11-3
賑わいが増した露店通りでは、ますます日が落ちて、飾られているランタンがキラキラと輝きを放っていた。
それを見ているうちに、ロマンスのことなんかよりも、自分のことを気にしたほうがいいような気がしてきた。だってアイビーは、もうすぐこの世界から消えるのだから。
「……いい匂いがいっぱい……」
息を吸ったアイビーは、きょろきょろと周囲を見回した。先ほどは菓子がメインだった店たちも、夕食時に合わせて食事の提供準備を整えたようだ。
「なにか食べたいものはある?」
「エイデン先輩は、ありますか?」
「うーん……」
エイデンは迷った素振りのまま、明らかにお肉の塊のほうを見た。骨付きのラム肉がじっくりと炙られて、香ばしい脂が滴り落ちている。
「……あの、すみません。やっぱり私、あのスープ屋さんが気になります」
アイビーはそっとエイデンの袖を摘んで引いた。さすがに初手からお肉は、アイビーの胃には厳しい。
大鍋で作られた何種類もあるスープの中から、アイビーは迷った末に、カリフラワーと豆乳の中にカブとホワイトマッシュルーム、鶏団子が入った白いスープを選んだ。パラパラと緑色のバジルをトッピングしてもらう。
エイデンが選んだスープは、ベーコンとソーセージがゴロゴロ浮かんでいた。ちゃんと人参と玉ねぎとカボチャも入っていて、あとは胡椒とローズマリーの香りがする。
さっそく食べようと思ってから、アイビーはハッとして鞄を漁った。リスのポーチから、いそいそとコンパクトカメラを取り出す。
「撮るのを、忘れていました……!」
ブラウニーとショコラ・ショーも撮るべきだったのに、美味しくて忘れてそのまま食べてしまった。
「食べ物を撮りたかったの?」とエイデンが首を傾げる。
「はい。風景は、どう切り取ればいいのか、よくわからなくて」
「……じゃあ、貸してくれる?」
スープにレンズを向けていると、エイデンが少し笑って自分のスープを簡易テーブルに置いた。
そして、受け取ったカメラのレンズをアイビーに向けた。
「撮るよ」
「えっ?」
驚いたアイビーに向かって、撮影ボタンが押される。――キーウィ! 可愛い鳴き声がして、エイデンの周囲に赤いハート型のエフェクトが舞った。
その瞬間、アイビーは理解した。エイデンが、とても――言葉にしきれない表情をしている。この視界を切り取ればよかったのだ。
思わず唇を緩めると、その瞬間にもう一度、キーウィ! と撮られた。
「うん。素敵に撮れたと思う」
エイデンは仕上がりを確認することもなく、満足そうにアイビーにカメラを返してきた。
アイビーは、頬を真っ赤に染めて、そのカメラをエイデンに向けた。
「じゃ、じゃあっ、撮ってもいい、ですよね!」
エイデンは驚いたように一度目を丸くしたが、そのままふわりと微笑んだ。その視線が、レンズを通り越してアイビーを見ていたように感じたのは、たぶん、気のせいだろう。
自分の周りに飛び散ったエフェクトがなんだったのかは、わからなかったことにして、コンパクトカメラを大事に鞄の中にしまい込む。
その間に食べやすい温度になったスープは、ふわっと柔らかい味の中に隠されているローリエの風味が爽やかで、美味しかった。
その後で向かったのは、パスティの屋台だった。串焼きじゃなくてよかったのかと疑問に思ったけれど、
「さっきのスープが懐かしい味だったから」と言われて、パスティになったのだ。森育ちで、たまに関わる麓の村もスレート石材を採掘する労働者たちの集落だったアイビーとしては、パスティは馴染み深いお弁当料理だけれど、都会育ちのエイデンでもパスティは食べていたらしい。
アイビーが選んだのは、鹿肉のチーズパスティだ。他の具材はじゃがいも、カブ、人参、ドライマッシュルーム。セージとタイムも入っているようだ。かじりついた瞬間から、じゅわりと温かい味が口の中に広がる。
そして。
「……あっつっ……ん、んんー……?」
温かなパイに包まれたチーズが、すごく伸びる。
どうしよう、全然途切れない。エイデンの前では、綺麗に食べたいのに。
『……これ、選択を誤ったんじゃない? デートで食べるものじゃなくない?』
ニヴァリスが囁いてくる。アイビーは必死にチーズを切ろうとパスティと戦っていると、隣からくすくすと笑う声がした。
「美味しそうだね」
「……美味しいです……」
同じくらい恥ずかしいだけで。
ようやくプツンと切れたチーズが口の周りについたのをそっと紙で拭って、アイビーはパスティを睨んだ。
店員さんは熱々のうちにどうぞと言っていたが、チーズが少し冷めるまで待つくらいは許されるだろう。
「あ、これ美味しい」
「どんな味なんですか?」
そう問うと、エイデンは少し考えるように視線を上げて空を見る。
「辛いトマト味に……レーズンとアプリコットかな? 少しだけ甘いのが入っているみたい。ラム肉とひよこ豆に合っていて、辛すぎない感じ。あとは玉ねぎとパプリカの食感があるかな」
「エイデン先輩は、辛いの得意なんですね」
「うーん、普通だと思うけど、冬の間はけっこう食べたかな。大人が多い環境だったからね。背伸びして。君はあんまり?」
「はい。妹もいる家族暮らしで、魔女狩りに遭ってからは母と二人暮らしだったので……食べたことがなかったから、作る機会がなくて」
もっと成長してから他の大人に関わる機会があれば、背伸びした物も食べていたかもしれない。でも九歳から母と自分のご飯を作ることが多くなったアイビーには、アイビーと妹に合わせて母や父が作ってくれていた、子供でも食べやすい優しい味付けの料理が、ほとんど全てだったのだ。
「そっか。ごめん」
ただ懐かしくてそう告げただけだけれど、エイデンは、少し思うところがあったらしい。
「いいえ、エイデン先輩が悪いわけでは……。魔術師にも、たくさん良い人がいるって、わかっています。錬金術師の嫌な人だっているし、信用できない精霊術師も少なくありません」
アイビーは苦笑した。子供っぽいくらいに優しい味付けが好きなことも、エイデンが好きなことも、アイビーにとっては幸せなことで――世間一般的に見れば、何かが間違っているのかもしれないと、わかっている。
「それに……悪い魔女だって、います」
何もかも、単なる事実だ。アイビー・エインセルは、誰かを犠牲にして抗うことも、自分を犠牲にして受け入れることもできない臆病さで、身勝手に消える。魔女として誇れる存在ではない。
エイデンが、アイビーをじっと見た。
「そうなんだ。僕は、知らないな。悪い魔女なんて」
アイビーは、どこを見ればいいのかわからなくなって、俯いた。悪い魔女なんていない。……そうだったらいいと思う。誇り高くはなくても、酷いことはやっぱりしたくない。
「そろそろ、シンボルツリーのところに戻ってみようか。一番盛り上がってる時間だろうから」
エイデンは僅かに明るめの声でそう言った。パスティの最後の一口を食べ終えて包み紙を丸めて、そしてまだアイビーがパスティをまったく食べ終えてないことに気づいて、付け加えた。
「あっ。食べるのはゆっくりでいいからね」
そもそもエイデンは、いつの間に食べ進めていたのだ。アイビーが慌ててパスティをかじっていると、エイデンはなんだか照れたように言った。
「……ごめん、その間に、そこの串焼きを買ってきていい? ……あれ、大丈夫?」
アイビーは無言のまま半泣きで頷いた。もう大丈夫だと思っていたのに、半分以上残っていたパスティの中身はまだ熱くて、しかも再びチーズが伸びてきたのだ。
「……綺麗ですね」
気を取り直して、シンボルツリーがある場所に戻ると、人混みはいっそう増していて、そのぶんだけ、空は暗いのに広場は明るく暖かい空気に満ちていた。
「うん」と頷いて、物珍しそうに周囲を見回すエイデンの赤い瞳も、いつになくキラキラと光を集めていて、どんなイルミネーションよりも綺麗だった。
アイビーは鞄の中のカメラの存在を思い出して、それでもほんの数秒だけエイデンから目を離してカメラを取り出すことが、できなかった。今の彼の姿を、自分以外の誰かのために遺そうとも思わなかった。
そのうちに、エイデンは何かを見つけたらしく一つの露店で目を留めた。
「……あ、これ」
「何かありましたか?」
アイビーはエイデンの視線を辿った。その露店には、ガラスケースの中に収められた小さな装飾品がたくさん並んでいた。男性向けの物は少ないようだが、何を買うのだろう。
「うん。これなら、以前君が言っていたブレスレットの代わり……にはならないかもしれないけれど。少しは慰めになるかと思って」
「へ?」
アイビーはうっかり変な声を出してから口元を押さえた。以前にアイビーが言ったブレスレット、とは。魔女のブレスレットのことだろうか。
「本当は、ブレスレットのほうが良いのかもしれないけれど……なさそうだね」
「うーん、ごめんなさい。うちは装飾品しか作らないので、ブレスレットはあまり置いていませんね。……指輪ならありますよ?」
店員がそう断ってくる。ブレスレットは魔導具や妖精との契約品の装備にしがちなので、純粋な装飾品としての需要はあまりないのだ。
「いいえ、このネックレスを見せてください」
エイデンがショーケースの中の一本を示す。アイビーは混乱したままエイデンと店員のやり取りを聞いていた。自分の無くなった魔女のブレスレットの代わりのお守りを、エイデンが購入しようとしてくれている。
「どうかな? あんまり好きじゃない?」
店員がショーケースから出してくれたネックレスは、銀色のチェーンのトップにキラキラとした半透明の石が付いていた。
「……そ、そんなことはありません、けれど……! でも……!」
貰っていい値段ではないような気がする。好きか好きじゃないかと聞かれれば、すごく好きだけれど。
「フロストライトのお礼がしたいんだけど……別の物が良い? それとも、僕に貰うのは嫌かな」
そう言って、エイデンはそっとネックレスの先をアイビーに見せた。優しい青色に輝く丸い石を、月の形をした台座が包んでいる。
アイビーは、おずおずと頷いた。だってその石の名前を知っている。ムーンストーンだ。アイビーの本名に、関わり深い石だった。
「……これがいいです……」
最後にこのネックレスを付けていられたら、きっとそんなに悲しくないに違いない。
「じゃあ、これをください」
「ありがとうございます。ちなみにこの店は来年も出店してると思うから、必要ならまたどうぞ!」
「……ありがとうございます」
店員が愛想良く笑う。エイデンが支払いを済ませてネックレスを受け取る。アイビーはゆっくりと息を吐きながら微笑んだ。
「付けてもいい?」
「は、はい!」
全力で頷くと、エイデンはくすぐったそうに笑って、アイビーの後ろに回った。
アイビーに触れないようにして、一瞬だけエイデンの腕がアイビーの身体を囲んだ。細いネックレスチェーンのささやかな感触が、首筋と髪に触れる。アイビーは目を伏せて息を止めた。エイデンの手が、金具を留めたことがわかった。アイビーのことを絶対に傷つけたくないのかと思えてしまう指先が、髪に触れる。チェーンから引き出された髪が、ほんの少しだけ毛先の流れを整えてくれた。
「できた」と、小さく弾むような声が、耳元で、妙に大きく聞こえた。
アイビーはそっと止めていた息を吐いて、ムーンストーンに触れた。心臓が、急に吸い込んだ酸素でバクバクしている。
「……おかしくありませんか?」
エイデンを振り返って、上目遣いで彼を見た。どうかおかしくないと言ってほしい。
鮮やかな赤い瞳が、くっきりとアイビーを映した。
「可愛い。すごく」
「っ……! ありがとう、ございます」
アイビーは心臓ごと僅かに飛び跳ねた。絶対に赤く熱を持った頬をどうしたらいいかわからなくなって、咄嗟に両手で隠して俯こうとした。けれど、そう言ってくれたエイデンの姿をできるだけ長く目に映しておきたくて、視線を彷徨わせかけてはエイデンを見上げるような、不自然な挙動を何度も繰り返した。
「……ずっとこのまま時間が止まればいいのにな」
やがてエイデンがぽつりと呟いて、酷く名残惜しそうに微笑んだ。
「……そろそろ行こうか」
いつの間にか、会場内の人影は疎らになっていた。時計を見れば、午後九時を過ぎていた。寮の門限や明日の授業のことを考えれば、確かにもう帰ったほうが良い時間だ。
仕方なく頷いて、帰路へと歩き出す。
けれどエイデンは広場から出ると、駅のほうに向かわずに足を止めた。
「あと一箇所だけ、良いかな。ついてきてくれる?」
アイビーは戸惑ってから頷いた。エイデンといられる時間は、長いほうが良かったからだ。
「ありがとう」
エイデンは微笑んで歩き出した。




