11-2
おそらくエミリーが言っていた店だと判明したショコラ・ショーのカップとブラウニーを持って、近くのベンチに腰を掛ける。
「キャンディ交換は、これを食べたあとだね」
エイデンがくすくすと笑ってブラウニーをかじる。
「本当に美味しいな、これ。なんかシルヴェスターが好きそうな味してる」
アイビーも少しずつブラウニーを食べ進めながら、エイデンに聞こえないように唸った。まさかお土産に買っていくつもりだろうか、生徒会兼ティーサロンに。別に良いけれど。
「そういえば、エイデン先輩って、いつも生徒会長とご飯を食べていますけど、生徒会ってやっぱり忙しいんですか?」
「いや、そんなことはないよ」
エイデンは言葉にしづらそうな反応になって、いったんショコラ・ショーを啜った。
「僕とシルヴェスターに、あんまり友人がいないだけ、かな」
アイビーも反応に困った末に、ショコラ・ショーを飲んだ。香り高い甘さとほろ苦さが口の中いっぱいに広がる。
「シルヴェスターは、人柄は良いんだけどね。抜きん出すぎていて、対等な友人をつくるのは難しいんだと思う。ヴィオラ先輩ですら、一日中シルヴェスターをからかい続けるのは難しいって言っていたくらいだし」
「ああ……なんとなくわかります。優等生なのにノリが良いとかじゃなくて、人格者がさらに天才だった感じですもんね」
「うん。そうなんだよ。だから、僕は開き直って、個人的に勉強を見てもらっている」
アイビーは、ブラウニーをもぐもぐと咀嚼しながら考えた。エイデンが勉強を見てもらう必要がある印象がなかったが、シルヴェスターになら見てもらう意味もあるのだろう。百点満点のテストで百十点を取る方法とか。
「……天才に勉強を教わって理解ができるのは天才の人だけでは?」
実技演習ですらだいぶ意味がわからないのに。
「シルヴェスター、天才すぎて教えるのも上手いんだよ。他人がどこで躓きやすいのか、どうすれば納得するのか、何をすれば評価したくなるのかを、よく理解してる……」
エイデンは若干遠くを見て呟いた。アイビーは素直に呻いた。
「怖い……」
あはは、とエイデンが苦笑する。
「でも、シルヴェスターは僕が一番信用できると思っている人だから。何かあったら、アイビーも頼っていい人だよ。頼られたら喜ぶからね、あの人は」
「でも、お忙しいのでは?」
「意外と頼まれないから自発的にやってる部分が大きいよ」
む、とアイビーは唇を窄めた。確かに、万人にとって物事を頼みにくい相手なのは確かだろう。なにせ名実ともに精霊術師の最高峰の人間だ。天上人、いや、ほとんど人外だと思う。
「勝手にやったことだからって、お礼を言われる気すらなくて、心配になる。……僕が言えることじゃないけどね」
アイビーは首を傾げた。エイデンの表情に含みがある、気がする。そもそも、なぜせっかくエイデンとデートしているのに、エイデンからシルヴェスターの良さを語られているのだろうか。
けれど、ショコラ・ショーを飲み干してブラウニーの包みを丸めた彼は、にこにこと幸せそうに微笑んだ。
「食べ終わった? じゃあ、キャンディ交換しようか。どうやってするの?」
「……ええと」
アイビーは、キャンディケインという名のキャンディキャロットを取り出して、ほんの少しだけ自分の胸元に寄せた。
「――あなたが暖かい冬を過ごせますように」
本気でそう願って、エイデンに差し出す。
「って言うんです」
「……そうなんだ」
エイデンは静かに微笑んで、照れてくれたのか、少し赤くなりそうな目を伏せた。
「ありがとう」とアイビーからキャンディを受け取って、大切そうにコートのポケットにしまうと、自分のクローバー型のキャンディを持って目を閉じる。
「――君が暖かい冬を過ごせますように」
「……はい。ありがとうございます」
差し出されたキャンディを受け取って、アイビーはじっとそのクローバーの形を見つめた。頬と目の奥が真っ赤になっているとわかって、顔を上げられなかったのだ。
「うん。僕のほうこそ、ありがとう」
ゆっくりと耳に残る声に、どうしようもなくこの人を好きだと思った。
食べ終えたあとは、しばらく会場を散策することにした。
そして、少しばかり化粧室で身嗜みを整えたあと。
「……間違えた……」
アイビーは呆然と周囲を見回した。化粧室の出口だと思って逆方向に進み、何か建物の裏手に来てしまい、それに気づいて戻ろうとして――やっぱりどこかで間違えたらしい。
森の自然な地形はすぐに覚えられる。でも、規則正しい白壁に囲まれ続けるような場所は、まだ慣れていないのだ。そう、苦手なのではなく、まだ慣れていないだけなのだ。つまり今は戻れなくて困っているのだけれど。
とにかく足を止めても仕方ないと歩き続ける。すると近くの部屋から声がした。よし、出口を聞こう。関係者以外立ち入り禁止だったら潔く謝ろう。そう決めて、アイビーは開いていた扉に近づき、中から聞こえた話に足を止めた。
「ロマンス様。もうご出演の時間です……」
「出ないと言っているだろう!」
話しかけられる相手ではないようだった。げんなりしたアイビーの耳に、控えめそうな少女の声が届く。
「ですが……楽しみに、されて」
「誰が俺の演奏なんか楽しみにしているというんだ!」
ロマンス・パターソンの怒声が響く。アイビーはこっそりと中を覗き込んだ。まだ暴力を振るってはいないようだが、気分が良いものではない。
室内には、黒い礼服を着たロマンスと、いつもロマンスの側にいる煤色のマントを纏った少年の妖精。そして品の良いオールドローズのワンピースと白いコートに身を包み、淡いグレージュの髪を纏めた少女が立っていた。ヴァイオリンらしきケースを抱えた少女は、しばらく黙り込むと、深く頭を下げた。
「……申し訳ございません……」
ロマンスの背後にいる妖精が、見かねたように口を開く。
「……ねえ、ロマンス。僕は君の演奏が好きだよ」
「お前が好きなのは、心の籠もった演奏だけだろう!」
ロマンスは再び声を荒らげた。
「シリウス、お前もとうとう嘘をつけるようになったのか? 契約者にまで慈悲の心を向けられるようになれば、昔の輝きは取り戻せそうか?」
あの妖精は、かつては煤色ではなかったのか。アイビーは眉を顰めた。ロマンスは、どうして彼にシリウスという名前を与えたのだろう。夜空で最も明るい恒星。まさか本来はそれほど輝いていたのだろうか。であれば、なぜあの色に。
困惑していると、ようやく顔を上げた少女に、ロマンスは憮然と言い放った。
「……俺は、家に戻る。フェリシア、お前は冬休み中、学校にいろ。帰ってくるな。……それと、もしも次に条件の良い働き口を紹介されたら、受けろ」
フェリシアと呼ばれた少女は、酷く狼狽えた様子になった。
「え? ですが、私はロマンス様にお仕えして……」
「お前なんか雇ってやる余裕がもうないんだよ!」
ロマンスが苦々しげに叫ぶと、少女からヴァイオリンケースをひったくるように取り上げた。
「……私は……」
「行くぞ、シリウス」
ロマンスが妖精シリウスに声をかけて歩き出す。少女は、しばらくロマンスの背を見つめていたが、その背が見えなくなると、ようやくロマンスが向かった方向にのろのろと歩き出した。
……たぶん、帰り道は、向こうらしい。
アイビーは苦い気分で呼吸を整えた。あの横暴な人間が、仕えているらしい者たちには嫌われていないことが、なんだか上手く飲み込めなかったのだ。
「お待たせ、しました……」
戻る途中でエイデンから学生章に連絡が来て、「迷子になったのでどこにいるのか説明できません。目印になる場所が……あ、野外ステージにいます?」などと答える羽目になったアイビーだったが、なんとか迷宮から抜け出して、表に出た。
結果として、なぜか化粧室とは建物三つ分も離れた場所にある野外ステージの関係者入り口から出てきたアイビーに、エイデンはさすがに困惑した目をしつつも、無理やり微笑む感じで「合流できてよかった。心配したよ」と告げた。
それから、エイデンは近くに掲げられた野外ステージのスケジュールに視線を向けて、何気ない調子で呟く。
「この時間は、ロマンス・パターソンが演奏するって書いてあるけど……やらないみたいだね」
アイビーは先ほど見たロマンスの様子を思い出して、ステージのほうを見た。最前列の隅に、先ほどロマンスといた少女が、たった一人だけ座っているのが見えた。
少女は舞台をじっと見つめている。けれど、ロマンス・パターソンが壇上に現れる様子はない。
アイビーの後ろを通っていく通行人の一人が、くすくすと笑いながら言った。「あれー? パターソン、来てないんだ? 早めに言えばスケジュール変更できたのに、結局放り出してステージ開けてて最低ー!」
アイビーは振り向かずに顔を顰めた。グループでいるらしく、複数人が笑い出す。
「えー? でもさっきいたじゃん? よく人前で演奏しようと思ったな! って言ったら、顔真っ赤にしてどっか行ったけど!」
「ひどーい、なんでそんなこと言うのー? 可哀想ー」
「事実だろ? そもそも俺、アイツのヴァイオリンそんなに上手くないと思うんだよな、動きが全部大袈裟っていうかさ!」
「わかる! 俺は上手いんだーって思ってそう! 下手だよー」
遠ざかっていく不快な声に、アイビーは耳の調子が悪いふりをしながら、前方の少女を見た。聞こえてないといいのだが、彼女は先ほどよりも俯きがちになっていた。
「……素行の悪さを差し引いても、すごく良い演奏をしていたと思うんだけど。少し、残念だな」
誰もいないステージを見たまま、エイデンがぽつりと呟く。アイビーは気になって尋ねた。
「そんなに上手だったんですか?」
「うん。学園都市の高等部のヴァイオリンのコンテストで二位になって、その翌月にピアノのコンテストでも入賞するくらいには。それにこっちのステージは、実行委員会側から出演を依頼したもののはずだよ。……もともと名前で忖度されるほどの家系じゃなかったし、センスがあって努力家だったのは確かだ。それ以上を褒めようとは思わないけれど」
「……そうだったんですね」
アイビーは目を伏せた。ロマンス・パターソンは、アイビーにとって酷いことをする人だ。
でも、最初から自分勝手な人ではなかったのかもしれない。
視線をステージに向けると、いつの間にか前方に座る少女は、再び姿勢を正してステージを見ていた。着ている白いコートには、質の良さそうな柔らかな艶がある。ロマンスの使用人だと言っていたが、あの華やかなコートは、彼女が自分で選んだのだろうか。それとも、ロマンスが地味な少女を連れ歩くのを嫌がったのだろうか。
『……でも、アイツから離れたほうが、結局はあの子も幸せなんじゃない? アイビーが気に掛けられる相手じゃないでしょ。ロマンスの味方みたいだし』
頭の中でニヴァリスが囁く。そっと唇を噛んでいると、エイデンが不思議そうに聞いてくる。
「……どうかした?」
「あ、いいえ、なんでも……ないです」
反射的にそう答える。エイデンはアイビーの歯切れの悪さを感じ取ったのか、軽く首を傾げた。
しかし肩を竦めて微笑む。
「じゃあ、温かい物でも食べようか」
アイビーは、もう一度だけ少女を見てから頷いた。彼女にかけられる言葉がなかった。




