕩う。
「……私……でも……好きな人を……死なせて……」
それなのに、休む権利なんてどこにあるのだろうか。
「よくわからないけれど、そうなの? でも、そういう命令だったんでしょ? じゃあ仕方なくない? それはアナタのせいなの?」
「……わかんないよ……」
淡々と畳み掛けられた言葉に、何を返していいかさえわからずに俯く。
命令は、命じた者がその責任を持つべきだ、とは思う。けれど、どんな事情があれ、最初にエイデンを殺せば魔女を助けてくれると言われて頷いたのは、アイビー自身だ。でも、アイビーはそれが嫌で、だったら自分が消えようと思ったのに、それすらもエイデンが犠牲になって、引き止められてしまった。
アイビーは何を間違えたのだろう。エイデンを好きにならずに、暗殺も断って――でも、そうすれば精霊術師のもとにいた魔女たちは、どうなったのだろう。
でも、そもそもアイビーが暗殺を諦めて消えても、他の魔女がエイデンを狙う羽目になるだけだったとも思う。
部屋の先から、木が軋む足音が聞こえた。戸が開いて、ベネディクト・アッシュフォードが現れる。
「ネブラ。そろそろ……」
そう言いかけて室内を見たアッシュフォード先生が、アイビーに気づく。
「起きていたのか」
アイビーは黙って頷いた。それを入室許可と受け取ったらしいアッシュフォード先生が、アイビーのベッドに近づいてくる。
「ここには、反精霊術師派の魔女が集まっている。お前はこれから、精霊術師や精霊術師に下った魔女たちから口封じされないように、ここで暮らせ」
「……先生は」
「俺はもう帰る。精霊術師だからな」
「……そうですか」
そして魔女とのハーフだから、ここまでアイビーを送り届けてくれたのだろうか。どうやって魔女の集まる場所を知って来られたのかは、よくわからないが。
「……今までよく頑張ったな。お前は悪くない。この件に関して悪いのは精霊術師と魔術師だ。お前は使われただけだ」
アッシュフォード先生は、まるでアイビーを労るかのように、優しげに声を和らげて言った。
「だから、ここで身を隠して暮らせ。くれぐれも、誰にも復讐しようとするなよ。お前自身にもな」
そう言うと、とくにアイビーの反応は求めることもなく、部屋を出ていった。
「うわぁ偉そうな先生ー! 最初から助けてくれたわけじゃないのにー」と、ネブラがアッシュフォード先生の背中に声を掛ける。アイビーはぎょっとしてネブラを見た。
ネブラは、ニンマリと笑った。
「別に心を読む魔法は使えないよ。単なる霧の妖精だもの」
返す言葉がなかった。アイビーは戸惑った末に、一番よくわからないことを聞くことにした。
「……あ、あなたは、結局アッシュフォード先生の味方なの?」
「違うってば。だってアイツ、やることが精霊術師じゃない。やることが魔女じゃない」
そう言って、ネブラは空中で弾むように回り始めた。
「だから、もしもこの先アナタがアイツと敵対することがあっても、私は別にアイツを手伝ったりしないわね。そんな義理はないもの」
……かなり自由な性格らしい。それでどうして不自由そうなアッシュフォード先生に憑いているのだろう。そういうところが不自然なところも含めて霧の妖精なのだろうか。
アイビーが内心で多少失礼なことを考えても、ネブラはとくに反応を見せなかった。とりあえず、本当に心を読む力はないのだろう。
そう思った瞬間、ネブラはくるくると回るのを止めて、アイビーを見た。
「あ、そうそう」
「えっ、ごめんなさい!」
「え、何? ……あ、もしかして何か失礼なこと考えてたの? いいよ?」
「い、いいんですか……」
怯えるアイビーに、ネブラは不思議そうに首を傾げた。
「いいけど。それよりも、アナタの中で反発していた雪と火の魔力は、特別に私が整えてあげたけど、繋げ方がふわふわの霧魔法だからね。今の状態で魔力を使ったら、また暴走すると思うわ。数カ月はおとなしくしていたほうがいいよ? 今度は身体が焼き切れちゃうかも」
そう言い残して、ネブラは手を振りながら壁に消えていった。
「……ありがとうございました……」できれば戸口から帰ってほしかった。
静かになった部屋で、アイビーはエリオスを探した。彼は、挙動不審すぎるアイビーの肩ではやはり乗り心地が悪かったらしく、それとなくサイドテーブルのほうへ戻っていた。
きっと主というよりは友人だったであろう相手の願いを叶えたエリオスに、アイビーは礼を言えばいいのか、謝罪すればいいのかわからなかった。それなのに、どうしてエイデンを止めて守ってくれなかったのかと、恨み言を言いたい気持ちさえあった。
エリオスと目が合う。金色の瞳が、アイビーを見る。そしてエリオスは、戸のほうに顔を向けた。
同時にアイビーにも廊下のほうから、コツン、コツンと、木を鳴らすような音が聞こえた。足音のように、近づいてくる。




